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本に向かって走り出す(2023年10月号)

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増点主義

増点主義

 人付き合いには、二つの始まり方がある、と考えることがある。
 一つは、「この人、いい人そう」と好印象から始まる場合。もう一つは、「この人、とっつきにくいな」とネガティヴな印象から始まる場合である。
 どちらの方が、長く付き合っていく上で都合がいいだろう、と考えたとき、私は進んで後者の方を選びたくなる。
 現実の私は、「この人、いい人そう」と思われることの方が比較的多いのだが、それはなかなか辛いも

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うすら笑い

うすら笑い

 『海と毒薬』『沈黙』などの小説で知られる、作家の遠藤周作。彼は小説とともに、膨大な数のエッセイを世に残した。
 このエッセイ群を、今読んでいる読者はどのくらいいるのだろう。
 私は時折、思い出したように、彼のエッセイ集を手に取るが、一部の本を除いて、周りに強く勧めるといったことはしてこなかった。
 理由は、エッセイの中での遠藤の主張が、現代の観点から見て、首を捻らざるをえないものが多々あるからだ

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スペア

スペア

 「お前の代わりは、いくらでもいる」という言葉がある。
 私は一度も、この言葉を面と向かって言われたことはない。
 よく聞く物言いだが、実際に使う人、言われたことがある人は、どのくらいいるのだろう。できれば、どちらの側にもなりたくない。

 私の周囲を見回すと、「お前の代わりは、いくらでもいる」と思ってもらった方がいい、と考える人もいる。ある友人は、「お前の代わりはいない」なんて思われたら、変に期

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人気者

人気者

 先日、所用で久しぶりに、御池通・堀川通付近に足を運んだ。多少時間に余裕があったため、辺り一帯を散策することに決める。
 最初、シンプルに二条城を再訪しようと思っていた。が、いざ実物を目の前にすると、それだけでお腹いっぱいになってしまった。
 どこか別のところにしよう。街路の案内板と睨めっこしていると、歩いていける距離に「神泉苑」という庭園があることが分かる。目的地は定まった。



 道に迷う

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正確さ

正確さ

 自分の名前で本を出している人と話せる。
 これは私が大学進学後、感動して身震いしたことの一つだ。
 この感動は行動となって表れる。自著のある研究者と話す機会があれば、初めて自著が書店に置かれているのを目にした際の気持ちや、直接読者から本の感想を言われるときの感覚など、今振り返れば礼儀がなってなかったなと思えるほど、ずけずけ訊ねていった。

 強く印象に残っている場面がある。それは、先程例にあげた

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無記名

無記名

 先日、手土産を持って友人宅を訪れた。手土産の中身は、自作のツナサンドイッチだ。
 友人は「いつから、こんな洒落たもん食べるようになった」などとぐちぐち言いつつ、フランスパンを齧る。「うまい……ツナが入ってるしな」と、私が初めてツナサンドイッチを食べたときと同じ感想を口にした。
 「まあね」と相槌を打ち、私も自分用に持ってきたツナサンドイッチを食べ始める。



 腹ごしらえが済むと、次は、最近

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古都

古都

 初めてこの地を訪れた観光客のように、京都の街を眺める。これは、私が心掛けていることの一つだ。
 一つの土地に住み続けていると、次第に新鮮さが失われていって、感性が鈍ってくる。観光客の目は、当たり前になりつつある風景の中に、まだまだ魅力が詰まっていることを気づかせてくれる。



 観光客の目を持つと、どうしても目についてしまうものがある。それは、街中のゴミだ。
 その美しさに、つい足を止めてし

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嗜好

嗜好

 鴨川・河川敷での読書は、考えごとをするのに最適である。
 本の中に気になる箇所を見つけたら、一旦視線を紙の上から、前方の川の流れに移す。微かな風の音、威勢のいい鴨の声が良きBGMとなって、ああでもない、こうでもないと、思索に耽る時間は格別だ。



 先日も鴨川読書に出かける。お供は、小説家・柚月裕子の『ふたつの時間、ふたりの自分』。帯文によれば、本書は著者の初エッセイ集であるらしい。その点も

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待望む

待望む

 「晩節を汚す」という言葉を目にするたびに、考えることがある。
 それは、人は生きている限り、変わり続けるということであり、その変化をどう評価するかは、当人や周囲の人によって異なるということだ。
 「晩節を汚す」は、主に周囲の人によって発せられる言葉だ。「あんなことさえしなければ、評価できたのに……」。特定の地点で止まってくれることを望んだ、評価者の言葉。

 ときに、評論家や研究者のなかには、「

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レシピ

レシピ

 食エッセイにはレシピが付き物である。私はそれを、うまく活用できたことがほとんどない。”ほとんどない”という言い方さえ、見栄を張っているぐらいだ。
 このあり方は、邪道だろうか。周りに食エッセイ好きがいないから分からないのだが、レシピを見て実践してみるまでが一般的なのだろうか。それとも、むしろレシピの方が主目的?

 悩んでいても埒があかないので、今度食エッセイを購入した際は、掲載されているレシピ

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XYZ

XYZ

 分かったことにして通り過ぎようと思ったが、できなかった。

 1ページに収まる、この短篇。タイトルは「問題」。
 一読して、この文章がなぜ「問題」と題されているのか、それは分かった。だから、内容の細かい部分はどうでもいいではないか。そう思おうとしたが、気づけばペンと紙を用意して、「XとYは……」と書き始めていた。
 「いまお前は、無駄なことをしている!」。頭はそう忠告するが、指先は止まらない。早

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付録

付録

 数年前。買い物ついでに立ち寄った古本屋。均一棚から数冊(たしか3冊)選び抜いて、レジに持っていく。会計中、周りの棚を見ながらぼーっとしていると、「お客さん」と声をかけられた。

「付録のDVDが付いていないんですけど、よろしいですか?」

 は、はい? 思わず変な声が出る。付録のDVD……? 私が均一棚から取り出したのは、新書数冊だ。雑誌だったら分かるが、一体どういうこと?
 戸惑っているのが、

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化粧

化粧

 しなくてすんでいる事は、「しなくてすんでいる」という事実そのものによって、自覚しにくい。

 私がコンビニでバイトをしていたころ。よく勤務時間がかぶって、レジで横並びになることが多かった、留学生の中国人女性がいた。客が店内にいないとき、よく雑談に興じたが、彼女は時々思い出したように「化粧がめんどう」と口にした。私は高校時代まで、化粧について考えたことなど一度もなかったので、「そう、だよね……」と

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漢詩

漢詩

 ある晩、酒を飲みもしないのに衝動買いした、ホタテのアヒージョ(缶詰め)をちょびちょびつまみながら、同じく勢いで買った『白楽天詩集』を読んでいたら、ふと「俺はいつからこんな人間になったんだろう」と思った。

 唐揚げやハンバーグなど、がっつり目の料理しか受け付けなかった人間が、今ではアヒージョを、しかも自腹で購入している。「缶詰めサイズじゃ、お腹いっぱいにならないよ」と、10代の私がぶつぶつ言うの

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