2020年6月の記事一覧
「飽きる」ことはちっとも悪くない。
「カナコさんが飽きないように協力する・・・」という謎の意見(多分その人なりの優しさ)をもらったので、「飽きる」について考えている。(暇か
「飽きる」という言葉は、ネガティブな使われ方をすることが多い気がする。
飽きっぽい、三日坊主で終わっちゃう(=物事を続けることができない)、みたいなイメージで、「飽きる」のは辛抱足らないとか、続けるためには「飽きないように工夫する」ことが大事とか、そんな風に
ボケにボケを重ねるスキル
ボケにボケを重ねるのが好きだ。
いや、そうは言ってもなかなかやれるタイミングがなく、自分にはまず「初手を出す」テクニックがないため、「最初にボケてくれる人待ち」しかできない。
そのため、相手からボケてくれないとボケを重ねる幸せな時間は作れないので、本当の意味で「相手との巡り合わせ」となってしまう。
というと、もしかしたら「僕、いつもボケてるんだけど全然カナコさんボケ重ねてくれないじゃないか」
0か100かの極端な話は誰もしていない
コミュニケーションの難しさと、面白さ。
100%通じ合える相手はいないし、本当の気持ちはきちんと言葉にできないし、正しく言ったつもりが微妙にずれて受け取られるし、とにかく人間のコミュニケーションは不完全だな、と日々思う。
というか、不完全で不安定で無駄が多く感情的なのが人間の前提みたいなもの。
(完璧で常に安定していて無駄が全くなく理性でしか動かない100%正解な人間はいないよね)
そんな人
社交辞令じゃない、良い締め方ないかな
社交辞令が苦手だ。
社会人であるので、聞き流すことも容易いし、その場をなんとなくつなぐには悪くない選択であることも多い。
社交辞令を言う人を非難しないし、自分も時と場合によっては言うことももちろんある。(言わないと場がおさまらないとか、他に締め方がわからないという急場しのぎという側面も強い)
ただ、自分が何かを言いたくなった時に、一呼吸おいて「本当にそんなこと言いたいのかな?」と考える癖はつ
コミュニケーションの本質から、「お話」の大切さを考える
お店の相談室として、いろんなお店や事業者さんの相談をお仕事で受けている。
SNSやLINEでのファンづくり、通販サイトへの動線、スタッフもお客様も楽しく過ごせる場の提案、、、、などなど、具体的な手法で実際にやりながら進めているのだけど、一番大事なのはまず、コミュニケーションがうまく取れるかどうかだな、と感じる。
「調整役」とか「コミュニケーション係」とかが、自分には一番向いているんだろうな、と
質の良い睡眠を得るために
話しすぎると眠くなる。
単に、話し続ける=疲れる=眠くなる、という、疲労からの睡眠欲なのか。
科学的根拠があればその原理とか知りたいし、解決できればしたいけれど、調べてもうまく出てこない。
もしかして話疲れて眠いのは私だけなのか。
そしたら残念だけど単に、今、現在、眠い。
接客業をやり出してから、「今日はたくさんの人と話したな」とか「すごく集中して話つづけたな」とかって時は、その後すごく
「東京マッハ」から、初めての俳句。
「東京マッハ」というオンラインの公開句会に参加した。
俳句です、俳句。
まずnoteのこちらの記事から
メンバーによりあらかじめ投句された俳句の中から自分のいいなと思うものを選び・・・
YouTubeのライブ配信で、メンバー内で「どの句が推しか、推しポイントは」などについてやんやいう会を私たちも見る、というイベント。
https://youtu.be/Xcuyhzerm80
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「公園」が親子にとってどれだけ大切か知らずにいた
「公園ってなんの用事があっていくの?」レベルに公園に疎かった私だけれど、コロナ後かなり行くようになった。
散歩に、遊びに。
もちろん、仕事をしていた頃は公園に行く時間がない、というのが主たる理由ではあるけれど、こんなに気持ちよくて、目的もなくフラフラしているだけで楽しいとは思っていなかった。
先日、妹と甥っ子、友人とその息子ちゃんとで、学びの森へ行った。
すごく楽しかった。
2歳ちょっと