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#また乾杯しよう

あなたにとって乾杯とは?キリン×noteで「#また乾杯しよう」投稿コンテストを開催します!

定番の記事一覧

特別じゃないあの日々

「また乾杯しよう」がテーマなのですが、いきなりこの規則を破って「僕と日記」の話をさせて下さい。 多くの人々が普通に生きてきて、おそらく小学生ぐらいの時に「第一の試練」にぶつかると思うのです。その試練とは「みんなが当たり前にできることを、自分はできない」というもの。たとえば、足が速くて運動会で大活躍するクラスメイトがいるし、勉強ができる子もいる。笑いのセンスがあって、その子がいるだけでクラスに何か「面白いことが起こるぞ」と期待される子がいる。 「何かを持っている子が周りにい

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若い頃、「俺は子どもを持たない」と決めていた父へ。

私が「直感」を信じられるようになった夜

「娘さんですか?」 五反田のとある居酒屋。赤提灯がぶら下がっている、いかにもサラリーマンが好きそうなお店で、私は出張に来ていた父とカウンター席で飲んでいた。 「あ、はい。そうです」 ほんのりと顔が赤くなった父が答える。 父の隣に座っていたサラリーマン風の男性が声をかけてきた。父よりだいぶ若く40代前半くらいに見えるその人は、一人飲みのようだ。 「そうですか。娘さんとこうやって一緒に飲めるなんて羨ましいです。私の子どもはまだ小さいんですが、いつかこんな風に一緒に飲めた

初めて自分らしく笑えた日。

「生まれた環境を言い訳にしない」 これは、僕がいつ何時でも忘れないように、 心の中で大切にしている信念。 でも昨日、ある飲み会がきっかけで、 僕の人生の中に、もう一個、信念ができた。 「本当の自分で生きる」 たけひろ シャルコーマリートゥース病。 はい?と思った方、その判断は間違ってない。 こんな病気、聞いたこともないだろう。 僕も初めて聞いた時、 外国の美人な女性を、頭に思い浮かべた。 そう、彼女の名前のような病気こそ、 僕が生まれつき抱えている難病である。

その日が来たら、乾杯しよう。

その日が来たら、私にはビールを奢りたい人達がいる。 その日が来たら、その場所に関係各位様すべての皆さまに、お手元にビールを行き渡らせてそして 「皆さん、本当にありがとうございます」 そう言って最敬礼の後、乾杯の音頭を取って皆で乾杯したい。 いつも顔を合わせる人、ある期間にしか関わらなかった人、顔を合わせた事は無くてもずっと一緒に戦ってくれていた人、もう会う事のない人、これからもずっと関わり続けたい人。 全員にこれまでの労をねぎらって、『ありがとう』とビールをお渡しし

いちごオレで乾杯が、ビールで乾杯になる日までの話

乾杯が好き。 乾杯のあとに飲むビールが好き。 良かったことも辛かったことも、全部ビールにひっくるめて飲む。特に何でもない日でも、「今日もがんばりましたね」って言われてる感じがする。 と書きつつ、実は、結構最近までビールが飲めなかった。 ビールは憧れの飲みものだった。 はじめて憧れたのは、おじいちゃんの法事のあとの会食。小学生だった私は、大人たちの小さなグラスに、瓶ビールがどんどん注がれていくのを眺めていた。神戸のおじさんのグラスにも、1回しか会ったことない遠い親戚のおば

あなたにとって乾杯とは?キリン×noteで「#また乾杯しよう」投稿コンテストを開催します!

【10月7日更新】 審査結果を発表しました!以下の記事リンクからぜひご覧ください。 ・・・ キリンとnoteがコラボして、「 #また乾杯しよう 」というハッシュタグで、「乾杯」をテーマにした投稿を募集するコンテストを開催します! ここ半年で、世の中はガラッと変わりました。これまでのように、どこかに集まって気軽に乾杯をすることが難しくなった今だからこそ、改めて人とのつながりを見直す機会がつくれないかと思いました。 そこで、これまでの乾杯の中でとくに印象に残ったエピソード

noteの賞金で妻の夢が少しだけ叶った話をしますね

友人のビストロに皆で集まったのは、仲間内で2番目に若く1番目にだまされやすいマリオ君が万馬券を当てた日だった。 配当金を出し渋るマリオ君に対峙するはビストロのオーナーにして頭キレキレの料理人、悪党エドガワ。悪党エドガワはマリオ君を口車にのせる。それはそれは乗り心地よく。 悪党は、店で一番利益率が高いシャンパンをセラーから出しながらマリオ君に語りかけた。 「あのね、あぶく銭は泡に代えちまうくらいが一番いいんだよ」 その夜、悪党の店では結構な数のシャンパンが空いた。 ◇

さよならのバックパックがくれたひと夏のこと

ご自愛なんてほど遠い毎日でも、発泡酒とからあげクンはやさしい。 東京の終電に揺られるのが日常だったある日、コンビニ袋をぶら下げて帰宅すると部屋の前に男がうずくまっていた。 薄汚れパンパンになったバックパックに、穴のあいたジーンズ。雨で濡れた道路をまばらな車が通りすぎる以外、静けさが夜を包んでいる。 通路の白熱灯の点滅にあわせ頭の中でアラームが鳴る。それと同時に、男が顔を上げた。懐かしい声が響く。 「おかえり~」 声の主は、旧友のKだった。日焼けした肌は記憶の彼よりも

夜空の下には僕達しかいなかった

部活はテニス部。都内の男子高に通い、部活をして帰る。 それだけで腹がへる。1日4食から5食。金がない。 おまけにテニスラケットのガットがすぐ切れる。僕の何も考えないプレイスタイル。ひたすらハードヒット&ハードスピン。ガットがすぐ切れる。今のような耐久性のあるポリエステルがなかったので頻繁に3,000円前後の張替費用が飛ぶ。金がない。 バイトをしたいが、テニスもやりたい。腹が減るがテニスもやりたい。 時間がない。 とりあえず夏休みの間だけバイトをやることにする。 テニス部の練

働くことを考えるのが息苦しいこの時代に、僕は仕事を仕事にした~転職エージェントという仕事~

候補者が金に見えるんだよ 10年前、僕はそんなことを言っているクソ野郎だった。 いや、実は今の人材紹介マーケットにいるエージェントの中にも、心のどこかでそう思っている人は少なくないのではないだろうか。 自分は少なくともそう思っていた。 最初の成約は今でも覚えている。 発狂しそうなくらい嬉しかった。自分の支援で企業が成長出来ると思った。 最初の面談も鮮明に覚えている。 自分がこの人の人生を左右するんだと思うと、足が自然と震えた。 ただ段々とそんな気持ちは薄れていった

八朔の月に、希う

 遺骨を抱いていた。二十歳の夏だった。  葬儀終了後、斎場前のだだっ広い駐車場にて「ちょっと一服してくる」とのセリフと共に父さんから手渡された骨壺はまだほのかに温かく、いやむしろ熱いくらいで、両腕にはずしりと応える重みがあった。  これが、骨になっちまった人間の重さか……。  脳天に響かんばかりのセミのトレモロをBGMに、棺に入ったばあさんの新雪のように白い顔が曖昧模糊として脳裏に浮かび上がっては、またすぐに消えてゆく。  父方の祖母、希。享年七十六。  五十代の

第一話 ジントニック

​晩酌を夫婦で楽しむ「晩酌日和」という漫画を描いていこうと思っています。 よろしくお願いします

それは君となら迷わぬ今日を

----------------------------------------------------------------------------------- 2020年 5月 TOTALFATのShunくんにオープニングアクトをやらせてもらえないか、 と、連絡をした。 新しい体制でいきなり長尺のワンマンをする前に、 自分たちを試せる場が欲しかったのが正直なところ。 「メンバーに確認するよ。」と通話を切ったものの数分後にはレスポンスがあって、すぐに出演が決まった。

結婚の挨拶

6年前の秋、父と夫が初めて顔を合わせた。 堅苦しくならないよう、けれど、なんとなく落ち着いたところがいいかなと相談して、昼食の時間に和食の料亭を予約した。 私たちは10分ほど前にお店に着いた。街路樹の前で、ぽつりぽつりと話しながら父を待つ。お店の中で待っとくって言えばよかったね。大丈夫?トイレ先行っとく?とか、そんな感じで私ばかりがしゃべる。少しおどけてみたけど、「そういうのやめて」という言葉にピシャリと遮られた。夫は視線を落とし、足元にあった枯葉を、くしゃりと踏む。そわ

レバレジーズを退職します/人材紹介の最前線で見えたITエンジニアとして長く生き続けるための傾向と対策

 本日8月26日、レバレジーズ最終出社でした(8月末退職)。レバレジーズではメディアシステム部部長としてエンジニアリングマネージメントを中心に担当した他、レバテック技術顧問としてエージェントの専門性向上などを担い、ITエンジニアのキャリアについて接したり深く考える機会が多くありました。写真は最初の勤務地のヒカリエと、現在のスクランブルスクエアです。  退職理由などについてはここ数年情シスの長としてレピュテーションリスクの観点から監視する側だったので特に書きませんが、代わりに

麒麟と蝶々とロシア人。そしてヨーグルトとコンビーフ。

すこし昔の夏至の夜。 まだ一人で暮らしていた頃の話。 大好きな映画をつらつら斜め見しながら写真データの整理をしていた。アカデミックな夜ふけ。そんな夜ふけにインターフォンが鳴った。 いきなりベルが鳴るのはおかしい。僕の知人であれば来る前に連絡があるはずだ。しかも時間が時間だ。もう日付が変わろうとしている。 ここは少し威圧感をかもし出しながら対応するべきだ。はいどなた?と麒麟川島のような低い声で返事をしてみる。すると大変あやしげな声が聞こえてきた。 「エミちゃぁん…?」

キリンとnoteで開催した、「#また乾杯しよう」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2020年8月5日から約1ヶ月開催した、「乾杯」を切り口にしたエピソードやメッセージを語る「#また乾杯しよう」投稿コンテスト。期間中(8/5-9/9)には、4,209件もの作品をご応募いただきました!乾杯にまつわる想いあふれるエピソードが詰まった素晴らしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 審査会にて、審査員である島田彩さん・しいたけ.さん・大西正紀さんの3名と、キリン編集部による選考の結果、下記のように受賞者が

「幸せになるのが苦手」が終わるまで

集合写真に映る僕の笑顔は、いつもどこか引き攣っている。 お祝いされる側だと、さらにぎこちなくなる。 他人から祝福されるのは嬉しいのだが、申し訳なさも同時に感じてしまう。 自分が幸せになっていいのだろうか? 素直に祝福を受け止められる人間になりたい。 僕の性格を変えたのは、妻との出会いがきっかけだった。 野外映画での初デート 雨が止まなかったら、妻との関係もそこで終わっていたかもしれない。 まだ付き合ってもいなかった頃、彼女を野外映画に誘った。 河川敷の橋棚にスクリーンを映

いつか乾杯できるその日まで

二十歳の誕生日。 その夜に僕は初めてビールを飲んだ。 大好きなおじいちゃんと。 中学のときからそう決めていた。 初めてのお酒はおじいちゃんと。 無論、僕はおじいちゃん子だ。 実家から一駅先にある母方のおじいちゃんの家。子供のころは少なくとも月2回は訪れていた。 母や父、弟たちはおばあちゃん家と言うが、僕だけはおじいちゃん家と呼び続けている。 僕のおじいちゃんはよくお酒を飲み、よく飯を食う。有名企業でバリバリ働き、定年を過ぎても70才まで働き続けた。 サラリー

きれいなひとみ

「いつまで寝てるの〜!」 2020年7月25日、4連休中の昼下がり。ソファの上に、肩をゆすっても地蔵さながらびくともしない夫がいた。 すやすやと眠り続ける様子はまるで眠り姫のようで、潔くすらある。登山やキャンプを愛するアウトドア派の夫にとって、外出自粛はかなりこたえるのだ。生気を吸いとられてしまったらしい。わたしまで呼応して、死んだ魚の目になっちゃいそう。 しかし、夏の部屋はいい。風に揺れるカーテン、蚊取り線香のにおい、くるくる回る扇風機の羽、炭酸水の泡がしゅわっと消える

酒飲みは月見をしない

「月が綺麗ですね」を私が言うなら「晩ごはんどうする?」だと思う。Twitterで見かけたとある講座のお題へ、そう勝手に答えてみたことがある。 酒を愛しているからだ。夜は自宅で食べるなら缶ビールを、酒場へ行くならグラスをぶつけ合いたい。晩ごはんを共にしたいと思った君ならば、酒との蜜月を過ごすひみつの酒場だって、愛してくれる。酒は幸せの入り口だと信じてやまない酒呑みのエゴが出て、あの酒場へ引っ張っていってしまう。 ・・・ 月島に東京三大煮込みの名店がある。酒飲みの諸先輩方な

海外に長く暮らすということ

一体どれほどの人が、海外に長く暮らしたことがあるだろうか? 旅行や短期の滞在はあっても、家を借りて、近所のスーパーで買い物して、近くのカフェで店員と顔なじみになる人は、そんなにいないと思う。 でも実は、海外に長く暮らさないとわからない感覚がある。 21歳の半分を過ごしたベルリンの小噺。 冴えない留学と小さな豊かさ僕は、2019年の9月ドイツのベルリンに飛んだ。大学生活の中でも一大イベントだった。大学入学早々英語の試験を受けまくり、志望動機書を何度も書き直して、やっと手

僕は泣きながら、教授におしぼりを何枚も何枚も投げつけたことがある【実話】

僕は、大学に9年間通った。 留年とかではない。 学部生として4年間、修士課程で2年間、博士課程が3年間で計9年間だ。 修士課程と博士課程の間は、大学院生を略して院生と呼ばれ、各自のテーマを研究しながらも研究室の後輩へ実験方法を伝授したり、相談事に乗ったり、夜な夜なボーリングに行ったりするマルチな活躍が期待されていた。 僕は院生時代には、上記の期待に応え、自分の研究を進めつつ、それ以外に嬉々としてやっていたことが一つある。 それは、色々な研究室を横断した飲み会を開くことだ。

ボクはまだ夏 キミはもう秋

ボクはまだ夏 キミはもう秋 せめぎあいの暦 ボクは昨日の次の日 キミは明日の前の日 おっとり とか せっかちとか 地道とか 活発とか 巧遅とか 拙速とか そのまま とか 性急とか そういう違いとはたぶん異なる もう陽は短くなり始めている 夏至と冬至の中間へと向かってゆく 夏は暑くて開放的で楽しくて夏の風で 秋は心地好く憂い 爽やかで秋の風で ボクはまだあつい キミはもう涼む ボクは いまも夏 キミは でも秋 せめぎあう暦 ん ? やっ

このままずっと濡れていたいの...

あと... もうわずか数日で 2020年の夏が終わる。 私は、 つい先日... 大学3年の夏の終わりの出来事を ふと思い起こしていた。 その.. ちょうどこの時期の早朝のこと... 当時のカレと私は、 大学の仲間たちと 新宿で夜通し遊んだ後、 始発でカレのアパートに帰るところだった。 最寄駅に降り立ち、 お互いに眠気でフラフラになりながらも しっかりと手を繋ぎ 歩いていると・・ 急にひどい土砂降りに見舞われたのだ。 いまだかつて 経験したこ

積み重ねた日々、不器用な乾杯

幼い頃から、人生は「本当」を探す旅だった。 ずいぶん大人になってからも、本当の目標とか本当の人生とか、そんなものを見つけたくて必死だったように思う。 そんな調子がつづき、迷子のピークを迎えた29歳のときに決めたのが海外へ行くことだった。 すべての段取りが整ってから家族に報告した。父は驚きと呆れが入り混ったような声色で言った。 「何?アメリカ行くやと? おまえもう30になろうもん なんば言い出しよっとか」 お父さん、話があります。 私がそう切り出したから、てっきり結婚宣

記憶に刻んでゆくために

遥か孤島から。 みなさん、いかがお過ごしですか? 昨日は、日本とのやりとりも仕事もなかったので、 久しぶりに、パソコンやスマホの電源も切って、 静かな孤島での時間を満喫していました。 そういう時は決まって、 ボトルワインとグラスを手にして浜辺に出かけます。 波の音をBGMにしながら、水平線を借景にした特等席。 心地よい風と、柔らかい日差しを受けながら、 「一人で乾杯」することが至福の時間なんです。笑 この場所に来てからは、ずっと一人。 だから、日本にいた時のように、

あら、筋がいいわね。

下駄の鼻緒が切れた。 僕は下駄とか着物とかを身に着ける生活をしているので、日常のなかで、下駄の鼻緒が切れた。という現象が起こる。 下駄の鼻緒が切れると、下駄を捨てるか、下駄の鼻緒のすげ替えという選択肢がある。 すげ替えるという選択をする。 僕の住んでいる街の、昔の街道沿いの履物屋をがらがらがらがらがらと開ける。 すいませんーーーすーーーーーいませんーーーーすーーーーいませーーーん こんにちわーーーーーこんにちーーーーわーーーーーすーーーいませんーーーー あのーーーー

友人にお尻を見られて泣き笑いした日

2019年、滴状乾癬という病気になった。簡単に説明すると、全身に赤い発疹ができ、皮膚が剥けるという病気だ。 この病気のやっかいなところは、明確な原因や根本的な治療方法が判明していないということだ。 この病気を発症してから、身体中にじわじわと発疹が広がり、1ヶ月たった頃には、私の全身はなめらかな部分を見つける方が難しくなった。頭皮から足の甲まで私の身体は乾癬で覆い尽くされた。 治療法がないわけではない。完治させる方法がないだけで、症状を抑える薬があった。ただ、その薬の効果は

第二話 モヒート

夏はモヒートが飲みたくなります。ミントたっぷりで。

「 約束のエアハイタッチ 」

一面の窓ガラスに、たっぷりとした陽の光を浴びて木々の緑がきらきらと揺らめいている。 あぁ、夏だ。 そう思わせるには十分すぎるくらいの、こぼれそうなほど眩しい日差し。クーラーのよく効いた涼しい室内でそのきらめきを眺めるのは、この季節ならではのしあわせといえるだろう。 ・・・ 「………ということで結びに、逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます、なんていう有名な歌がありますが、幸福のさち、ではなく、仕事の仕に合わせると書いて〝仕合わせ“と読むこの言葉には、めぐりあわ

記憶力のよいキミと物忘れがひどいボク

──── 「生クリーム買って来てくれた?」 あっ、と言ったぼくに妻の呆れた視線が向けられる。 「また忘れたの? いいよ、牛乳でなんとかするよ」 コンロに火をつけながら手際良く冷蔵庫を探り、鍋に投入。 「昔からもの忘れが多いけど、最近特にひどいよ。大丈夫?」 いつもはトゲのある口調も今日はマイルド。 だって今日は、ぼくの40歳の誕生日だ。 普段は買えない食材をワイワイ言いながら二人で調理する。網戸に張り付いた蝉の声に負けないくらい、フライパンの中からジュ~っと美味しそ

初恋を飲み干した日

20歳になった瞬間、初恋の人が目の前にいた。 ずっとふわふわして、「これは夢かな?」と何度も現実をさまよった。 夢のような出来事は、同級生のS君と連絡先を交換したのが発端だ。 S君は同じ高校のクラスメイト。ともに1浪した。高校には“補習科”と呼ばれる、浪人生を対象とした学科があった。私もS君も初恋の人(Y君)も補習科で1年間受験勉強に励み、晴れて同じ大学に進んだ。 S君は気兼ねなく皆と明るく話す人で、特に仲が良いというわけではない。同じ大学に進んだが、学部は違った。大

ビーチサンドを庭で踏む /裸足のきせつ

真っしろ サラサラのビーチサンドを花壇に敷きつめる 足裏にじかに 感じるのはその 白さだ 地球そのものの一部を肌そのままに 感じる 統一された白一色に痛覚も痛点も反応しない 記憶されるのは心地好さと その流れた時間 夏の雲が 秋の雲に近づいてゆく 夏の雲は 秋の雲にのみ込まれてゆく 細く ちぎれ模様 横に細長い純白が夏の雲だ 何層にも厚く 何層にもグラデーションを持つ 何層にも天候を生み出すものが秋の雲 秋の雲は変わりやすい 現代人ごころのように こ

教え子と飲む酒が1番おいしいんだ

拝啓 暑い日が続きますね。T先生、お元気ですか? クール宅急便、届きました。先生の手作り野菜、500kmの距離を旅してきたんですね。いつもありがとうございます。 子供たちと一緒に開けたら、カラフルな夏野菜がたくさん。思わずみんなで『おぉーーーっ』と叫んじゃいました。 先生から野菜をいただくようになって、もう6年くらいかな?年々、種類が増えますね。 このあいだ中学の同級生から聞きましたよ。「T先生の畑、どんどん広くなって本格的だよ」って。次回帰省したときは、先生の畑を

お前らの、パッとしねえ青春の果てに

2007年の夏の終わり頃、僕は缶チューハイを飲みながら、戸山公園の地べたに座り込む毎日を送っていた。 当時の僕のバイト先は法律予備校の出版部門で、そこでライターのような仕事をしていた。時給制のライターという謎の身分だったこともあり、執筆は当然として、下版に至る全ての工程の手伝いをやらされたりしていた。 法律予備校という場所柄、そこには宿命的に法曹(裁判官・検察官・弁護士)を志す若者が集っていた。ただ僕はというと、法曹を目指す志も動機もなかったので、「学生時代一応勉強してま

Behind the Scenes of Honda F1 2020 -ピット裏から見る景色- Vol.05

皆さん、こんにちは。Honda F1マネージングディレクターの山本です。今回Scuderia AlphaTauriと、そしてガスリー選手と一緒につかみ取った勝利はHondaにとっても私自身にとっても非常に特別なものでした。ぜひともこの機会に自分の想いを語らせてもらえればと思い、この回を担当させてもらいました。 ―今のHonda F1があるのはAlphaTauriのおかげこの勝利は、他のメンバーやファンのみなさんと同様に、本当にうれしくてうれしくて、少しでもこの喜びをみなさん

成り上がりパート主婦の連ドラ企画があるんですが、9/1のマツコ観てもらうのが早いです!

お知らせ。こちらのnoteの主役・小早川愛さんが2024.7.5(金)20時からEテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」に出演。 🌱NHKプラスで見逃し配信あり 🌱7/11(木)昼12:15再放送 それ連ドラになる!打ち合わせで「友人のこんなエピソードがあるんですが」と話して、「それ(脚本に)入れよう!」となることがよくある。ネタのストックを持っておくのは、脚本家の強みになる。 ネタに事欠かない脚本家と言えば、映画『嘘八百』『嘘八百 京町ロワイヤル』を一緒に書いている足立紳さ

ビールでコミュニケーションを起こす!?「喫茶ランドリー」の「補助線のデザイン」のヒミツを解説!

コロナ禍の「喫茶ランドリー」レポートを書いてから約3ヶ月が経ちました。 メディアはコロナ一色ですが、その後の喫茶ランドリーも変わることなく11〜18時で営業をしています。喫茶周辺の住宅街も、日常のざわめきを少しずつ取り戻しはじめ、最近では地域の方だけではなく、遠方からのお客さんも少しずつですが戻ってきているように思います。 合わせて、先日はアコースティックライブやアクセサリーづくりワークショップなどが開催されたりと、イベントごとに使われるシーンも復活してきました。本当に嬉

「いましかない」一時帰国のありがたさ。(1965文字)

 コロナ禍がいまだおさまることなく、上海に戻る目途も立たないままで、もうすぐ日本滞在も7か月目。 そんななか、初めて父と二人で飲みに行った。 居酒屋でのむこと自体、何年ぶりだろう。店内の消毒、換気、ソーシャルディスタンス対策は万全に取られているけれど、人が集い、気分よく酔い、笑顔で語らう。居酒屋という場所は以前と何も変わらない。  私はずっと父が苦手だった。 結婚して25歳で家をでるまで、実家でお世話になっていたけれど、話しやすい母と違い、しかめっ面で怒りっぽい父とはなかな

ウケた後のビール

この世で一番好きな乾杯は?と聞かれたならば、我々お笑い芸人はみんな口を揃えて言うだろう。 ”ライブでウケた後のビール” お笑いライブがなくてもビールはおいしく飲むが、我々芸人はお笑いライブでウケた後のビールがこの世で一番うまいことを知っている。これがまあうまい。食べたことはないが船の上でその場で捌いて食べる刺身よりもうまい。 「ウケた」と「ビール」は、 「あじさい」と「かたつむり」 「オーバーオール」と「大食い」 「おばあちゃん」と「おじいちゃん」よりも相性がいい

もう乾杯しない

「飲みに行こうぜ」 そう誘ったその瞬間は本気で行きたかったし、心から楽しみにしていたのに、いざ当日を迎え、約束の時間が近づくにつれて 「嘘ついてでも行きたくねぇ…」 と、なってしまうアレは一体なんなのだろうか。 行ってしまえば絶対に楽しいのはわかっているのに、家を出るギリギリまでドタキャンの言い訳を考えてしまう。 これは僕だけだろうか。いや、これを読んでくださっている皆様にも似たような経験があるはずだ。あるに決まっている。 この性分には随分と前から悩まされていたのだ

母親に伝えたいこと

どうにもこうにも自動的に 母親になれるものだと思っていた。 まして私は助産師だ。 子どもを1人産むことで、 この仕事にも深みが生まれる と思っていたし、 自身の出産育児で得た知識や経験を、 さらに伝えていくことができる、 なぁに、最高じゃないか と豪語していた。 沐浴、授乳、育児のノウハウは 仕事でたくさん経験している。 出産もイメージできている。 だって私は助産師だ。 私はいわゆるできちゃった婚で夫と結婚し、 夫婦2人の時間もままならないまま バタバタと籍を入れ、結婚

思春期なんかに出会わなければ

朝4時から支度をして、ろくにものを食べることも叶わず、祖父母や従姉妹の家に挨拶に行き、水気の多い雪でぬかるんだアスファルトに下駄を置いて母に傘を差してもらいながら、髪飾りと付け毛で重くなった頭をぐらぐら揺らしてたどり着いた成人式会場にはすでに見知った顔たちの晴れ姿がひしめいていて、それぞれに、これと選んだ振袖の柄が舞い歓声が響き渡り、すでに疲労の限界に差し掛かりつつあった私の感覚もその空気に飲まれて精度が取り戻されていくのを感じた。私は随分と大振りの髪飾りを頭のてっぺんと頸の

40.妻へのラブレター

僕は妻と飲むのが好きです。 付き合う前も、付き合ってからも、よく二人で飲みに行きました。 もちろん結婚してからも、よく二人で飲みに行っています。 今はコロナだったりを気にして頻度がかなり減りましたが、それでもたまに二人で飲みに行きます。 家の近くにカウンターだけの小さなレストランがあります。 近くで働いていたり、近所に住んでいる方しか来ない、常連さんだらけのお店です。 4年前に就職と同時に上京し、たまたま見つけたお店です。 4年前、初めて行ったときも、妻と二人でした

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ロンドン流パブのお作法

いつかまたあの国で紅茶を飲みたい

写真を整理していたら昔の旅行の写真を見つけました。 それらを見ていたら記憶がどんどん蘇ってきたので旅行記のようなものを書いてみました。 約8500字あるので15分~20分ぐらいかかると思います。 お暇なときにどうぞ。 ぬめりとした汗鉄格子の中には窮屈そうに6.7人の男が立っていた。暗くて表情が読めない。 ドルを渡す。餌付けではない。両替だ。 タカが返ってくる。当然足りてない。 これ足りてないんだけど。と突き返す。 すると数人で話し合った後、面倒くさそうに紙幣を自分の胸ポ

流転のグラスを鳴らせ【エッセイ】

朝、たった1分の差でバスに乗り遅れた。仕方なしに一旦帰宅、5km先の駅までチャリで行くことにした。 セミの鳴き声がシャーシャー降り注ぐ中、風を切って颯爽と走行するも、駅に着く頃にはもうすっかり汗だくだ。マスクの中も蒸れる。 あぁ、マスクか… こんな真夏の時期にまだマスクをしているなんて年始の時点では想像だにしていなかった。でもこれが現実。私達はいま疫病の影と隣合わせに生きている。 人との密は避けろだとか、週の半分はリモートワークだとか、上からの通達はおりてくれども、経済活

Memories of you

雑居ビルの地下への曲がり階段を下る。 そこには小さなジャズバーがあった。 13年 、、通ったであろうか……。 扉を開けると 気さくなマスターとジャズの音楽が出迎えてくれた。 ♪Memories of you (Benny Goodman) ここに来る時は音楽の趣味が一緒の女友達とふたり。 当時、 お目当てのポップスターをはじめ、頻繁にポップス系ライブに行っていた。 そして決まってその帰りに立ち寄った。 取り立て ジャズが好きな訳でもなかったが、ただただ落ち着い