【脱・二項対立】音楽の〈ハイカルチャー/メインカルチャー/サブカルチャー〉三つ巴モデルを考えてみる
音楽にはさまざまなジャンルがあります。そしてもちろん、それらの音楽に絶対的な優劣はありません。『みんな違って、みんな良い』が理想だし、表面上はみんなそう掲げるでしょう。しかし実際のところは、みんな各立場それぞれ何か不満や問題意識を持っていて『良い音楽はコレだ』『世に知られているコレは悪い音楽だ』『もっと知られるべき音楽がある』というふうに音楽の善悪を決めつけていることが多いように感じます。
ちなみに、そんな時に『すべての音楽が好きだよ、対立の必要なんてない』なんて言う人は、本当にあらゆる分野の音楽のことを知っていて、受け入れられるのでしょうか?そんな人は特殊能力者だと思います。聴くのがしんどい音楽や、理解の及ばない音楽の1つや2つあるはずです。さらに、自分が好きな音楽が、他人にとって興味のない音楽、または苦痛な音楽だった場合どうするのでしょうか。そのようなときに、ひたすら「対立せずに、楽しもう!」とゴリ押しされたところで辛いだけですし、逆に、人に好きになってほしい音楽が全く伝わらないということに苛立ちや不満を持つ人もたくさん存在していると思います。
『みんな違って、みんな良い』は理想だけど、膨大な音楽宇宙を前にすれば、安易に口にできる言葉では無いはずです。考えなしにこれを簡単に表明してしまうのは、申し訳ないですが想像力が足りてないと言わざるを得ない気がします。
さて、僕もメディアの表層にある音楽だけに満足しているわけではまったくありません。しかし、かと言って、いわゆる「音楽好き」の人たちが『もっとこういう音楽を聴くべき』と定義している音楽に必ずしも共感してきたわけでもないので、非常に立場が難しいです。
そういった「浅い音楽/深い音楽」のような、固定化した二項対立の構造や考え方を相対化していきたいと感じていて、今回提唱してみたいのが、三元論的なモデルです。ここでは、
ハイカルチャー/メインカルチャー/サブカルチャー
というふうに分けてみました。音楽に関する様々な考えや分析にあたって、各立場それぞれの根底に無意識に存在してしまっているであろう「こっち側/あっち側」というような二項対立的な意識の前提に換えて、最低限もう少し、このような三竦みの構造くらいは想定したほうがいいのではなかろうか、という提案です。
まずは図をご覧ください。
どうでしょうか。このような構造を念頭に置いて、三項目それぞれを解説していきたいと思います。
・ハイカルチャー
ある程度、歴史のあるジャンルがこれに当たります。「お勉強」として向き合わないといけないような分野で、クラシック、ジャズ、そして往年のロックも今やハイカルチャー化してしまったと感じます。昔のヒット曲や名曲も「懐メロ」としてお勉強対象になっているほか、ヒップホップやクラブミュージックなどの新興ジャンルでも、その開祖のような立ち位置の人々は今やリスペクトの必要があるお勉強対象でしょう。学術的にある程度説明可能であることが特徴だと思います。この分野を絶対的な価値としている人にとっては、現在進行形の若者文化を筆頭として、メインカルチャーもサブカルチャーもまとめて下位だと見做すような傾向があるといえるのではないでしょうか。
・サブカルチャー
こちらは現在進行形で実践されている「マニアック」「アンダーグラウンド」な分野が該当します。とにかく大衆向けや商業的であることを嫌いますが、洗練されていったり成功したりすると「メインカルチャー」となり、叩かれます。また、時間が経てば徐々に「ハイカルチャー」化していき、実績があっても無くても神格化されて崇められるようになる傾向もある気がします。
似たような言葉で「カウンターカルチャー」がありますが、これは特に1960年代後半のロックから出発している限定性の強いニュアンスになってしまう気がします。カウンターカルチャーはとにかく権威に反抗することが美徳のような感じで既存のハイカルチャーが攻撃対象でしたが、今やその若気の至り的な感覚を持つ層が高年齢化してハイカルチャー的な権威となってしまってはないでしょうか。
ロック以外の分野でのサブカルチャーも増殖した現在では、もっぱら攻撃対象はメインカルチャーになり、ハイカルチャーに対しては独特のリスペクトも発生しているような感じもあります。
しかし、傾向としては大きく、自分の考えの及ぶ範囲のみを「良い音楽」「聴かれるべき音楽」と定義し、大衆的なメインカルチャーにはマウントをとるものの、さらに深い音楽や学術的・難解な音楽への考えは及んでいないというような印象です。
・メインカルチャー
一般層に一番認知されており、大衆向けといえる分野です。にもかかわらず、ハイカルチャーからもサブカルチャーからも良く思われていません。その実態は、独立した「メインカルチャー」というものがあるのではなく、あらゆるサブカルチャーやハイカルチャーの上澄みの部分の集合体であるとも言えるでしょう。だからこそ、それぞれの本質的な部分に居る人々からは、「上澄みだけを見ずに“ホンモノ”に目を向けろ!」という観点が発生してしまうのだと思います。しかしながら、実は完成度が高かったり、洗練されていたりするからこそ、一般にも届く「メインカルチャー」たりえている部分もあると思います。したがって、闇雲に攻撃せず、また闇雲に神格化もせず、多角的に捉えていくべきなのかもしれません。
いかがでしょうか。各方面に棘があるような書き口をしてしまいましたが、対立をあおる意図はありませんので、ご了承ください。
「良い音楽」とは結局何なのか。この先の音楽はいったい、どの視点から何を目指せばいいのか。こういうことを考えるにあたって、やみくもに「良い音楽/悪い音楽」を決めつけるような視点を少しでも崩すことができればいいかな、と思っております。
お読みいただいてありがとうございました。
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