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#ほろ酔い文学
もし吉田知子と呑むならば、その機会と境界線を探りはしたが惨敗だった。
先日、年間読書量ゼロの先輩に言われました。
「君は、日本一の読書家だと思うよ」と。
うっすらと私もそうじゃないかと思っていたので今日から名乗ります。
日本一の読書家の私がこんなことを言うのはお恥ずかしいのですが、どっぷりと本に浸かれず、最近は短編や随筆を読んでいる。何が正しいのか分からないまま、フラフラフフフであります。
四十を越えても自己が定まらず、迷いに溢れている毎日が嫌いではない。た
生活を丁寧に感じる事は、時代を経過しても時が戻る事を向田邦子から学んだ。
📚
眠る盃
父の詫び状
先日、私の読書友達から問い合わせがあった。
「開高健と向田邦子が貸出中で借りる事が出来ませんでした」
私は先日、開高健と向田邦子はいいと講釈したばかりだった。
「時代が私を追いかけ始めたね」
その友人にこう答えた以来、なぜだか返事がない。
向田邦子。久しぶりに読みたくなった私は、読書メモを振り返った。
これは、拙い伝え方だが私が最初に向田邦子に出会い「父の詫
いつか、大江健三郎を「味わう」から、「語る」に変化する事を日常に求めたい。
大江健三郎。私の3作品目は大江健三郎初の長編小説。
「芽むしり仔撃ち」
閉塞感の中に、引き込ませる文体。
監禁状態の中の息詰まる生活の中に見えてくる、人間の人間足る真実。
希望だなんだと、物語は一切語っていない。
でも、どうしても続きが読みたくなる。
止まらない。
もっと知りたくなる。
これを23歳で。
歴史背景、戦争。全部関わって大江健三郎の思想の中にあるんだろ
1968年の文学の熱さに少しの嫉妬を覚えるロストジェネレーションの憂鬱
1968文学
四方田犬彦
福間健二
土方巽が知りたくて。何か掲載されている本はないかと調べた。
この本は、1968年から72年までの約5年間の文学アンソロジーだ。
ここに書かれている紹介は、この時代の荒々しさから生まれたものを残しておくべきだと強く感じて編纂しているのだろうと思う。
『批評は絶対支持か、断固粉砕だった。難解さこそ美徳であった。知の権威が問われ、言語の秩序が大きく揺らい
所信表明をするのに必要だったのは、大江健三郎と看護師と大工だった。
死者の奢り・飼育
大江健三郎
私と大江健三郎の出会いの本である。
私の初めての大江健三郎は死者の奢りである。
大江健三郎の商業上のデビュー作。
私が決定的に大江健三郎を好きになった本。
そして、私が読書を通じて進みたい道を理解した本。
その後、私は万延元年のフットボールへと進んだ。
これは、読むと約束した本だった。
どうして読もうと考え、どうして約束したか分からないけれど。
自分の心に
初心に帰る道には、萩原浩と私の20年。忘れられない一冊と忘れられないバストを添えて。
今朝、いつもの通りInstagramを開いた。画面に出てきたその本は、私の忘れられない一冊だった。その人の感想は、
何度も笑いをこらえきれず、涙目に。ユーモアとの絶妙なバランスがまた良かった。
と書いてあった。
やっぱり誰かに笑いを与えている。
それはやっぱり私を初心にさせる。
今週末は私にとって大事な人達に会う日だ。
それは自分の気持ちをあっという間に20年近く戻してくれる大切な時間だ。
私が描く女性論を、いつか三島由紀夫、谷崎潤一郎に語れのるだろうか
📚 #夏子の冒険 #三島由紀夫
私はよく疲れた時に三島由紀夫を読む。
と言いつつ、そんなに多く読んでいるワケでもないし、理解しているワケでもない。
ただ、日本語というより三島の言葉、熟語の羅列の美しさを魅せてくる手法が読んでみろ、感じろ、俺を視よ、と言われている気がして心地よくなっていく。
三島の文体はそれ単体で美しく、ただ読み進めるだけでも楽しいものだと思っている。
今まで、読書に
行動する私が影響を受けたのは開高健とインドの友人
📚 #開高健
裸の王様・流亡記
「行動する作家」として、名が残る開高健。
茅ヶ崎市のゆかりの作家として、市役所でたまたま目にした。
ええ。私現在、湘南在住です。
調べると、邸宅として住んでいた場所が開高健記念館として残されている。
行ってみたい。
行動する男として自称している私は、とても興味をそそられた。
物語は、おそらく「組織としての人間」を描いていると思う。
組織、会