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初心にかえって、プライドなんてどこかへいった
1月末に、約2年勤めた放デイを退職した。
そして、9月末から掛け持ちしていた放デイ1本となった。
同じ「福祉」の業界であるにもかかわらず、やり方が全く違う。掛け持ちをしていた頃もあったが、1本になってからはやり方や意識についてたくさん面談を受けてきた。
また、この2ヶ月間で、たくさん指導を受けた。たくさん悔しくて泣いた。「なぜあの人はできるのに、自分はできないんだ」と毎日のように泣いていた。
正社員になって1年。たくさんの支えがあっての1年。
1年前。2022年6月1日。
私は新たな1歩を踏み出した。
放課後等デイサービスで、正社員として働くことを決めた。
あれから1年。2023年6月1日。
正社員になって1年を迎えることができた。
ここまで順調にきたわけではない。
泣いた日もあった。
もやもやをうまく解消できなくて子どもたちに当たった日もあった。
気圧や天気に左右されて、しんどい日もあった。
人手が足りなくていっぱいいっぱい
「私、脳に障害があるの」
「私、脳に障害があるの」
私が勤務している放デイに通っている子が、クラスの同級生に言った言葉だ。
活動で公園に行ったとき、たまたまその子と同じ小学校でクラスの同級生がいた。同級生は、周りに私含め事業所の職員がいることを不思議に思っていた。
同級生「どういう集まり?」
子「放デイっていって、障害がある子が通うところだよ」
同級生「(子)は障害があるの?」
子「うん。私、脳に障害があるの。」
同級
2022年の振り返りと来年の目標
2022年がもうすぐ終わる。
私にとって、2022年はとっても充実した1年であった。
3月に通っていた大学の専攻科を卒業した。
学びを深め、充実した大学生活だった。ここで出会った友人たちとは、進路は違えど長期休暇には集まる仲になった。
4月からは、もともとパートで入っていた放デイにフルパートで入りながら、特別支援学校での非常勤の声かけを待っていた。その頃から現場の主を任されるようになり、子ども
視点を「自分」から「子ども」へ
6月から8月の頭まで、すごくもやもやしながら仕事をしていた。
というのも、3月まで働いていた保育士さんが6月から戻ってきたからだ。この保育士さんはまた厄介な人であった。
支援に対する考え方が全く違い、こちらの思いを理解する気さえなかった。
児童発達支援に通う、未就学の子を担当していたが、必要な支援も活動もせず、私たちに丸投げ状態だった。その子が来るまで時間もあり、いろいろ話を聞いていたにも関わ
学校で働くのを辞めると決意した
小学校で働いていた2年前に鬱を発症し、学校で働くのを諦めた。
昨年、特別支援学校へ教育実習に行き、再び学校で働きたいと思った。
まずは非常勤からと思い、放デイでパートをしながら講師の話を待っていたが、この度、
学校で働くのを辞めることを決意した
理由は、簡単だ。
放デイで働くのが楽しくなってきたのと、ここでもやりたいことができる!と思ったからだ。
上の人たちにこの話をしたとき、すぐに正社員
もう一度社会人になった私へ
2年前の6月。私は鬱の診断を受け、仕事を辞めた。教員として、講師ではあったけど社会人をしていた私だったが、社会人を辞めざるをえなかった。働ける状況ではなかった。
死にたかった。生きる意味が分からなかった。私なんていなくてもいいんだ、とずっと思っていた。布団から起き上がることができず、ずっと天井を見つめて過ぎていく毎日。病院へ行くこと以外、外にでることができなかった。
あれから2年後。
私は今、
2021年を振り返って
ゆりかです。もうすぐ2021年が終わりますね。今回は2021年を振り返っていこうと思います。
昨年鬱を発症し、人生のどん底にいました。死にたいとも思ってました。でも、そこから自分を見つめ直しどうすれば自分にとって生きやすいのか、生きる術を得ました。
そして、特別支援についてもっと勉強したい!と思い、免許取得のため、4月に愛知教育大学特別専攻科へ入学。4年ぶりの学生生活。自分のやりたい勉強ができ