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それぞれの生と死

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周囲のさまざまな生きざま、死にざまについて書きます。
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#人生

終戦から76年、18歳で戦死した兄を想う義母の話

終戦から76年、18歳で戦死した兄を想う義母の話

過去帳に知らない姓の人が。。。私:「おばあちゃん、この人誰なん?」

義母:「腹違いの私のお兄さんや。。。」

家の仏壇の過去帳に見慣れない姓のご先祖様の名前がありました。
義父母と同居してからずっと気になっていましたので、7、8年前に聞いてみたところ、義母が涙ながらに答えました。

捨てられた奥さんと息子(このお話は義母の実の母が義母に話した内容です)

義母の父親には前の奥さんがいたようです。

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亡き父をしのんで三世代おうち映画鑑賞会

亡き父をしのんで三世代おうち映画鑑賞会

めずらしく息子から提案がありました。

「家でみんなで(本人&祖母&私)映画でも観いひん?」

同居の80代義母は糖尿病の持病を抱えています。
コロナの件がありますので、できるだけ外出を避けています。

そんな中、息子は良い提案をしてくれました。映画鑑賞会の始まりです。
リビングのカーテンを閉めて部屋を暗くし、
三世代が、テーブルの上のノートパソコンに向かいました。

鑑賞するのは、義母が生まれる

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父の心のあり方に感謝!私の心が救われた話

父の心のあり方に感謝!私の心が救われた話

1. 一人暮らしが心配になった実家の父もう25年も前の話になります。
母の死後、父(当時64歳)は糖尿病が悪化し合併症で腎臓や目を悪くしました。

一人暮らしが心配になってきた実家の父をどうするか…?

私には弟と妹がいます。全員が実家から遠く離れた別々の土地で家庭を築いています。
話し合いの時、まず弟嫁がこう言いました。

「○○さん(弟の名前)のお父さんであって、私はお父さんとは思っていません

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亡くなる前の接し方に答えはない?末期癌と知らずに逝った母

母が50代で亡くなってから、今年で丸25年私自身が母の年齢に近づいてきました。
会えるものなら幽霊の姿でもいいから会いたいです。そして、心からお礼が言いたい!

お嬢様育ちで、のんびりした性格の母だったそうです。
お見合いの席で父が一目惚れだったとか……
(「笑顔がかわいかった」と父が言っていました)そして結婚しました。

結婚後、母の生活が一変!
私の祖父が社長で、父の姉夫婦と一緒に商売をする家

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亡くなる日にかけてきた電話

亡くなる日にかけてきた電話

一昨年の桜が咲くころの出来事です。

私は午前2時過ぎにスマホの着信音で目が覚めました。
その電話は当時入院中の義母の弟嫁、B子さんからでした。

B子さんは同じ町内に住んでいました。
ご主人は(私の姑の弟)すでに他界、子供はいません。
腹違いの二人の妹とは仲が悪く、結局近所の(遠い)親戚の私が何かと手伝っていました。

16、7年ほど前にB子さんは乳がんを発症し、手術を受けました。

ところが「

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ゴミ屋敷整理で救われた命!

ゴミ屋敷整理で救われた命!

一昨年に亡くなった一人暮らしの親戚、B子さん(姑の弟の嫁)が住んでいた家。
玄関前の庭は、雑草が生い茂りすぎて「森」になっていました。

夏にシルバーセンターに頼んで草刈りをしてもらったのに……
鎌で草や木の枝を切りながらやっと玄関までたどり着きました。

1階リビングは、とてもきれいにしています。
毎週5、6人のお友達が来られて、趣味の手芸を楽しんでいたからです。

ところが……

2階はゴミ屋

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水餃子で祝う母の実家のお正月♪ひいおじいちゃんの話

水餃子で祝う母の実家のお正月♪ひいおじいちゃんの話

母の実家は、親戚が集まる日には必ず「水餃子」を作って食べる家でした。

お正月は日本のおせちも少しはありましたが、やはりみんなで水餃子を作りました。

母方の曾祖父が、中国のお友達から習ったのだそうです。

曾祖父は南満州鉄道(満鉄)の駅長をしていました。

静かで優しいおじいちゃん、目ヂカラはとても強いひとだったと、子ども心に記憶しております。

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曾祖父が

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