私の幼少期と心の傷、そして「幸福」。

ゆりかです。年が明け、冬の寒さを身に沁みて感じますね。
先日大学の授業で、「私にとって“の幸福”」についてグループディスカッションをしました。そして、その授業の最終課題レポートが「子どもを支援する側の心の傷」というテーマでした。この2つについて考えていく中で思ったことがあったので、今回書いていこうと思います。

幸福を語る上で重要となるのが、「幼少期」と「家庭環境」でした。授業の中では、「1番古い子どもの頃の記憶」を打ち明ける場面がありました。私自身の1番古い記憶というのが、正直すごく悲しい記憶です。ほぼ同時期なのですが、3つあります。1つ目は、祖母が家で倒れて家に救急車が来たこと。2つ目は、祖父と祖母が喧嘩してたこと。3つ目は、祖父と父親が喧嘩してたこと。この3つです。
私は両親とはとても仲が良く、買い物に行ったり出掛けたりするし、両親は私のことを1番理解してくれる存在です。しかし、祖父と父親、祖父と祖母がとても仲が悪かったです。前記の1番古い記憶のとおり、いつも喧嘩をしていました。両親のことは好きでしたが、家の雰囲気はギスギスしていることが多かったです。両親は本当の私を見てくれていたが、祖父は真面目で勉強のできる私しか見てくれませんでした。祖父の前では家の中でも自分を出せず、いい子を演じていました。

幼少期の周囲の人も真面目な部分しか見てくれませんでした。周囲からは期待だけされ、「ゆりかちゃんはできるもんね」といい子、優等生というレッテルを貼られていました。本当の自分を出せず、ずっと自分を抑えつけていました。周囲が求める真面目な私を演じていたが、真面目にやっても報われず、やってくれるからといって面倒ごとを押しつけられるようになりました。私って何だろうか、私のいる意味ってなんだろうかと分からなくなっていました。自分を認めてもらえない悔しさでいっぱいでした。

そんな幼少期と家庭環境であった私が今思う「幸福」とは何か。それは
「自分らしく生きていくこと」です。
これまでは自分を認めてもらえず、自分を押し殺して生きていました。そして、これが、私にとって深い心の傷となっていること、自分が心の傷だと思っているものが自分にとって人生のターニングポイントになっていることにレポートを書き進めながら感じました。と同時に、この経験が今の私の支援者としてのあり方を形作っているとも感じました。これから生きていくうえで、この心の傷は消えることはないと思います。しかし、この心の傷はこれから関わっていく子どもたちの支援に大きな影響を与えると思います。
「障害があってもなくてもその子らしい人生を歩んでほしい」
これが今の私の支援者としてのあり方であり、想いです。この想いを大切にこれからの子どもたちに関わっていきたいです。

私は今が1番幸せです。なぜなら、自分らしく生きているから。
皆さんにとっての幸福はなんですか?
ぜひ教えてください。

長々と失礼しました。最後までお読みいただきありがとうございました。