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ボタンの掛け違い、私はあの時どうして離婚したのか

香港の息子の滞在先での7日間を終える時、
まだ陽が上がる前から窓辺で外の景色を眺めながら
目頭が熱くなる。

近頃の息子を見ていると、何故だか結婚当初のあの人(元夫)を思い出す。
当然だ。その遺伝子はしっかりと受け継がれているし、
今の長男の年齢は、私があの人と結婚した年齢と同じ。

歩く後ろ姿や、美味しいものを食べた時のリアクションなど、
本当にそっくりなのだ。
ビジネスに関する考え方や、対人に対する振る舞い方も似ている。


私はあの人と5年以上のお付き合いの末、結婚した。
大学1年の学生時代に書店のアルバイト先で知り合って、半年ほど経ってから交際を始めた。学年は2つ上なのだけれど、2浪していた彼と大学の学年は同じだった。お互い、入学して1ヶ月ほど経った春にアルバイトを始めたばかりでの出会いだった。
とても仲が良かったと思う。私はあの人と居て、安心感を感じられた。
私が今でも京都の街が好きなのは、当時彼と一緒に過ごした街だからかもしれない。

幸せな時は確実にあったのに、結婚して間もなくから私は孤独を覚え始め、もうそれは、ハネムーンから帰国して二人での生活が始まった当初からで、今の時代の人たちのように結婚前に一緒に住む環境にはなかったし、お互い学生だし、私は母子家庭で育って厳格な母親の元、門限も厳しかったので、外泊もしたことがなかった。
漠然と、結婚したら幸せになれる、と思っていた私だけど、いざ共に生活を初めてみると、生活のあちこちに感覚のズレを感じ始めたのだ。
新婚当初から不協和音はあった。

それでも離婚なんて考えることもなかったし、私は大学で初等教育を学んだこともあって子育てに憧れ、早くお母さんになりたかったので、そのような方向に進んでいった。
けれど、育児に関してもなかなかそう思うようにはいかず、当時の価値観も今ほど父親が育児に参加する社会の流れでもなく、まだまだ古い考え方だったので、もちろん長男の誕生は喜んでくれたものの、短大の私より2年後に社会人になりその翌年に結婚したあの人にとって、責任感の方が重くのしかかっていただろうと思う。
今、思えば、当然のことなのだ。社会人2年目で結婚したのだから。
彼は、仕事の方に気持ちが8割以上(私から見ると)向いていて、家庭を振り返ると言うより、彼なりの支え方をしようとしていたのだろうと思う。

二人ともまだ若かった。年齢的にも考え方も、成熟していなかったと、今の私なら思う。

それでも母子家庭で育って、いわゆる普通の家族に憧れていた私は、妊娠中も子育て中もワンオペで、実家の母に手伝ってもらったりしたものの母もまだ現役で仕事をしていたので、心の中はとても淋しかったのだろうと思う。
今、子育て支援を考えて保育士をしているのも、その辺りの経験からだろう。孤独の中、子育てをしている人が居たら、寄り添いたい、そんな思いが根底にはある。


こうして、息子を通じて振り返ると、自分たちの離婚の原因は見えてくるし、なるようにしてなったとは思うものの、このボタンの掛け違いだけは後悔してもし切れないもので、今、香港の朝日が登ってくるのを見ながら、あの人が生きていたら今頃・・・なんて、やっぱり思ってしまう。

昨夜、高級な広東料理のお店に連れて行ってくれた息子に、「こんなによくしてもらってありがとう!あなたが居なければ、こんなところに一生来ることはなかった。」と言うと、「おとんがやり残したことをやってるだけや。」と言われ、経済的なことや私の老後のことも含め、長男には負担もかけているな、と申し訳なく思い、やっぱりこれからの私が明るく強く楽しく人生の残りを謳歌しているのを見せる以外に、息子を安心させる方法なないのだな、と実感している。

入籍して1ヶ月の長男は、間違いなく幸せな結婚生活を送るであろうと、二人の交際期間のあり方や、今の二人を見ていて心から思うし、心からそう願う。私は二人の息子達の幸せこそが、私の幸せであり、私の人生のやり直しなのだと思う。


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