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未来は未来の自分が決める
よかれと思って始めたこと
その時の自分が純粋にしたくて始めたこと
それがだんだんおっくうになり
その時の純粋な気持ちが小さくなってきて
なんだか気持ちが進まない
だけど納められない感じのとき
それでも、今やめたらあの時の思い、過去続けてきたこと全てが何か違うものになってしまう感じがして
ウソだったような、偽善だったような?
そう思われたくなくて、自分もそう思いたくなくて
続けてき
自分に言い訳する人生ほど辛いものはない
どんなに周りからうらやましがられても、その向けられたエネルギーは空虚なもの。その場限りの言葉。
それで内側を満たすことはできないし、それがほしい訳じゃない。
どんなにいい行いをしたところで、動機が人からよく思われたいからということだとしたら、いつまでも満たされない。なぜなら、いつまでもその行為を続けないと認めてもらえないという思いとセットだから。終わりがない。
心からしたいわけじゃなく無理矢
【私の学び】彼からでさえも自分を解放する
恋愛をしていると沼に自らハマりにいっちゃいますね(笑)
それが恋愛だと思っていたから
彼の存在でさえ自分を縛るものだった
物理的というより、なんというか、彼が束縛してくるとかじゃなくて、自分の内側の概念がそうだった
ずっとずっと当たり前のようにそういうステージにいたのかも
でも、それを通して恋愛で学んだのは自分の確立でした
彼に○○と思われないようにとか、彼と○○するために我慢するとか
「ほんとうの自分」の片鱗は実は過去に一時的に体験したことがあった感覚かも
「ほんとうの自分」てなんのこっちゃと昔は思ってました(笑)
どういう状態がそれなのかわからない
誰も教えてくれない
というより、それを表現されている方のニュアンスがどうも自分には漠然としていて、イマイチ自分の状態に当てはめてもよくつかめない
そんな印象でした
今振り返って思うのは、過去にそれらしき体験をしてました!それが「ほんとうの自分の片鱗」かなーと思います。
昔、ごくたまーに感じて
世界は私が感じていることでできているとしたら
うまく説明できないけれど、そうなんじゃないかなーなんて思う
言葉にするのって難しい
物事をどう捉えているか=どう感じているか
その見方で世界は回っている気がする
極端だけどおんなじ世界を生きている人は誰もいない。みんなそれぞれ違う世界を感じて生きていると思う。
例えば、占いもその結果を聞いて、自分がどう感じるか。
期待してる結果だったとして、ほんとうにしっくりくるか。ほんとに?って疑っ
私がハマった「無条件の愛」の罠
よく耳にする言葉
ツインレイプロセスでも出てきますよね
昔の私は、そのまんま字のごとく、彼の全てを受け入れることだと思っていました。
イラッとしても、むかついても、きっと私の課題だからーって、内側に原因を探しに行ってました。
もちろん、だから学べたこともたくさんあるし、それはそれで勉強になったのだけど。
早くサイレント期から抜け出したくて、焦り、自分を省みて。やりつくして思ったんです。
「都合良く扱わないで!」という怒りの正体
嫌われないように、察して忖度して、その相手にとって都合よく合わせてきて
それがつもり積もって爆発する
勝手に我慢して、ほんとうの私じゃない「その都度求められているであろう役割」を演じてきて
もう、都合良く扱わないで!
もっと配慮して!
って思ってしまう。
彼だけじゃなくて、世の中とか、会社に対してとか、職場の人間関係とか、所属しているコミュニティでも。
そりゃそうだよね(笑)
相手
自分が受け入れ「やすい」自分であろう
ここに行き着いた
言葉にするとこれがわたしにはしっくりくるなーって。
もしくは、言葉を少し変えるなら、自分が自分を愛しやすい状態でいようって思う。
自分を受け入れようとか、愛そうとか認めようとか、そういうのも時には払いのけたくなるというか。いつも完全にそうはできないから。
なのでポイントは、比較的という意味の、曖昧さや余白のニュアンスを含んだ言葉。
自分が受け入れ「やすい」自分
自分が
守りつつ取りこみ流し返す
何を守り、何を取りこみ、何を流し返すのか
やっぱりその都度の自分の状態がすべてを決めている、勝手に、無意識に。
その時の自分の内側にあるもので判断がなされる。
まったく同じものが来ても、そのときの自分の状態によって反応は違うだろう。
これは、他者だったら自分との違いは明らかだけれど、自分もいつも状態は同じではないし、毎日変化しているもの、そういうこと忘れていたなー
もっと言ったら、数分違
面倒くさいなーと思うときは見送ってもいい。岩戸開きのタイミングは必ず来る。
「やらなきゃ」というエネルギーは自分への圧力。
それがある意味いい刺激となって、いつも以上のパワーが出るという人ならいいと思う
けど、その自分の声がうるさいと感じたら、一度やらない選択、見送る選択をしてみたときの自分がどう感じるのかを意識的に監察してみると、あたらな発見もあったりします。
向き合わなきゃいけない気がする。。でも。。面倒くさい。。
それは、向き合わずにまだこの状態でいられる状
試行錯誤して自分が心穏やかに過ごせる最強ルールにたどり着いた
なんかモヤモヤすることが起きたときに、自分のために採用することを決めると、重いエネルギーがふわ~っと溶けていくんです。
ずっと、どんな解決法を試してみても必ず勝者と敗者になる仕組みの考え方な気がして。
勝ったら気分いいのか?と考えたときに、なんか違うんだよなーって。もちろん負けたらもっとイヤだしね。
結局勝っても負けてもなんかモヤモヤするし、しっくりこない。それに気付いていたのに、抜け出し方
試練は幸せへの道に続いている
試練ってできれば避けて通りたい
けど、大切なものを脅かされることで、
あー私はこれを何としても守りたい、絶対譲れない願いがわかったりする。
私の大切にしたいものはあれじゃなかった、これだったんだ!!って。
自分の大切にしてるものって、わかってるようでわかってないことが多いから。
これまでのやり方では通用しませんよ、という警告。
ある意味、そのなぞを解いてみよ、というステージアップの関門
過去の自分と統合する。好きやワクワクの方向の先にはステキなことだけしか起こらないわけじゃない。
ある程度癒されると、あたらしい視点で物事を見られるようになります。
すると、少しずつこれまで嫌ってきた過去の自分とも仲直りできたりします。
過去の自分があっての今の私だーー
だからこの道だったーー
と感慨深く思ったりもします。
出来事自体は変わらなくても、すべて納得して許せるような感覚、そんな部分もあったよねーというちょっと恥ずかしいエピソードも認められるようになったりします。
そう、