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野球が中止になった

 机に自分を従えること、それが一人になれる方法だ。

 わたしの吐息に苦しみが紛れ込んでいる、それでも胸にある苦しみは一向に減らない気がする。そしてその苦しみが何色かも分からない。わたしのものではないかもしれないし、つまり、外的なもの。

 今わたしは人と喋りたい気分だった。こんな状態を「さびしい」というんだろうかどうなんだろうか。よく理解できない感情の言葉がたくさんあるので、わたしは一つの単語で表してしまえるような感情の言葉を気軽に使わない傾向にあるかもしれない。それで、医者にもっと簡単にわかりやすく言えと何度も言われたことがある。まあ、そのような医者はわたしとただ相性が悪いだけである。今は相性のいい医者とうまくやっているつもり。

 なんだか、みんなのことが好きなんだ。みんなの範囲はわたしの心に収まる範囲だからとても狭いけど、みんなのことが大好き。幸せでいてほしい。あなたのお話を聞きたいと思う。あなたの考えていることを聞かせてほしい。そんなことを思いつつわたしと話す人はいない。これがさびしいということだろうか。

 今日は警報が出るほどの大雨で、生きがいの野球が中止になった。野球がないと何があるんだろうと思った。だからせめて自分だけでも、あることにしておく。