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私と言う者(自己考察)

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記事一覧

私にとっての小さな旅の必要性について

私にとっての小さな旅の必要性について

旅をして来た。大好きな東京に3泊4日で気ままな旅だ。
人と会う約束は極力少なくした。
私のこれからの生き方にヒントをいただけそうな方と初対面。
聡明な方で、天然なところがあるとご本人はおっしゃるけれど、
私から見れば、私が形にしたいことを既に始められている行動的な方だ。
私より3つ歳上なだけなのに、聞けばその業界に入ったのは10年前だと言う。10年前と言えば、これからの人生をどういう方向に進んでい

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ギリギリのところで生きてる。

ギリギリのところで生きてる。

幸せと不幸せのどちらでもない場所。
生きている意味を探しながら、
生きる努力、継続する力をつけるため切磋琢磨する。
自分自身の疲弊した心と悲鳴の声が聞こえて、
時にもうどうでもよくなって、全てをそのまま受け止めて、
少しだけ心が軽くなる。
自分のキャパが少しずつ擦り減って行くのを感じ、
時に投げ出したくもなり、嘆きたくもなる。

でも、そんな生活の中にも、断片的な幸せは感じ取れて、
その小さな光を

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淋しくて泣く

淋しくて泣く

急に寒くなって、秋を楽しむ前に冬が来た。
慌てて真冬のセーターをクローゼットから出してみる。
思ったより少なくなった洋服、あっと言う間に衣替えが終わり、
ここ数年、服を買ってないことに気付く。
いつからこの服に袖を通してないのだろう・・・と思いながら、
一応、タンスの引き出しの中にしまう。
今年の冬、これを着ることがあるのだろうか・・・。

寒い季節の到来と共に、私の心も身体も財布の中身にも木枯ら

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何者にもなれない今の私〜潜在保育士

何者にもなれない今の私〜潜在保育士

数年前に報道で子どもへの虐待が大きく報道されていた頃、子育ての中で何故そのような悲惨な虐待が起こるのか、どのような状況が重なってそのような事態になってしまうのかと心を痛め、
児童相談所のこと、一時保護所のことに関する書物を読み漁り、世の中どうなってるんだと、憤りと悲しみに包まれました。

そんな中、私に少しでも出来ることがないかと考え、Twitterの中で密かにささやかれる児童養護施設で暮らす少年

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何者。

何者。

私は何者なのか。
何者になりたいのか。

何者になろうとして
今を生きているのか。

そろそろそれが見えて来ても良さそうな年齢になった。
しかし、依然、分からない。

自分主体の生き方にシフトしようとして約1年。
つまりは、息子達が自立して、一人地元に戻って一人暮らしを始めて1年。
この1年で変わったことは何なのか。

しっかり地面に両足をつけ、おそらく私はこの地が最後の地になるであろうとほぼ確信

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ボタンの掛け違い、私はあの時どうして離婚したのか

ボタンの掛け違い、私はあの時どうして離婚したのか

香港の息子の滞在先での7日間を終える時、
まだ陽が上がる前から窓辺で外の景色を眺めながら
目頭が熱くなる。

近頃の息子を見ていると、何故だか結婚当初のあの人(元夫)を思い出す。
当然だ。その遺伝子はしっかりと受け継がれているし、
今の長男の年齢は、私があの人と結婚した年齢と同じ。

歩く後ろ姿や、美味しいものを食べた時のリアクションなど、
本当にそっくりなのだ。
ビジネスに関する考え方や、対人に

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私の考え(国葬、鬱、お寺について)〜2022.8.31.

私の考え(国葬、鬱、お寺について)〜2022.8.31.

・国葬について
・更年期障害と鬱の薬について
・お寺について

胸が痛いニュースがここのところ続いていて、長引くコロナ禍の先に身近にも感染者が次々と出るなど、更年期障害3年目の私自身、自分を成り立たせるにも精一杯の今日この頃です。
恐らく世の多くの人達がそのような状況下にあり、例えば飲食店などもろにコロナの煽りを受けているような業種からは日々嘆きの声が上がり、比喩のみならず本当に胸が痛む思いです。

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子どもが求める親の姿〜それは大人になるまでも

子どもが求める親の姿〜それは大人になるまでも

両親共働きが普通になって、幼児になるのを待たずに保育園に預けられる子どもが増えた。0歳、1歳児のうちから保育園探しが視野に入れられる時代。しかし、そんな時代に於いても理想のお母さんの持つイメージは変わらないのかもしれない。それは子ども自身が本能的に抱く、温かい存在。
けれど、現実的には母親にも色々なタイプがあって、日々の生活の親子のやりとりの中から、子どもは自分の親を受け入れていく。

私は二人の

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罪の意識と償いの行動

自分を改めて振り返った時、私の中にはいつも
誰かに対する罪の意識を持っていた。
自分が罪深い人だと思うようになったのはいつからだろう。
おそらく、1度目の離婚をした時からだろうと思う。

二人の幼い息子が居たので、息子達に悲しみを負わせた罪の意識。
夫の両親から孫を引き離してしまった罪の意識。
自分の親に心配と迷惑をかけた罪の意識。
そして、夫にさえ、息子達と引き離してしまったという罪の意識。

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母娘のテーマ〜私とはるちゃんとの場合

母娘のテーマ〜私とはるちゃんとの場合

親子のテーマは、きっと永遠に尽きなくて、

それぞれに形があって正解はない。

けれど、子どもが母親に愛されたいと言う気持ちを持つのは、

動物的本能であり生きて行くのに必要な感情だろう。

動物の赤ちゃんは可愛がられる為に可愛く生まれる。

人間にしても同じだろう。

母性本能に関しては、年々、進化しているのか退化しているのか

分からないような社会事情もあるのは危惧されるところだけれど。

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これからの私がしたいこと、そして出来ることは何か〜考え続ける52歳の等身大の私

これからの私がしたいこと、そして出来ることは何か〜考え続ける52歳の等身大の私

私は現在52歳。
最初の離婚から20年以上が経過し、
2度目の離婚から10年以上が経過しています。
なんて人生は長いのでしょう。
人生100年時代なんて言われますが、
折り返したとは言え、まだ半分も残っているのかと思うと
想像もつかない位です。
いかに心身の健康が不可欠か思い知らされます。

50代が見えて来た頃から私は、
いわゆる更年期に差し掛かり、
ちょうど未知のウィルス新型コロナの台頭、

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母と娘と言えども〜娘としての葛藤の日々

母と娘と言えども〜娘としての葛藤の日々

一人娘だからこそ
この苦しさはあるのかもしれない
私に姉や妹がもし居たら
私は自由になれたのかもしれない

母から産まれてきた娘と言えども
性格は似ていない
もちろん似たところもある
他人からすればとてもよく似ていると
思えるかもしれない

母は娘を想い
娘は母を想ったとしても
母も娘もその愛を器用に伝えられない
私達はそんな親子だ

小さい時、母が作った洋服を
私は着たがらなかったらしい
もちろ

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自分を主体に生きてやろう

自分を主体に生きてやろう

自分で自分の進みたい道やこうありたい姿
自分で自分を幸せにする方法

私は分からないことばかりで
いつも迷って悩んで戸惑っていました

けれどある日わたしは自分の背負う大きな荷物を下ろし
身軽に軽快に生きる方法を考える必要性に迫られました

今までのようにタフじゃない
今までのようには生きられない

そんな中わたしが見つけた方法は
自分を主体にする生き方

なんだ
そんなこと当たり前じゃないかと

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継続も力なり。色々な経験もまた力なり。

継続も力なり。色々な経験もまた力なり。

私の職歴は多岐に渡る。

大手電気メーカーの社員として商品管理をしていた頃は、人生の中でも一番の大金を動かしていたと言える。大学に出てすぐの実家暮らしの若い私は経済観念も薄く、バブルが弾けた頃だったけれど、頂くお給料の価値も社員積立の利息の大きさも、ボーナスのありがたさも、育休休暇があることも、何も自分の人生に左右することだとは思っていなかった。

結婚したら仕事は辞めていいものだと思っていた。な

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