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浜辺でいろいろと拾った。

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ノートで拾ったお気に入りを置いておきます。
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#エッセイ

【林業の話をしよう】私の仕事は

【林業の話をしよう】私の仕事は

林業の現場作業員である。
山に行って働き、そして休日はプライベートで山に登る。

「いやどんだけ山好きやねん」とよく言われるが、
私は周りの人が思っているほど自分のことを山狂いだとは思わない。

私にとっては山は「好き」の一言で片付けられる存在ではない。

今回は、
山から一体何を教わったのか、私の話にお付き合いいただこう。

新卒でこの仕事を選んだのはサラリーマンしたくなかったからであって山が好

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卵の授業について先生と10年ぶりにお話ししました

卵の授業について先生と10年ぶりにお話ししました

先生とは卒業してから10年ぶりに連絡を取る。
沢山いる生徒の中で私のことなんか覚えていないだろうと、諦め半分でメッセージを送ってみたが返事はすぐに来た。

「お久しぶり、もちろんおぼえていますよ」

思わず声が漏れるほど嬉しかった。状況が状況なだけに文章で説明するととんでもない時間と長さになりそうだった為、電話でお話しできないかと尋ねるとすぐに先生から着信があった。
震える手でスマホを握る。

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女子高生の私が同級生と学生結婚した話

女子高生の私が同級生と学生結婚した話

数学や英語、古典といった勉強が大嫌いな私にとって、副教科は学校生活において最高の気分転換だった。

そもそも副教科のほとんどは美術で占められていた為、3年生にしてようやく始まった家庭科の授業はクラス中が楽しみにしていた。
家庭科の先生は笑顔のかわいい温和な女性で、私は彼女のことをすぐ好きになった。

家庭科室に集められた私たちに先生は言った。

「今からみなさんには結婚をしてもらいます」

皆が口

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母の没年

母の没年

 今年の誕生日を迎え、私は、私を産んだ母が死んだときの年齢となった。以下には、その母にまつわる思い出と感傷を、ただ思いつくままに書いた。

 母は、私が中学校に入ってすぐの4月に亡くなった。白血病だった。死の一年以上前、突然体調を崩して倒れ、長期入院したのち、一度回復して退院したものの、すぐに再発して再入院し、自宅から車で30分ほどの場所にある病院で闘病生活を送っていた。亡くなった当日、学校から帰

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自分の良さがわからなくてもいい

自分の良さがわからなくてもいい

時折、自分の「良さ」がわからなくなる。

「良さ」というのは、才能や魅力、アピールポイントという意味だ。

noteに頂いたコメントなどで褒められて嬉しいなと思うことはあるし「なるほどそう見えるのか」と思ったりする。そしてホロスコープも散々見ているので、理解はしている。

ただ、それが実感としてわからなくなる時がある。

自分の才能に無自覚な人っていうのは、周囲をやきもきさせる。「そんなに出来るの

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withnewsに拙作が掲載されました。

「#2020年代の未来予想図」withnews賞受賞作品が、withnewsに掲載されました。

原文よりラストが少し改訂されています。また編集部により、関連キーワードや写真を追加していただきました。編集の仕事のプロフェッショナルさを感じます。

読んでいただけたら、大変嬉しいです。よろしくお願いいたします。

さよならの都

もう長いこと憑かれている夢がある。
でもそれももう終わる、終わってしまうのだと思う。

もとは中学の頃に友人が見た夢の話で、私に聞かせてくれたのだった。
なのに何度も繰り返し思い出しているせいで、今ではもう自分が見た夢だったような気さえする。
この頃はもうどこまでが友人の見た夢で、どこからが私が勝手に作り出したものなのかも、よくわからなくなってしまった。

あれからずいぶん時間が経ってしまった。

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一生消えなくてもいいくらいの言葉にはまだ出会っていない

一生消えなくてもいいくらいの言葉にはまだ出会っていない

小学生の頃、私の父となった人には刺青が入っていた。両肩から二の腕にかけて丸々と太った朱と藍の鯉、背中にはなぜか河童。当時の彫り師の腕が相当立ったのか。本来なら滑稽にもなりかねないはずの河童が実に雄々しく男前に描かれていた。素肌に直接色とりどりの装飾を纏ったその男が誰のお父さんとも違うことは子供の目にも明らかだった。

新しい父との生活は緊張の連続であった。どうにかしてこの男に取り入らなければ日々お

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聞き上手と人見知り。

聞き上手と人見知り。

仕事を終えたあと、上司のHさんと雑談をしていた。

Hさんがうかつに「〇〇くんは仮面ライダー好きやねんな? 今はどんな仮面ライダーなの?」などと質問をしてきたので、私はすっかり熱を持ってパソコンまで取り出し、画像を出しながらプレゼンしていた。

「今年の仮面ライダーはジオウっていうんですけど、画像がこれです」

私は画像を開いてHさんに見せた。

「顔にライダーって書いてあるやん」

「そうなんで

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歪んだファザコン

父と私はただの「父と娘」だった。
父親のことが大好き!と笑顔で言う友人や、素敵な父親を持つ人が羨ましかった。私は父をただの「父」としてしか見ていなかったからだ。

小学生低学年の頃だったか、父が少し高い場所に私と妹を立たせて、
自分に飛びこんで来い!と両手を広げたことがあった。妹は即座に飛びこんで行ったが私は躊躇した。それを見た父は「怖がらなくていい!そら!」と言ったが私は拒んだ。怖かったんじゃな

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五体満足なのに、不自由な身体

五体満足なのに、不自由な身体

***ブザーが鳴り、幕が上がる***

1.わたしはわたしをインストールして家庭とか社会とかいう舞台をやる物心ついたら、お父さんという人とお母さんという人がいて、わたしはその2人の子どもというものらしかった。

お父さんという人はお父さんというよりも自由奔放に人間をやっているという感じで、お母さんという人は一生懸命にお母さんをやっていた。

お母さんは家族のからだに悪いからと言って、冷凍食品とかレ

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氷河の教え

氷河の教え

「なぜ父は死を選んだのだろうか」
それは若い頃の私の頭を占める大きな疑問だった。

大阪に単身赴任していた父と最後に会ったとき、サインはあった。父の足がパンパンにむくんでいたのだ。
「わぁ、ゾウみたいだよ! それどうしたの、それ。病院に行ったほうがいいよ!」と私は言ったが、父は「えっ、そう?」と、とぼけるばかり。
それから何日か経って、私が通っている漢方の先生に父の足のことについて話してみたのだが

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