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#伊勢原市
探せない過去最高に埋もれている日々へ
自作において、過去最高の作品というものに出会った人達は、一体どれくらいいるのだろうか。
私には、ハッキリとした過去最高の作品というものが存在する。厳密に言うと、その作品の記憶が無くなりかけていて文体や形も説明出来ない。だが、あの日の自分の頭の中で物語が勝手に浮かんだ感覚と、何を書いていても上手く行き着くという絶対的な自信と、それに準じた快感に襲われたのは、生まれて初めてのことであり、あれ以来味わ
第二回伊勢原素人落語大会で感じる。じゃあこれを書いている俺はいってぇ誰なんだい。
粗忽長屋という演目がなぜか好きである。そそっかしい人間が、自分が死んでいるのに気付かず家に帰っていて、知り合いからお前は死んでるぞと一緒に自分の死体を確認しに行く噺だ。自分の死体を確認した本人は、死体を抱いて帰ろうとする。その最後サゲの部分の言葉、
「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ誰なんだい?」
文章にして読み解いても、現実には起こり得ない事だ。空想をおもしろおかしく話す。想
ヤマドリからのメッセージはKONISHIKIと僕達伊勢原の物語への「待ったなし」
⛰️
山を登る。痩せたらしたかったこと。
標高1252mの神奈川県伊勢原市のシンボル
「大山」(おおやま)
どうしても1人で登りたかった。
1人で何を考え、どう思うか知りたかったからである。
こま参道という、階段続きの道を登るとケーブルカーか、乗らずに男坂か女坂に別れる。
大山はよく雲や霧がかかり、雨を降らすことが多く、阿夫利神社(あふりじんじゃ)があることから別名雨降り山(あめふりやま
今は、今しかない。動かなければと思った。
西加奈子さんの「i」を読了した。
読み始めてすぐに、音楽を消した。
無音で読むのは久しぶりだった。
この小説は、あの事も語るのか。
すぐに理解した。
世界のどこかで、悲劇が起きようとも自分がそこの当事者にならなければ自分の事として考えられない甘い奴。それが僕。
人より不幸の自分の方が、自己説明がつく。
助けになりたい、救いたい。雄弁に語れる。
到底、本当の自己とは分離した自分との対話だ。