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公教育が在るべき姿って何だろう?

最近、考えることがある。

今の公教育が在るべき姿って何だろう? って

今の時代、公の学校以外にも、学べる場所はたくさんできている。

公の学校が合わず、フリースクールなどで自分に合った学びをしている子もいる。
あえて、公の学校に行かず、フリースクールへ行く選択をする子もいる。
YouTubeで学びのコンテンツを出すユーチューバーも増え、学校の授業よりそっちをみて勉強をする子もいる。

そんな時代である中で、公の学校が存在する意味とは何だろうか。

私は、公の学校がなくなった方がいいとは思っていない。公の学校があることで、学びを得られる機会をもてる子だっているからだ。

今の日本では、公の学校に行けなくなると、「不登校」と呼ばれる。果たしてそれは、「不登校」といえるのだろうか?

公の学校へ行けなくなっただけで、環境を変えれば行けるかもしれない。公の学校が合わなかっただけで、自分に合ったところを見つけたら行けるかもしれない。
不思議に思うのが、公教育の方が上のように考える人が多いことだ。

公の学校へ行くのが当たり前という考えを捨てるべきだ。学びの場なんていくらでもある。自分に合った学びの場を見つければいい。公の学校に行けなくなったからフリースクール、ではなく、ここで学びたいから私はここに行くんだ、と。
公の学校とフリースクールは同等だ。


いろいろ書いてきたが、最後に改めて問いたい。

「公教育が在るべき姿は何だろう?」