ゆりか

教員を2年2ヶ月(支援学校2年、公立小支援級2ヶ月)、放デイで正社員を1年2ヶ月してい…

ゆりか

教員を2年2ヶ月(支援学校2年、公立小支援級2ヶ月)、放デイで正社員を1年2ヶ月していました。 1度休職、復帰後退職。 新しい放デイでパートをしています。 夢は、障害があるなし関わらず、その子がその子らしく過ごせる場所を作ることと、支援者の人材育成のツールをつくること🌷

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病休を経て、私の未来への決意

8月1か月間、病休をとらせてもらった。 この1か月、鬱になった当初以来、自分自身とまた向き合い、これから自分はどうしていきたいのか、思考することができた。 私には、2つの夢がある。 1つ目、前からずっと言っていた、「障害があるなし関わらず、その子がその子らしく過ごせる場所をつくること」である。 既存の学校に合わない子たちの学べる場をつくりたい。いわゆる「フリースクール」だ。不登校になったから来るではなく、ここが合っているからここで学ぶ、という学びの場の選択肢のひとつの場に

    • 初心にかえって、プライドなんてどこかへいった

      1月末に、約2年勤めた放デイを退職した。 そして、9月末から掛け持ちしていた放デイ1本となった。 同じ「福祉」の業界であるにもかかわらず、やり方が全く違う。掛け持ちをしていた頃もあったが、1本になってからはやり方や意識についてたくさん面談を受けてきた。 また、この2ヶ月間で、たくさん指導を受けた。たくさん悔しくて泣いた。「なぜあの人はできるのに、自分はできないんだ」と毎日のように泣いていた。 そんな中で、言われた言葉がある。 「井の中の蛙」 ああ、まさにそうだ。今ま

      • 教育は異業種との連携で成り立つものではないか

        私は、学生の頃、体育の授業が大嫌いであった。 特に、器械体操系は全くといっていいほど、できない。 マット運動、跳び箱、鉄棒、縄跳び・・・。 走ることや球技はそこそこできたが、楽しさは全く感じられなかった。 学生の頃、私が受けていた体育の授業は、技ができた子が褒められ、いい評価をされる授業であった。それも、それぞれのレベルにあった技ができたときではなく、難しい技ができるようになったときである。小学校の先生には、技ができるようになるためのコツなどを教えてもらった記憶がない。ただ

        • 公教育が在るべき姿って何だろう?

          最近、考えることがある。 今の公教育が在るべき姿って何だろう? って 今の時代、公の学校以外にも、学べる場所はたくさんできている。 公の学校が合わず、フリースクールなどで自分に合った学びをしている子もいる。 あえて、公の学校に行かず、フリースクールへ行く選択をする子もいる。 YouTubeで学びのコンテンツを出すユーチューバーも増え、学校の授業よりそっちをみて勉強をする子もいる。 そんな時代である中で、公の学校が存在する意味とは何だろうか。 私は、公の学校がなくなっ

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          私の働き方

          7/31~8/31まで1ヶ月間病休をとることになった。 理由はいろいろあるが、大きな理由としては体調不良。持病の鬱が少し悪化し、寝れない日々が続いていた。仕事を頑張りすぎてしまい、疲れがでてしまった。 復帰は、週2~3のパートで戻る話で進めてもらっている。 夏休みで、行事も多い中、お休みをもらう形となり、申し訳なさと同時に感謝の気持ちでいっぱいだ。 9月から元気に復帰できるようにのんびり過ごしていく🌷 病休とるにあたって、自分の働き方を考えた。 私は正社員として1つの

          私の働き方

          正社員になって1年。たくさんの支えがあっての1年。

          1年前。2022年6月1日。 私は新たな1歩を踏み出した。 放課後等デイサービスで、正社員として働くことを決めた。 あれから1年。2023年6月1日。 正社員になって1年を迎えることができた。 ここまで順調にきたわけではない。 泣いた日もあった。 もやもやをうまく解消できなくて子どもたちに当たった日もあった。 気圧や天気に左右されて、しんどい日もあった。 人手が足りなくていっぱいいっぱいになった日もあった。 やめようかと考えた日もあった。 それでも、周りの人たちに

          正社員になって1年。たくさんの支えがあっての1年。

          「私、脳に障害があるの」

          「私、脳に障害があるの」 私が勤務している放デイに通っている子が、クラスの同級生に言った言葉だ。 活動で公園に行ったとき、たまたまその子と同じ小学校でクラスの同級生がいた。同級生は、周りに私含め事業所の職員がいることを不思議に思っていた。 同級生「どういう集まり?」 子「放デイっていって、障害がある子が通うところだよ」 同級生「(子)は障害があるの?」 子「うん。私、脳に障害があるの。」 同級生「えっ…」 驚いていた。 その子はパッと見、所謂健常児とは変わらない。ただ

          「私、脳に障害があるの」

          2022年の振り返りと来年の目標

          2022年がもうすぐ終わる。 私にとって、2022年はとっても充実した1年であった。 3月に通っていた大学の専攻科を卒業した。 学びを深め、充実した大学生活だった。ここで出会った友人たちとは、進路は違えど長期休暇には集まる仲になった。 4月からは、もともとパートで入っていた放デイにフルパートで入りながら、特別支援学校での非常勤の声かけを待っていた。その頃から現場の主を任されるようになり、子どもたちの様子を見ながら、活動をいろいろ工夫するようになった。 5月に入って、「学校

          2022年の振り返りと来年の目標

          視点を「自分」から「子ども」へ

          6月から8月の頭まで、すごくもやもやしながら仕事をしていた。 というのも、3月まで働いていた保育士さんが6月から戻ってきたからだ。この保育士さんはまた厄介な人であった。 支援に対する考え方が全く違い、こちらの思いを理解する気さえなかった。 児童発達支援に通う、未就学の子を担当していたが、必要な支援も活動もせず、私たちに丸投げ状態だった。その子が来るまで時間もあり、いろいろ話を聞いていたにも関わらず何も準備をしていなかった。 放デイの方にも入っていたが、余計な支援が多く、そ

          視点を「自分」から「子ども」へ

          親孝行

          5月29日 心療内科に通院を始めて、2年経った。 そして、6月1日 放課後等デイサービスで正社員になった。 通院を始めた日。まさか、2年後に正社員になってバリバリ働いているとは考えられなかったであろう。 自分は弱いと思っていたから。 自分は社会不適合者だと思っていたから。 社会的に役に立てない人間だと思っていたから。 親に迷惑をかけ続ける親不孝な娘だと思っていたから。 こんな私でも、正社員として、認めてくれた、居場所を作ってくれた、職場に出会えたことに感謝の

          私の理想の学校は、”放デイ“

          私の夢は、「学校」を設立することだ。 「学校」というと、同じ学年で、1クラスで30人で、先生は1人で、みんな同じことを学ぶ、というものが想像されるであろう。 しかし、私が考える学校は違う。 年はばらばらで、人数は10~15人。先生はたくさんいて、それぞれが学びたいこと、学べることをそれぞれのペースで行っていく。集団活動も取り入れて人との関わり方も学んでいく。 これが私の理想。 ここには障害があるなしは関係ない。 インクルーシブを体現した学校だ。 最近放デイで働いてい

          私の理想の学校は、”放デイ“

          学校で働くのを辞めると決意した

          小学校で働いていた2年前に鬱を発症し、学校で働くのを諦めた。 昨年、特別支援学校へ教育実習に行き、再び学校で働きたいと思った。 まずは非常勤からと思い、放デイでパートをしながら講師の話を待っていたが、この度、 学校で働くのを辞めることを決意した 理由は、簡単だ。 放デイで働くのが楽しくなってきたのと、ここでもやりたいことができる!と思ったからだ。 上の人たちにこの話をしたとき、すぐに正社員の話がでた。 もともと4月から、週5日8時間パートとして働いていた。 仕事内容も

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          もう一度社会人になった私へ

          2年前の6月。私は鬱の診断を受け、仕事を辞めた。教員として、講師ではあったけど社会人をしていた私だったが、社会人を辞めざるをえなかった。働ける状況ではなかった。 死にたかった。生きる意味が分からなかった。私なんていなくてもいいんだ、とずっと思っていた。布団から起き上がることができず、ずっと天井を見つめて過ぎていく毎日。病院へ行くこと以外、外にでることができなかった。 あれから2年後。 私は今、再び社会人として働いている。あの時とは違う職種ではあるが、子どもと関わる仕事であ

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          私の幼少期と心の傷、そして「幸福」。

          ゆりかです。年が明け、冬の寒さを身に沁みて感じますね。 先日大学の授業で、「私にとって“の幸福”」についてグループディスカッションをしました。そして、その授業の最終課題レポートが「子どもを支援する側の心の傷」というテーマでした。この2つについて考えていく中で思ったことがあったので、今回書いていこうと思います。 幸福を語る上で重要となるのが、「幼少期」と「家庭環境」でした。授業の中では、「1番古い子どもの頃の記憶」を打ち明ける場面がありました。私自身の1番古い記憶というのが、

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          2021年を振り返って

          ゆりかです。もうすぐ2021年が終わりますね。今回は2021年を振り返っていこうと思います。 昨年鬱を発症し、人生のどん底にいました。死にたいとも思ってました。でも、そこから自分を見つめ直しどうすれば自分にとって生きやすいのか、生きる術を得ました。 そして、特別支援についてもっと勉強したい!と思い、免許取得のため、4月に愛知教育大学特別専攻科へ入学。4年ぶりの学生生活。自分のやりたい勉強ができる喜びでいっぱいでした。専攻科の人たちは楽しくて優しくて面白い人たちばかりで、入

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          教育実習で受けた配慮、と、これからの私の生き方

          ゆりかです。教育実習が終わり、1ヶ月経とうとしていますが、まだ余韻に浸っています。 今回はタイトルにもある通り、教育実習で受けた配慮についてお話ししたいと思います。 まず初めに、私は職員室が怖いです。それは、昨年勤め鬱を発症した小学校が原因です。 ですが、初めは職員室がトラウマになっているとは思っていませんでした。ですので、大学へ入学した当初は、健康相談といった学校医との面談は利用していましたが、教育実習に対する配慮は必要ないとしていました。 トラウマだと気づいたのは、授

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