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教育は異業種との連携で成り立つものではないか

私は、学生の頃、体育の授業が大嫌いであった。
特に、器械体操系は全くといっていいほど、できない。
マット運動、跳び箱、鉄棒、縄跳び・・・。
走ることや球技はそこそこできたが、楽しさは全く感じられなかった。

学生の頃、私が受けていた体育の授業は、技ができた子が褒められ、いい評価をされる授業であった。それも、それぞれのレベルにあった技ができたときではなく、難しい技ができるようになったときである。小学校の先生には、技ができるようになるためのコツなどを教えてもらった記憶がない。ただただ練習したり、何回できたかで評価されたりしていた。
中学校にいたっては、できない子はほぼ放置で、できる子だけが先生にかまってもらえていた。できる子だけで固まって、できない子は恥をかくだけ。私は、そんな体育の授業が嫌になり、体育の授業にでているふりをして、授業には参加せず、見ているか、しゃべっているかという感じになっていた。ほかの教科は真面目に受けていたし、テストの点数はとれていたから、何も言われることはなかった。
高校になってからは、体育はほぼ遊びみたいになっていたから、苦に感じることはなく、適当に遊んで過ごしていた。が、自分の身体については特に知ることはなく、身体の使い方は下手くそであった。できるようになったことなんてほぼなかった。

私は自分の身体がどう動くのか、使い方をあまり知らなかったし、イメージができなかった。だから、どうすればできるようになるのか、自分で理解することができなかった。

最近、整体に行き始めて、施術をしてもらうと同時に、身体の使い方を教えてもらっている。整体の先生は、理学療法士の国家資格をもっており、身体についてはプロである。聞いたらすごくわかりやすく答えてくれて、こちらとしてもすごく助かっている。
学生の頃の体育の授業が嫌で、運動の習慣が全くといっていいほどなく、運動を毛嫌いしていた。
そんな私でも、整体の先生に「ここを動かすとここが伸びる」などと、私の今の身体にあったストレッチや簡単な体操を教えてもらうことで、少しずつ運動してみようかなという気持ちがでてきている。
実際、ストレッチや体操はほぼ毎日のペースでできている。自分で調べてできそうなものをやってみたりもしている。今まで全くなかった運動の楽しさを少しずつ体感している。

「ああ、学生時代にこうやって自分の身体について知れたら、少しは運動に興味をもてていたかな」

教員だけで教えるのには限界があると思う。身体についてのプロである、
理学療法士さん、言葉や嚥下のプロである言語聴覚士さん、日常生活からの動きのプロである作業療法士さん、などさまざまな専門職の人たちと一緒になって、子どもたちに教えていく必要があるのではないかと思う。これは障害があるなし関わらずである。教員はやることを増やしすぎで、なんでもかんでも自分たちでやろうとしている。もっと、いろんな業種に任せれば、教員も教員の仕事に集中することができるし、子どもたちの成長にもいいのではないかと思う。私みたいな体育嫌いを生まなかったのかもしれない。これは、体育以外の教科でも同じである。社会全体でこどもたちを育てていくべきである。

私は、教員として学校で働くのは諦めた人間である。しかし、教員とは違った形で教育に関わり続けていきたいと思っている。
子どもたちの成長、これからの人生のために精一杯頑張っていきたい。