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信じたい世界の構築

信じてくれて信じていたいと思えた

 たとえ誰もがそれを信じられなくても、わたしだけは信じていたいというものがあります。それはどちらかというと、信じているというよりは "信じていたい" といったかんじです。まだわたしがそれに身を預けてしまっていいのか分からないけれど、それがあればわたしはわたし自身を保てる、わたしのアイデンティティを守ることができる。やがてそれは、わたしがわたし自身を大切にすることに繋がると思うのです。

 わたしは、わたしを大切にしたい。
 わざわざこう思うのは、自分を大切にできなかった時期があるからです。今まで生きてきて、どちらかというと他人優先で自分を大切にはしていませんでした。自分に自信というものが全くなかったのです。「こんな」自分よりは他人の方がすばらしい人間である、と無意識に思い込んでいました。

 自信がなかったのは、周りがそうさせていたからという事実もありました。わたしは中高とあまりいい環境にいませんでした。中学にいるときは問題が表面化することはありませんでしたが、高校にあがってすぐに体調を崩すと、周りは次々とわたしを裏切っていきました。わたしは周りの人をとても信用していました、そうして心を許していたからこそ行ったもの、言ったことを、まるでなかったかのようにされたり、否定されたりしました。当時のわたしは、自分が悪いから仕方がない、といって自分を責めてばかりいました。でもそれって、本当に自分が悪かったわけじゃないじゃん、自分は何も間違ってなくて、周りの大人たちがおかしかったんじゃないの?と、最近になってやっと、そう思えるようになってきました。

 どうしてそう思えたのか。それは大学に入って、わたしのことを信じてくれる人がたくさんできたからだと思います。新しくできた友だちや先生などです。わたしと一緒に笑ってくれる友だちがいました。そして先生たちからは、わたしが作ったものを褒めていただきました。それら一つずつが積み重なり、結果的に少しの自信ができあがったのだと思います。
 まだわたしは完全には自分に自信を持てていませんが、少しは自分も自分として生きていいんじゃないかと思えるようになりました。自分の人生なのだから、自分が絶対正義でいいんだ、と。たとえ自分が客観的に間違ったことをしていても、自分の人生の中では自分は正しい!と言い切っていい。きっとそうなんじゃないかなと思います。 

言葉の視覚化

 前期の最終課題で、自分の信じる世界を何らかのメディアで構築する、という課題が出されました。わたしはいろいろ考えましたが、去年ある先生から言われた言葉を思い出しました。先生はわたしの作品を見て、「ねじおさんは言葉とグラフィックを一緒に構成した作品を作ってみるとおもしろそうだね」と言いました。例として最果タヒさんと佐々木俊さんのアートワークを挙げられました。わたしは以前からタヒさんの詩がグラフィックになっているものを目にしていたので、なんとなくイメージも思い浮かびやすかったです。わたしもやってみよう、と思ったのです。

 それを言われたのがたしか去年の冬くらいだったと思います。それからというものいくつか試行をしました。

例①

 今のところ一番のお気に入り作品ですがいいねはそこまで多くなかった気がします。しかしわたしは大好きですね。文字含めすべて記号的に見えるので、コンクリートポエトリーっぽく見えて好きです。

ぼくはマーブル。あなたはちょこれいと。
毎日水の中に氷を浮かべるの、一日中じっと見ていても、いつまでたっても氷は溶けてくれなくて。ぽん、と押しても別の面が見えるだけで。泣いているうちに水のほうが氷になっていくの


例②

 これはわたしはそこまで気に入ってないんですが、いいねは多く、いくつかコメントなどの反応もいただきました。どこから読めばいいか分からないところがおもしろいかなあと思います。

宇宙め、とあなたは言った。
宇宙め。
スプレー缶を握りしめ、シューっと栓を引くと、ほとばしるみずうみ。
ああ、なんて狭い、狭いみずうみなんだ。
それでは宇宙をおぼれさせることもましてや死なせることもできない。
ちいさな、ちいさな命だったんだなぁって
わたしたち、このままみずうみにおぼれてしんでしまった。

 今あらためて書き起こしてみると、「シューっと栓を引くと」って日本語おかしくない?「栓を引くとシューっと」が正しいやろ、と思いました。そんなこともあります。

それから

 例を挙げた二つ以外にも言葉とグラフィックの作品はあるのですが、まだまだ数は少なく、「世界」と呼べるほどのものではありません。よって、わたしは最終課題に向けて、世界と呼べるものを構築していきたいと思います。わたしの信じていたい世界は、自分自身であり、自分自身が剥がれた作品であります。その作品も、わたしの持つものが目いっぱい放出される、言葉とグラフィックの組み合わせにします。

 作品を提示する媒体ですが、いくつか悩んでいます。記事を書きながらおもしろいかなと思ったのはNEORTというものです。

 NEORTはメディアアートに特化したプラットフォームで、作品を見る人もメディアアートという枠を通して作品を見る人がほとんどだと思われます。つまり、TwitterやInstagramと違って、メディアアートを知らない一般の人が、他の投稿と同列に作品を扱うのではなく、あくまで作品ははじめからメディアアートとして扱われ、メディアアートとして評価される場だということです。このNEORTと、Twitter・Instagramでの評価や見え方を比べてみたらおもしろいんじゃないかと思いました。

 前期もあともう少し。がんばっていきたいです。