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ふたつの宇宙空間をみている
ピピロッティ・リスト展、わたしはもう行くのをあきらめていたんです。ところが昨日の二限終わり、ふとTwitterを開くとこんなつぶやきがありました。
これを見てわたしは猛烈な行きたいという気持ちに襲われました。平日の昼間から京都に遠出なんて、不安症で電車が苦手なわたしではありえないことです。それでも、行こうと思ったのです。
案の定わたしは地下鉄に乗るのに苦労します。閉鎖空間として地下鉄は最
わたしはどこにある?―六甲ミーツ・アート2021
また今年も六甲ミーツ・アートへ行ってきた。2021年11月14日。今年は去年よりあまり作品数は見ることができなかったけれど、心に残るものがやはりあった。友だち二人とわたしでワイワイ見回った。
山々を泳ぐ方舟 わたしたちは小屋へ誘われる。大通りから外れた小道を抜けたところに小屋がある。看板には「パルナソスの休憩小屋」とある。満月がわらっているその口の中に「パルナソスの休憩小屋」という文字がある。
【読書感想文】明日のわたしが、このものの中で眠っている
最近わたしは思う。わたしがここに立っている、ここに立って目前にある景色を、わたしは、見ているのではない。読んでいるのだ。わたしが目にするものは、わたしの思考を絡めとりながらわたしの中へ入り込んでくる。目にしたものと、それに絡まった思考は、わたしがなにか思ったり感じたりすることによって、再び目前に戻される。景色は、はじめは景色だけであったものが、今はわたしの目を通しながら、わたしの思考と共にある。
もっとみることばは音となり、文字は絵となる、絵は音である
それがわたしのアイデンティティ?
音で読んで、音で書く わたしはことばを音で読みます。
文を読んでいて、いいひびきのことばがあると、メモをします。それ用のメモ帳もあって、その作業は小学6年生からつづけています。
ことばはそれ単体でいい音のものもありますが、つらなって流れになることで、いいひびきが生まれたり、"間"が姿を現したりして、さらにいい音になることもあります。ことばの聴覚的な長さだけ
ひととものの間に棲む者
日常とおもっている風景に、見知らぬものが住んでいる。見知らぬものは、女子大生の朗らかな笑い声のあいだをすり抜け、影から光、光から影へと渡りあるく。
わたしはその軌跡をたどってみたいとおもいました。今日は一限に大学内の写真を撮りまくるという授業があり、その様子をここに記します。
ここは、女の子たちの笑い声の、裏がわに位置するところです。この絡まりはいつでも着替えることができる。けれどももの
オンライン授業のすきま
オンライン授業について色々思うことがあり、どういう風に書こうかなあと考えていたのですが、この話題は自分の病状が否応なく関わってくるものなので、去年の大変だった時期などを考えると少ししんどくなってしまいました。考えた日の夜に悪夢を見たり、次の日にもしんどさがあったりしたので、これを書くのは今はやめようと思いました。いつか言葉にできたらと思います。そこで、わたしは方向転換をして、直接的にはオンライン
もっとみる他人のPinterestをのぞいてみる
強さについて 強さとはなんだろう、と思います。生まれつき強い人なんていなくて、叩かれて叩かれて硬くなっていく金属のように、なんらかの困難によってそれまでの自分を打ち砕かれながら、自分を強くしていくのでしょうか。強くなることは簡単なことではないと思います。叩かれて、初めに持っていた信念を曲げてしまったり、自分の意思すらも曲げてしまう、そんな中でも自分の信じたいことをひたすら追い求めることが出来る、そ
もっとみるイメージからことばを紡ぐ行為
緊急事態宣言が延長されたことで、オンライン授業も継続となりました。六月のはじめ。梅雨は明けていないというのに、外は痛いような日が照りつけて、それらはわたしにはまぶしすぎたようで、体中のエネルギーを失っています。わたしのカラカラに乾ききった心と身体に、水を注いでほしいです。ひそかに雨にお願いしています。
そんなわたしの苦労と別に授業は淡々と進んでいきます。
今回も授業の一貫で、前回作成したP
好きと言えることはたぶん特別です
わたしは高校生のころまで、自分の意見が言えない人、というよりかは自分の意見がない人でした。好きなもの、趣味もなく、誰かにやれと言われたことをこなすだけで生きていました。今のわたしの姿からは考えられませんが、服にもまったく好き嫌いが存在せず、興味もなかったので母の買ってきた服を適当に着ていました。嫌いな人も、好きな人も存在しませんでした。
だからこそ、今こうして何かを好きと言えることが、とても