世界は私が感じていることでできているとしたら

うまく説明できないけれど、そうなんじゃないかなーなんて思う

言葉にするのって難しい

物事をどう捉えているか=どう感じているか

その見方で世界は回っている気がする

極端だけどおんなじ世界を生きている人は誰もいない。みんなそれぞれ違う世界を感じて生きていると思う。

例えば、占いもその結果を聞いて、自分がどう感じるか。

期待してる結果だったとして、ほんとうにしっくりくるか。ほんとに?って疑っちゃうなら、「自分が」そのステージにいる準備ができていないということ。扉は開いていても、心の準備が本当の意味で整っていないことってあるんですよね。

理想化しすぎて、私はそれにふさわしくないと思ってる自分がいる。そして、どうなったらふさわしいと思えるのかも不明で、一生たどり着かないステージに自分を置いてしまっていて。今思うとすごく不思議なことをやってました。そりゃ叶うはずない(^^;

現実が整ってなくて進めないって思っていました。

自分が納得しないと、無理矢理言い聞かせても心がちぐはぐで継続できないんですよね。現実も付いてこない。

なのでグルグルしたら、今内側にある様々な矛盾や葛藤を着地させるために、自分の理想に合った考え方を収集するようにしています。

これまでの私の中にはなかった考え方は、誰かが持っていたりするので。

納得できる考え方が見つかったら、ブレーキをかけるものがなくなるから、100%でエネルギーを向けることができる。だから叶う。

扉は平等に開いています

私が感じていることで世界ができているとしたら、私がふさわしいと思ったものには何にでもなることができる。

誰かに止められても、無理と決めるのは自分。

逆に扉がしまってると感じるなら、誰かが閉じたわけではなく、「自分が」ふさわしいと思えなかったり、自分の基準が厳しかったりしているかも。

ふさわしくない理由はほんとうだろうか?

ふさわしくないと思っている自分を疑ってみよう

カラクリを見破ろう

私が感じていることで世界ができているとしたら、自分を大切に生きていたら、世界から大切に扱われる。大切にするためにちゃんとNOが言えるから、大切にされない現実から適切に距離を置いたり離れることができる。結果として大切に扱われる現実の割合が増えてくる。

世界は、私に冷たいところ、私は受け入れられていない、と感じていたら、優しい出来事が起こっても感じられなくなるんだろうな。

本来受け入れられて生を受けたはずなのに、途中からそれを疑い信じられなくなって、あえて別の価値観のコードへ繋がりを切り替えてしまったから、切り離されたように感じていただけかもしれない。

そうやって世界は、本来、最初から自分の思い通りで、自分の自由意志でできているのかもしれない。

いつでもここ(内側)には強大なパワーが眠っている。

それを思い出すための学びだったとしたらなんて壮大で完璧なプロセスなのだろう~~✨

みなさんのそれぞれの道を応援しています❣️




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