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    自分の書いた記事の中からなんらかの展示にいっためぐりめくる記録 未熟でも

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    好きだと少しでも感じるものを逃さずに捕らえていく

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ふたつの宇宙空間をみている

 ピピロッティ・リスト展、わたしはもう行くのをあきらめていたんです。ところが昨日の二限終わり、ふとTwitterを開くとこんなつぶやきがありました。  これを見てわたしは猛烈な行きたいという気持ちに襲われました。平日の昼間から京都に遠出なんて、不安症で電車が苦手なわたしではありえないことです。それでも、行こうと思ったのです。  案の定わたしは地下鉄に乗るのに苦労します。閉鎖空間として地下鉄は最高の空間ではないでしょうか。トンネルに閉じ込められ、さらに電車にも閉じ込められる

    • 崖から落ちそうになって手を延ばして、何の石にも届かず落ちる

       何が楽しいのか。深夜に起きて活動して何が楽しいのか。人が活動していないであろう時間に、もぞもぞと動いている。地面を這っている。これが活動なのか!と思う。一番生きている時間である。一番生きていることを感じられる時間である。わたし以外はきっと死んでいる。  最近わたしは大学を休学している。これはとても悲しいことだと思う。そもそもわたしはひとつめの大学を辞めた時点で、休むとか働いてみるとか、いくつもの選択肢を手にしたはずなのである。それでもまた大学を望んだ。どこでもいいから勉強

      • 写真を受けてわたしが生きさせられる

         先日、京都国際写真祭2022の一環として行われている、KG+ SELECTを見に行きました。既に活躍している写真家というより、これから活躍が期待される若手写真家たちの展示でした。  わたしは普段、趣味で写真を撮っているのですが、自分の行為をただ趣味としかとらえていませんでした。写真は自分にとってただの趣味。表現の方法としては考えたことがありませんでした。だから今までも、写真展があっても惹かれたりせず、写真の前を素通りしてきました。だって、写真は、ただ目の前で起こった出来事を

        • 映画「偶然と想像」 脱ぐことのしたたかさ

           パンフレットを読む前に、まずは自分の感じたことを書いておこうと思う。  この三つのお話は、すべて「脱ぐ」物語だと感じた。そう思ったのは三話を見ているときで、一話と二話みたいに脱がれている……と思った。 1話 : 魔法 脱いだのは芽衣子。はじめから着ていたかどうかは定かではないけれど、タクシーの中でつぐみの話を聞くうちに、着ていたかもしれない衣が浮かび上がってくる。過去が目の前に現れたときに、きれいにすっ、と通り抜けることのできない過去がある。そんな過去が輪郭を見せる。

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          わたしはどこにある?―六甲ミーツ・アート2021

           また今年も六甲ミーツ・アートへ行ってきた。2021年11月14日。今年は去年よりあまり作品数は見ることができなかったけれど、心に残るものがやはりあった。友だち二人とわたしでワイワイ見回った。 山々を泳ぐ方舟 わたしたちは小屋へ誘われる。大通りから外れた小道を抜けたところに小屋がある。看板には「パルナソスの休憩小屋」とある。満月がわらっているその口の中に「パルナソスの休憩小屋」という文字がある。満月はわらっているようで三日月を喰っている。けものだ。  小屋に入るまでも、け

          わたしはどこにある?―六甲ミーツ・アート2021

          【読書感想文】明日のわたしが、このものの中で眠っている

           最近わたしは思う。わたしがここに立っている、ここに立って目前にある景色を、わたしは、見ているのではない。読んでいるのだ。わたしが目にするものは、わたしの思考を絡めとりながらわたしの中へ入り込んでくる。目にしたものと、それに絡まった思考は、わたしがなにか思ったり感じたりすることによって、再び目前に戻される。景色は、はじめは景色だけであったものが、今はわたしの目を通しながら、わたしの思考と共にある。目前にあるのは、思考や感覚などわたしの一部が含まれている景色だ。  それが、世

          【読書感想文】明日のわたしが、このものの中で眠っている

          わたしの読む久保田成子と私

           見るってなんだと思いますか。目の前にりんごがあったとして、それを目でとらえたときに、これはりんごだなって思うことでしょうか。それとも、それをりんごだと認識したうえで、このりんごはよく熟していて赤いなあ、などと思うことでしょうか。  先日、国立国際美術館で久保田成子展を観に行きました。少し日をあけてこの記事を書こうとしていて、わたしは何を書こう、と少し迷いながら書きます、書くことと思います。その逡巡の中で、過去を思い出すこと以上に、過去を現在からどう見るのかを、自分の中では

          わたしの読む久保田成子と私

          ひとり暮らしのデザイン

           ひとり暮らしをしていると、自分がどこにいるのかわからなくなるときがある。ひと部屋の、仕切りのない空間に居座っていると、今いる空間が完全に外の世界と隔絶されて、わたしって本当に地球にいる?と自分自身の存在が不確かになるのだ。そして今いる空間だけがわたしの全世界になってしまう。全世界がわたしであふれて、とくに嫌な気持ちでいっぱいのときなんかは、全世界に嫌な気持ちが充満する。充満した嫌たちは、蒸し返ってぜんぶわたしに返ってくる。自分があふれてあふれてうるさい、というのはこういう状

          ひとり暮らしのデザイン

          ことばは音となり、文字は絵となる、絵は音である

           それがわたしのアイデンティティ? 音で読んで、音で書く わたしはことばを音で読みます。  文を読んでいて、いいひびきのことばがあると、メモをします。それ用のメモ帳もあって、その作業は小学6年生からつづけています。  ことばはそれ単体でいい音のものもありますが、つらなって流れになることで、いいひびきが生まれたり、"間"が姿を現したりして、さらにいい音になることもあります。ことばの聴覚的な長さだけでなく、視覚的な長さも間を生みますよね。わたしはその、ことばがつらなりあって出来

          ことばは音となり、文字は絵となる、絵は音である

          信じたい世界の構築

          信じてくれて信じていたいと思えた たとえ誰もがそれを信じられなくても、わたしだけは信じていたいというものがあります。それはどちらかというと、信じているというよりは "信じていたい" といったかんじです。まだわたしがそれに身を預けてしまっていいのか分からないけれど、それがあればわたしはわたし自身を保てる、わたしのアイデンティティを守ることができる。やがてそれは、わたしがわたし自身を大切にすることに繋がると思うのです。  わたしは、わたしを大切にしたい。  わざわざこう思うのは

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          ひととものの間に棲む者

           日常とおもっている風景に、見知らぬものが住んでいる。見知らぬものは、女子大生の朗らかな笑い声のあいだをすり抜け、影から光、光から影へと渡りあるく。  わたしはその軌跡をたどってみたいとおもいました。今日は一限に大学内の写真を撮りまくるという授業があり、その様子をここに記します。  ここは、女の子たちの笑い声の、裏がわに位置するところです。この絡まりはいつでも着替えることができる。けれどもものたちはこれでいいのだとたたずんでいる。いつも言葉たちを聞いています、それはたくさ

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          オンライン授業のすきま

           オンライン授業について色々思うことがあり、どういう風に書こうかなあと考えていたのですが、この話題は自分の病状が否応なく関わってくるものなので、去年の大変だった時期などを考えると少ししんどくなってしまいました。考えた日の夜に悪夢を見たり、次の日にもしんどさがあったりしたので、これを書くのは今はやめようと思いました。いつか言葉にできたらと思います。そこで、わたしは方向転換をして、直接的にはオンライン授業に関係ないことを書きます、  わたしは去年ちょうど、大学一年生でした。下宿

          オンライン授業のすきま

          他人のPinterestをのぞいてみる

          強さについて 強さとはなんだろう、と思います。生まれつき強い人なんていなくて、叩かれて叩かれて硬くなっていく金属のように、なんらかの困難によってそれまでの自分を打ち砕かれながら、自分を強くしていくのでしょうか。強くなることは簡単なことではないと思います。叩かれて、初めに持っていた信念を曲げてしまったり、自分の意思すらも曲げてしまう、そんな中でも自分の信じたいことをひたすら追い求めることが出来る、それが強さでしょうか。  最近わたしは休憩時間にウォーキングデッドを観ています。

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          イメージからことばを紡ぐ行為

           緊急事態宣言が延長されたことで、オンライン授業も継続となりました。六月のはじめ。梅雨は明けていないというのに、外は痛いような日が照りつけて、それらはわたしにはまぶしすぎたようで、体中のエネルギーを失っています。わたしのカラカラに乾ききった心と身体に、水を注いでほしいです。ひそかに雨にお願いしています。  そんなわたしの苦労と別に授業は淡々と進んでいきます。  今回も授業の一貫で、前回作成したPinterestのボードにサブボードを作成しました。わたしは以前からPinter

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          コシノヒロコ展でじぶんだけが充満する

           ちょうど先週に兵庫県立美術館で開催されている「コシノ ヒロコ展 EX-VISION TO THE FUTURE 未来へ」を見に行きました。 試行を重ねる わたしはひとつ、強く思ったことがありました。自分には試行が足りない、と。思考ではなく試行です。じっと考えていても、今の自分から何かを発展させることは難しいんじゃないかと思います。だから、手を動かし、試してみる。それが本来の考える姿なのかもしれないなと思ったのです。  ちょうど先日、こんな言葉を見かけたばかりです。  考

          コシノヒロコ展でじぶんだけが充満する

          好きと言えることはたぶん特別です

           わたしは高校生のころまで、自分の意見が言えない人、というよりかは自分の意見がない人でした。好きなもの、趣味もなく、誰かにやれと言われたことをこなすだけで生きていました。今のわたしの姿からは考えられませんが、服にもまったく好き嫌いが存在せず、興味もなかったので母の買ってきた服を適当に着ていました。嫌いな人も、好きな人も存在しませんでした。  だからこそ、今こうして何かを好きと言えることが、とても特別なことと思います。誰にでもできることじゃないと思うのです。当然のようにできる

          好きと言えることはたぶん特別です