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ことばは音となり、文字は絵となる、絵は音である


 それがわたしのアイデンティティ?

音で読んで、音で書く

 わたしはことばを音で読みます。
 文を読んでいて、いいひびきのことばがあると、メモをします。それ用のメモ帳もあって、その作業は小学6年生からつづけています。
 ことばはそれ単体でいい音のものもありますが、つらなって流れになることで、いいひびきが生まれたり、"間"が姿を現したりして、さらにいい音になることもあります。ことばの聴覚的な長さだけでなく、視覚的な長さも間を生みますよね。わたしはその、ことばがつらなりあって出来る音楽のようなものが好きで、自分でことばをつらねるときも、まるで楽器を奏でるかのように文章を生み出している気がします。(noteのようなカジュアルな文章ではあまり過剰には行いません)

 ことばの認識の仕方。わたしの母は、小説を読むときは頭のなかに映像が浮かぶといいます。わたしは小説を読んでもそんなことにはなりません。ある人は文字を読んでいると色が浮かぶと言っていました。ことばの認識の仕方はひとそれぞれで、そこに人間の数だけ個性があるのかなと感じます。ひとりひとりが個性を持っているということです。

 その中で、わたしはことばのひびき、音を大切にしたい人なのです。

どうやって作られる?

 ひとつ前の記事で、わたしは言葉を視覚化した作品を作りたいと宣言しました。

 そのような作品を作る際、作るときにちょっとした段階があるのかなと感じました。

 まずわたしは音によってことばをつらねます。
 それらは書くことによって目に見える文字となります。
 そして、文字は意味を排除すれば絵や記号として認識されます。

 言葉の視覚化でつくられた作品でおもしろい部分は、作品が視覚で鑑賞されるときに、ことばが意味を持たなくなることなんじゃないかと思います。

 この作品は、その効果がもっとも顕著に現れているかと思います。まず読めないので。しかし、実際には見たときは読めないんですが、言葉で作っているよ、と伝える足掛かりのために、「地球に浮かんでいるとときどき」とツイートしました。実際の文はこちらです。

 地球に浮かんでいるとときどき、地球のことを忘れてしまいます。この空間が何色をしているのか、わかりませんわたしには見えません。おおきなおおきな瞳を持っていたい、そうおもい月の衣装を好んで着ていたときもありました。一方でわたしは、わたしのこのからだは、ちいさなちいさな痛みだったのです。

 この文を読んで上の作品に返ってみると、見え方が変わったりするんでしょうかどうなんでしょうか。ぜひやってみてください。


 この絵は音から作られているんです、と言ったら絵から音が聞こえてくるでしょうか?

つくるときに意識したこと

 ちいさなことですが、文(詩)や絵のクオリティは気にしない!という意識を持つことです。とにかく挑戦が今は大事なのだと思います。そのためにはたとえ少し悪い出来でもかまわずに作りつづける!

 この意識は今後も持っていたいです。

 クオリティは気にしませんが、考え続けることは止めたくないです。ひとつひとつの作品に対して、考え続けること。作った後も、今のままでいいのか、もっといい方法はなかったか、自分はちゃんと自分でいられているか?(何かに流されて思考停止に陥ってないか)、などを考えたいです。

作品紹介

 プログラミングAの授業でTouchDesignerを勉強しているのですが、それで作りました。動画になっています。気が浮かんだりしずんだり。気分は自分と乖離していることを表わしています。気分につられて自分が変わるのか、自分の意志や意識によって気分が変わるのか。


 雨降る夜に歩いているとき、なんとなく浮かんだ五七五を使いました。背景はp5jsで作成しました。


 これはいままでに試したことがなかった試行で、ことばを書いたときにそのままその時間を写真におさめました。ことばにあるように、みどり色のカーディガンもまっ白の日差しもわたしの指もあります。これが作品としてどう見えるのか、わたしにはわかりませんが、ことばが生まれた時を捉えることができたのはおもしろかったです。


 これは先ほども載せた作品ですね。一連の作品の中では一番お気に入りです。わたしはあまり自分の手で絵を描かないのですが、絵を描くことにも挑戦してみました。この作品を作りながら、構成がうまくなりたいなあ……と思いました。


さいごに!

 前回の記事と今回の記事、あわせて出版編集Aという授業の最終課題でした。

(前回の記事)

 最終課題をおこなう中で、今週体調を崩して全く取り組めなかった時期もありながら、4つの作品を作ることができました。うーん、少ない!笑
 体調を崩して、自分の満足行く部分まで課題を取り組むことはできませんでしたが、自分の行える範囲内で、ことばを見つめること、自分の信じているものを探求することに真剣に取り組めたのはとてもよかったです。

 なにより、授業の課題を普段自分が行っていることにつなげて、さらにより深く考えることができた、それだけでもう素晴らしいんじゃないかと、思いたいです。さらに、今までは挑戦してこなかった、絵や写真にことばを絡ませることにも挑戦することができました。

 ことばを作品の中に閉じ込める、この行為はずっとやりたかったことであり、やってきたことであり、これからも続けていくことです。ここで終わりにはならないということです。


 最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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