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わたしのお肌と学習性無力感

今年から、
セッションをお受けくださったみなさまに
毎月メルマガをお送りしてるのですが
8月分の一部を加筆修正してnoteでもシェア。


わたしの身体に関する強固な思いこみのひとつに

「自分の肌はなにをしてもよくならない」

というものがありました。

子どもの頃から
30代くらいまで
ずーっとにきびに悩んでまして。

ひとつ治ればまたひとつできる、を
繰り返して
にきびを見ない日が一日もなかったくらい!

そりゃあもう
いろんな治療をしてみたけど
なにをしてもよくならなくて。

自分の肌を直視するのが苦手でした。



このにきびは、

30代の頃に向き合った
「自分の中にある怒りや未消化の感情」
と共に、
徐々に消えていったんですけど
(すべての人のにきびが
そうである訳ではありません)


ああ消えた、
よかった、

とホッとして

それきり、

年相応にあるいろんな「アラ」には
無頓着のままでいたんですよね。


無頓着といっても
本当に興味がないんじゃない。


本当は、
きれいなお肌の人をみて
いいなあ、きれいだなあ、
と思っていた。


それなのに無頓着でいたのは

「最低限にきびがなければもういいんです、それ以上は望みません」

という諦めがあったからなんですよね。



若い頃、

どんな治療をしても
どんなにその時思いつく努力をしても

よくならなかった、 という無力感が

「きれいな肌なんてわたしには無縁」

肌に向き合う意欲を低下させ、
無頓着という状態をつくっていたんですよね。

心理学でいう「学習性無力感」というやつです。


きれいな肌の人をみて
いいなあとは思っても
自分もそうなりたい、
なんて思いもしない。


だって、

もしもそう望んでしまったら

よくなるためにまた努力して
また悪化してしまうかもしれない。

「またダメだった」というがっかり感、
「自分の肌はやっぱりよくならない」という無力感を
もう感じたくない。

望みさえしなければ、
その痛みを感じなくて済む!!

自分の肌に期待するのやめよう!!!


そんなふうに

傷つかないように心に無意識にフタをしたら
望みも一緒にフタをしちゃってた
んですよね。


そういうことって
普段意識してなくても
結構身近にある話。


今までに経験した、
いくつかのがっかり体験が無力感を生んで

「もうこのままでいいや」

「わたしには、きっと相応しくない」

「これは生まれながらのものだ」

「そもそも克服するもんじゃないんだ」

なんて思いに変化して
本当の望みを覆ってしまうこと。


自分の身体についての、
自分の心についての、

生き方や、
人生全般についての望みを
見えなくさせてしまうこと。


そうすると、
なにがもったいないかって

自分の可能性も
そのための情報も
協力してくれる人も

なんにも、

視界に入ってこなくなっちゃうこと!

ほんとうは、
すぐそばにあるかもしれないのに、です。


どうせダメだろう、
という思いをうみだした

かなしみや
無力感、
恥や自信のなさ、
自己卑下の気持ちなどって

感じると不快じゃないですか。

だから
感じないで済むようにする心の機能
(防衛機制)も
結構巧妙なんですよね。

「このままでも別に困ってないんで」って、

いかにもそれっぽく
自分も他人も
納得させることができてしまう。


だから気づきにくくなるのも
もっともなんだけど

ほんとうは、望みが叶う可能性をもっている

ただ

それを阻んでいるのは自分なのかもしれない、

そんな視点を片隅に持っておくと

いつか心からの望みに気づき

あなたの可能性が花開くかもしれません。


ちなみに
わたしの肌に関する無頓着さは

昨年、
別件で皮膚科に通い始めたことから

少しずつ変わっていきました。


もちろん
突然美肌になったりはしてません。


でも、意識は確実に変わったんですよ。

「そりゃあ、
どうせ変わらないんでしょって嫌って、
なんにも手をかけてあげなかったら
荒れるはずだよね」

と懺悔のような気持ちがしみじみ湧き、


すぐに結果がでないからってがっかりせず
ジリジリと一歩ずつでも
変化していることを
素直に喜べるようになりました。

そうやって
自分の肌に対する意識が
「無頓着」「嫌い」
から
「慈しみ」や「変化を喜ぶ気持ち」に
変わったことで

手をかけたら応えてくれるという
身体への信頼感も以前より増してきました。


それは
わたしにとっては、
もしずっと美肌でいたら
味わえなかったであろう
大事なことのように思えます。



自分の
心身や、
人生の可能性を
信じられない時があってもいい、

でも

またいつでも

「可能性は本当はあるんだ」と

思い出せる自分でいられると
いいですよね。



【心を耕す一歩その37歩目】

「がっかり体験からの無力感に気づく」

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