#蓮實重彦
人間椅子、「人間椅子」、『人間椅子』
今回は「立体人間と平面人間」の続きです。それぞれが別の方向をむいた言いたいこと(断片)がたくさんあり、まとまりのない文章になっています。申し訳ありません。
お急ぎの方は最後にある「まとめ」だけをお読みください。
人間椅子から「人間椅子」へ
江戸川乱歩の『人間椅子』の文章は朗読に適していると思います。音読してすらすらと頭に入ってくる文体で書かれているのです。特に難しい漢語が使われているわけ
「鏡」という「文字」、鏡という「もの」(「鏡」を読む・01)
「「鏡」を読む」という連載を始めます。江戸川乱歩の『鏡地獄』の読書感想文です。体調というか病状が思わしくないので、この連載は不定期に投稿していくつもりでいます。
◆「鏡」という「文字」、鏡という「もの」
江戸川乱歩の『鏡地獄』の最大の奇想は、鏡ではなく「鏡」という「文字」を真っ向からテーマにしたことだと私は思います。この短編のテーマは、鏡という「もの」ではなく、「鏡」という「文字」だと言いたい
「ここには何もない」という「しるし」
space・空間・空白、sense・方向・意味、order・順序・序列
*「空白・区切り・余白」の捏造
蓮實重彥『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』所収の「Ⅰ肖像画家の黒い欲望――ミシェル・フーコー『言葉と物』を読む」を読んでいて頭に浮ぶのは、英語の「space」と、その語義である「空間」と「空白」です。
簡単に言うと、
・「空間」とは現実の立体に「ある」もの、または「感じられる」もの
で、
わける、はかる、わかる
本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)
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今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。
どの文章も愛着のあるも