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お金について考える その2 経済 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

経緯
 その1では、父が持って帰ってきた造幣局が作った貨幣の歴史に関する本がキッカケで、変動相場制、ニクソン・ショック(ドル・ショック)などをリアルタイムで経験しつつup to為替相場まで、これらの激しい変化も全てお金が仮想化されているからしなやかに吸収できているんだなぁと理解。そんな知識整理が人生の早い段階で整い始めたという経緯で、お金について考える時には仮想化ということを何時も意識する様になっているというお話でした。

 今回は、仮想化されたお金というパラメータが日常生活から世界経済まで等しく機能しているという理解のお話です。

 そもそも我が家は、物心が付いた頃から本の置き場で父親と母親が夫婦喧嘩するほど本で溢れていました。私が中学生になる時に兄弟共用の子供部屋を各自の個室にすべく増築したのですが、その時納戸と称して父の書庫も増築されました、しかし応接間兼書斎と化した部屋に平積みになっていた本ですら全て収納できない程でした。
 母親はハードカバーの全集ものには手を出さず、専ら月刊誌、雑誌類を父の居ない時に勝手に処分していました。父が他界してその古い雑誌類の方がハードカバーの全集ものよりも遥かに価値があることを思い知ることになるのですが…

 父の個人的な購読誌は幅広く週刊現代、文藝春秋、世界、文學界、思想、芸術新潮、果ては米国から送られてくるナショナル・ジオグラフィックまでと。
 その辺りはこちらに纏めて有りますので、宜しければお楽しみ下さい。

 しかも父は外資系の会社の秘書畑。定期的な異動で独身時代には広島、私が中学生の頃は大阪に少しだけ、そして本社でも少しだけ総務や購買を担当したようですが、それ以外は秘書室でした。ですから会社で定期購読している週刊誌や月刊誌、加えて建設会社等の取引先の市販されていない社外向け雑誌、広報誌など、果てはどう見ても総会屋対策で買わされているんじゃないかと思われる尖った雑誌も含めて、最新号が届くと廃棄されるものの内目ぼしいものは持って帰って来てくれていました。

 その中には英語版のリーダーズ・ダイジェストや、日経ビジネスや東洋経済等の経済誌なども紛れていました。それらを通して身近なお小遣いやそれでの買い物とは別次元のお金の動きがあることを知るのでした。勿論日々の朝のニュース視聴の恩恵で比較的スッと読めるようになっていたのです。

 経済に関する興味はその辺りから始まりました。
仮想化されたお金というパラメータが、日常的な生活にも、そしてそれとはとはかけ離れた規模の経済にも等しく機能していることに感心していました。

 長い受験対応の時代を抜けて大学に入るとそれらの雑誌を自然に手に取る様になりました。正に砂漠に水を撒く様に父の所属していた秘書室が主に対応する役員レベルの方々がチェックする多様な経済情報を大学生時代に仕入れたのでした。当然、それを通じてお金についての洞察力が鍛えられて行きました。

 加えて私の人生のロールモデルの1人である叔父が私の母校と双璧をなす最難関私立大学の経済学部で学んでいたことも大いに刺激になりました。人事的には根っからの上昇志向の強い人間ということなんでしょうけど、素直にどうせ親に甘えるなら最難関大学で学びたいと思ったのも事実です。

叔父が大学4年生の時は父の元を訪ねて、最新の英語の論文を2人で徹夜して読み解いて居ました。そんな姿を横目で見ていたので尚更経済には興味が湧きました。因みにその叔父は学生運動にも理解を示して居ました。良く建設会社の役員をしていた私の祖父と議論していました。しかも世の中は物騒で三菱重工ビル爆破事件などもあり財閥系企業への学生からの風当たりは強かった時代でした。

 それでもその叔父は順当に経済学部を卒業すると財閥系総合商社に入社したのでした。このことも私の人生に大いに影響を与えました。そう知り得ない

深慮遠謀

 私は理工学部なので経済は専門外でしたが、幸い上述の様な恵まれた環境に居たので経済についてはストレス無く理解を深めることができました。そして役員レベルの方々が扱う最新の経済情報に多角的かつフルセットで多感な大学生時代に触れ続けたことで、将来経営という分野にも関わりたいと漠然と思うようになっていたのでした。

 ということで仮想化されたお金というパラメータが日常生活から世界経済まで等しく機能しているという理解が身体に染み渡ったのでした。

 そしてお金の世界に人生を賭すことに…

つづく



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