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「私、脳に障害があるの」

「私、脳に障害があるの」

私が勤務している放デイに通っている子が、クラスの同級生に言った言葉だ。
活動で公園に行ったとき、たまたまその子と同じ小学校でクラスの同級生がいた。同級生は、周りに私含め事業所の職員がいることを不思議に思っていた。

同級生「どういう集まり?」
子「放デイっていって、障害がある子が通うところだよ」
同級生「(子)は障害があるの?」
子「うん。私、脳に障害があるの。」
同級生「えっ…」

驚いていた。

その子はパッと見、所謂健常児とは変わらない。ただ、勉強ができない、覚えるのが苦手、学習障害であった。

見た目や行動で分かりやすくあれば、理解はできるだろう。でも、分かりにくい障害もある。

学習障害はあまり見えない。だからとても驚いていたのだろう。この子に障害があるとは思えない、と。


私はこのやりとりを間近で聞いていた。
すごく考えさせられた。

障害といえば、足や手がない、目が見えない、耳がきこえない、言葉が話せない、など、見た目や行動で分かりやすいものを想像するだろう。でも、見た目や行動で分かりにくい障害もたくさんある。分かりにくいから「怠けだ」「甘えだ」と厳しく言われることもある。

障害、と難しく考えなければいいのではないかと思う。障害があるから、ではなく、これができないからこういう配慮をすればできるようになるかな、と、簡単に考えればいいのではないか。
クラスの同級生の子も、障害、と聞いたからすごく驚いたのであって、「勉強が苦手なんだ」と聞けばそこまで重く思わなかっただろう。

障害、と診断がなくても、人には皆、苦手なことはある。

苦手なことをみんなで助け合えるのが当たり前な社会になってほしい。
そのために、私は放デイの子たちによく伝えていることがある。
「○○さんは、これが苦手なんだって。だから困ってたら助けてあげてね。」と。

これが広がっていけば、優しい世界が待っているだろう。