咀嚼しているか?
日常から拾えることが変わってきて嬉しい。
生活力が上がったというよりは、本来の(自分が望んでいた)生活に戻った感覚だ。
必要以上の買い物(買い溜め)も、絶対にないと困ると疑いさえしなかったアイテムが意外となくても生活は快適にできることが分かり、圧倒的に掃除が楽になった。
たとえば、お風呂マットは大きなタオルに代用できるじゃん!と分かってから使わなくなったり、
歯ブラシ立てはコップの上に置いておけばいいじゃんね。と、単純に“物を減らしたい”というよりも、自分にとって“本当に必要なものは?”という視点になった感じである。
“日常に疑問を持つ”ことができると、これまで無くてはならないと思い込んでいた物が意外な物と代用できたり、「〇〇ねばならない」といった握りしめているものが減っていくので
結果、抱えるべきものが減って軽やかになれる。
そういったことを繰り返していくうちに、物理的な「物」だけでなく頭の中も整頓されていく感覚が出てきて、いつか使うかもと取っていた予備軍な物たちと同様 上部だけの繋がりの人間関係、「いつかまた話すかも」と惰性で繋がっていた
もう話の合わなくなった人たちなどと離れることへのハードルが下がっていき、その分本当に繋がっていたい人、自分にとって必要な人をより大切にできるようになったのだ。
あらゆる面において『本来の自分が望んでいる方向』がクリアに見えやすくなり、一直線にそれらに向かえるようになったと実感している。
楽しい気分や気まぐれな寄り道はゆるゆるとした気持ちになれて素敵だが、自分が疲弊したり嫌な気分になる「間違えた道への寄り道」というものが減った。
この辺りを意図的にコントロールしたい、放って起きたくないと思った理由について
現代は物や情報が簡単に手に入るという便利な面を持つ一方で、要らないものまで“手に入ってしまう”要素も含んでいるため、なんでもかんでもがキラキラした「欲しいもの」に見えてしまことや、みんなが持っているものはなんとなく欲しくなったりということが頻繁に起こるためである。
みんなが欲しがるけれど自分にとっては必要のないものが見えた時に人は一段と豊かになれることを知った、ということも影響しているかもしれない。余計なものを“持ち合わせていない”とは、それほど強みになり得るのだ。
日常を過ごす中でインプットは無意識の間にもたくさん入って来るので、それらを『本当に必要なものなのか?』と考える余地なく、何でもかんでもカタチを理解しないまま飲み込んでしまっていると、いつしか「自分でない者」になっていくのではないだろうかと思う。
本来の自分にはそぐわない知識や情報、エネルギーを丸飲みし続ける怖さは、想像以上に自分の体と心を弱らせていくだろう。
どんなものだろうと、咀嚼した上で合わないものは外に吐き出して飲み込まない=自分はそれを受け付けない、という選択だってあるはずなのだ。
外からやって来たものに対して、どんなものなのか?体感を使って自分で『咀嚼する時間』というものを今一度、大切にしていきたいと思った。
余計な荷物を背負っていないか?今の自分を見つめて、体と心を緩める健康への手立てとは…
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