ボケにボケを重ねるスキル
ボケにボケを重ねるのが好きだ。
いや、そうは言ってもなかなかやれるタイミングがなく、自分にはまず「初手を出す」テクニックがないため、「最初にボケてくれる人待ち」しかできない。
そのため、相手からボケてくれないとボケを重ねる幸せな時間は作れないので、本当の意味で「相手との巡り合わせ」となってしまう。
というと、もしかしたら「僕、いつもボケてるんだけど全然カナコさんボケ重ねてくれないじゃないか」という人がいるかもしれない。
失礼しました、それは「ボケ」が私に理解できない高度なものか、「ボケ」の相性がちょっと違うのかもしれない。
さらに「ボケてるけどつっこんでくるやん」と思っている人もいるかもしれない。
そうだ、もともとはツッコミの方が得意なのだ、なぜならばツッコミは「答え」だから出しやすいのだ。
ボケにボケを重ねるのは高度だな〜と思う。
正解がないし、意味もないし、その空虚なやりとり自体を「愛している」と思わないと成り立たない。
話をまとめたり、うまく切ったり、切り替えたりするのは常に「ツッコミ」側の役割であり、「ボケにボケを重ねる」と、下手したら永遠に話は終わらないのだ。
その時間の愛し方の問題なのだ。
ボケにボケを重ねることが、空気を吸って吐くくらい自然にできる人は尊敬の域に達するが、やはりまだまだ私はひよっこボケ師。
条件がうまく合致しないとボケを重ねることができない。
心を許している人にしか私はまだボケを重ねられないし、すなわちそれは「嫌われるんじゃないか」とか「変なこと言って場がしらけそう」とか、考えなくてもいい環境である必要がある。
私にとって「ボケを重ねる」行為は、裸の私を受け止めてくれる行為と同じなのだ。
いつかのやりとり。
「マーケット日和に変わる日和したい」
「手にチップ埋め込むマーケット、手にチップ日和やろか」
「身体拡張日和。びよっとけばおしゃれに見えるやら」
「トカゲにリード日和」
「地蜘蛛引き抜き日和」
「キーワードは共感やでね。みんなの記憶に引っかかるのがいいよね。ヒグマ狩り日和」
「大山倍達と武井壮に共感されるね」
いつかのやりとり。
「今昆虫食の流れなの?」
「一周してから乗るタイプやったね」
「大学で尾崎豊とXにハマったでね。みんな中学がピークなのに。今はスラダン」
「平成も終わるというのに。次の元号聞いた?びっくりやよね。」
「小渕さんもう発表した?」
「おぶちん、スカイツリーのてっぺんでホログラムで登場しとったやん」
「ラジオしかないでわからんかったわ」
どうしよう。
最高に意味がない。
文章で書くと空虚も空虚だ。
でもそういうことだ。
私はそういう時間を愛しているし、ボケにボケを重ねられる人を求めている。
今のところ、身近で6人くらいしかいない。
いつかまた、ナチュラルに出会えたら。
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