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母と娘と言えども〜娘としての葛藤の日々

一人娘だからこそ
この苦しさはあるのかもしれない
私に姉や妹がもし居たら
私は自由になれたのかもしれない

母から産まれてきた娘と言えども
性格は似ていない
もちろん似たところもある
他人からすればとてもよく似ていると
思えるかもしれない

母は娘を想い
娘は母を想ったとしても
母も娘もその愛を器用に伝えられない
私達はそんな親子だ


小さい時、母が作った洋服を
私は着たがらなかったらしい
もちろん私はそれを覚えていないけれど
何らかの主張があったのだろう

父が生きていた頃は、私は父にとても懐いていた
亡き父の面影は今でも心のどこかにしまっていて
けれど当時の母の姿はあまり覚えていない
それが何故なのかは分からない

父が亡くなった後の母を
私はよく覚えている
10歳だった当時の私は
母によく「私の気持ちなんかママには分からない!」と言った

中学生になった頃
母の期待の娘像ではないと認識した
自分でも自分を責めたけれど
何より自分に理解者が居ないと感じたことが
一番辛かった
その頃からだと思う
私はこうして、文字に気持ちを綴って
自分に話しかけていた

反抗的な態度ばかりしていたと
自分では思っている
母はあまり当時のことは覚えていないらしい
私にとって母の言う「常識」が
微塵も理解出来なかった
同時に「中学生らしく」と言う概念も・・・

私なりに親不孝をしていると思っていたので
親孝行のために勉強はした
母の「母子家庭で育てたからと言われたくない」という気持ちに
応えるため
母は弱音の一つも吐かずいつも一生懸命だったから
悲しませるのは良くないとだけは思っていた
当時、京都で一番偏差値が高いと言われる女子高の
特進クラスに合格した
その時の合格を告げる為に並んだピンクの公衆電話だけは
よく覚えているし、やっと親孝行が出来たと自分でも嬉しかった

母は私を厳しく育てた
私もそう感じていたし、母もつい最近そんなことをもらしていた
アンタを厳しく育てたな・・・と

大学生になってすぐの4月、
書店のアルバイト先を親が見つけて来た
それは偶然、自分の趣味と合ったので、
喜んで履歴書を出した
就職先も親の勧める会社に入り、
波風立てずに親を安心させるつもりだった
私の敷かれたレールはそこまでだったのかもしれない

その書店で出会った人と半年ほどしてお付き合いを始めた
そもそもその人は、母が気に入っていた人だった
けれど、長いお付き合いの後、結婚すると伝えた頃には、
母は私にとって納得のいかない理由で反対した
私にとってよくないことが起きないようにと
心配から来たアドバイスだったにしても
母は、同じ会社の人との社内結婚をして欲しかったのだ

反撃をするかのように私は反対をよそにその人と結婚し、家を出た
当時、母との暮らしにも息が苦しくなって来ていた
私は少しだけ、自由になったような気がしたし、
少しだけ、幸せになれた気がした

けれど、その結婚生活は7年で終え、
母の元に帰ることなく、私は息子達を連れて遠くに行った
その後も何度か実家に戻るきっかけはあったけれど
私はいつ何時も実家に帰ることはなかった
それは本能的な理由だったと思う

挙句の果てには新幹線で2時間もかかるところまで遠く離れ、
母はひたすら一人で暮らしていた

私は、その遠い場所から時々、帰省して実家に行った
ホッとする時もあれば、心がざわつく時もあって
必ずやそこは安全地帯ではなかったけれど
年々、別れを惜しむ涙目の母の顔を見るのが辛くなっていった

半年に一回は帰省していたけれど、
新型コロナの台頭で、年末年始さえも帰れなくなった
そんな時、私はやはり
このままではいけないと思った

子どもの頃、理解者だとか安全な場所だとか
そんな風に思えなかったとしても
私の母親はただ一人だけ
自分の年齢が増えるにつれ、
一人で過ごす母の強さを感じてみたり
息子達が自立し、本当に自分が一人になった時、
母を人生の先輩と思うことが出来た
そこでやっと母の近くに移り住んで来たのだ
それから濃厚な1ヶ月が経った

当時の厳しさもきっと
一人で育てる葛藤があったと
今では思いはかることがある
私には娘が居ないからきっと想像に過ぎないけれど
少なくとも母は、私より真面目で私より心配性だ

私と母は性格が違う
だからいつもすれ違うし衝突する
今、70をとうに過ぎて、
いつの間にか立派な高齢者になって
あの強かった母も弱々しくなった
兄姉の末っ子らしい
小動物みたいな繊細なイメージを持つ人になった

なんだか思う
大阪で生まれ育った母は、とても口調が強くて
口が悪い
それを今では笑って流せるけど、
当時の私にはとてもキツかった
でも母には何の悪気もない
ただ私の感受性が強いだけだ
今でも時々そんなシーンがある
そのたびに私はそれを伝える
深刻にならずにサラッと伝える
「そんな風に言われたらね、もうその話したくなくなるよ」

何度となく私は、ここぞとばかりに
母に反撃する
丁寧に伝えているつもりでも
時々内心、イライラしていることもある
聞いている時、母はいつも真顔だ
そして反省する
「私は口が悪いねんな」
何だか私が強くなって、
高齢になった母をいじめているみたいじゃないか?
全くそんなつもりはないけれど、
今の私は口調が強過ぎたのではないか?


今の母は私を頼ることがある
それが時に重たくなりストレスがかかる
母は毎日のように夕食を一緒に食べたがる
今でこそ少なくなったけれど、
最初の頃は毎日「今日、食べるものあるの?」と聞いてきた
最初は受け入れられたのに
1ヶ月もしたら私は、時々しんどくなる
でもとっさに断ることも出来ず、もやもやする

私はここで何がしたかったのか?

自由になりたい
その気持ちだけで離れて行った私が
今こうして、母の残りの人生に寄り添おうと思っているのに
また自分の中のしがらみで苦しんでいる
そして、今度は母を苦しめてしまうのではないかと怖くなる


もしかしたら私は、
母に傷付けられることより
母を傷付けてしまうことを恐れて
長い間、逃げていただけかもしれない
ストレスを溜めた私のマグマは、時々強くなってしまう

一人になると気付くことが出来るのだ
母のこと、自分のこと

明日はもっと優しくしよう
次に会う時はもっと・・・と思うけれど
その時はもう
気まぐれな母はそっぽを向いている・・・笑
そして今頃、今日はつまんなかったな、と思いながら
ぐぅぐぅ眠っている・・・


囚われているのは自分だけだ





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