空気みたいに生きて死にたい
1日中、打ち合わせとか調整とか段取りとかで話してばかりいると、ふと、自分は何も生み出せていないのではないか?という、ちょっと空っぽな感じがする時がある。
そもそも今、仕事もそこそこしかやっていないし、その仕事もほとんどが「話す」ことに関する仕事なので(コンサルとかファシリテーターとか)、形として何も残らない。残るとしたらこのnoteやサークルや日々の発信に関わる「書く」作業くらいか。
自分は、そういう「空気みたいなもの」で生きていきたいと願って小売店から一度離れてみたはずだけど、なんだか本当に空気みたいだなと思って不思議な気持ちになる。
ふわふわとした実態のなさに、心地よさ、不思議さを感じる。
このまま歳をとって、空気のように世界からふわっといなくなりたい。
空気のようにふわふわと生きて、空気のようにふわふわと死にたい。
お葬式もいらないし、お墓もいらないし、何かを残したいとも思わないし、覚えていて欲しいとも思わない。
「そんな人いたっけ?」ってくらい、軽やかに風のようにいなくなる、そんないつかのことを想像するととても心が安らぐ。
誰も私を覚えていない、涙も流さない、最高じゃないか。
なんてね。
この1年ほどは、(最低限生きていける範囲で)いろんなことをやってみようと思ったので、この空気のような日々も面白がって生きている。
だけど思った以上に時間が奪われるのが、まだまだ自分のやり方を確立できていない証だろう。2時間の打ち合わせを3件入れたらそれで1日がほぼ埋まってしまう。そんなスケジュールの立て方をしているから、「のんびり無職気分」を味わう予定だったのが、なんか色々やってしまっている(けど中身は空気みたいなもの)になってしまうのだ。
とはいえ、今さまざまなプロジェクトが動くちょうど過渡期。
もう少し、頑張ろ。
秋に、旅行いこ。
ふわふわと舞うように行こ。
自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!