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友人にお尻を見られて泣き笑いした日

2019年、滴状乾癬という病気になった。簡単に説明すると、全身に赤い発疹ができ、皮膚が剥けるという病気だ。
この病気のやっかいなところは、明確な原因や根本的な治療方法が判明していないということだ。

この病気を発症してから、身体中にじわじわと発疹が広がり、1ヶ月たった頃には、私の全身はなめらかな部分を見つける方が難しくなった。頭皮から足の甲まで私の身体は乾癬で覆い尽くされた。

治療法がないわけではない。完治させる方法がないだけで、症状を抑える薬があった。ただ、その薬の効果は個人差が大きいこと、そして副作用があることを医師から聞かされていた。
実際、薬を飲むと経験したことがない頭痛と、繰り返す嘔吐に苦しむ日々だった。

もう少しだけ辛かったことを書かせて欲しい。

私を見て、からかってくる人もいた。あの時の言葉は一生忘れられないと思う。深く深く傷ついた。
もちろん、心配してくれる人のほうが大多数だったが、半袖を着た私を見て「あんまり肌を露出しない方がいいよ」という言葉をかけてくる人もいて、その優しさから来る言葉にも傷ついた。

「私は醜いのだ」と感じ、この身体と生きていくのだろうかと毎晩泣いていた。

こんな暗い話を、嫌がらずに聞いてくれる人がいた。その1人は友人のYちゃんだった。Yちゃんは、いつも明るくて人生を楽しむのが上手な人だ。新しい場所に出かけたり、素敵なお店を調べたり、おいしいものを食べに行ったり、アクティブでいつも私を笑わせてくれる友人である。

副作用が苦しい、また乾癬が増えた、治らない、一生治らなかったらどうしよう

弱気で、暗い妄想ばかりを話す私をいつも励ましてくれていた。
違う話題で盛り上がった後、ふと突然発作のように悲しみを吐露する私を「大丈夫大丈夫」と励ましてくれていた。ただ、どんなになぐさめてもらっても、私の心が穏やかになることはなかった。

ある日、彼女の家で遊んだ日のことだった。人目を気にして「外よりも家で」という私の希望から、彼女の家で、飲みたいお酒と食べたいものを買って、映画を見た。

簡単に乾杯をした後、食事をして、映画を一本見終わった頃、私がいつも通りなんの脈絡もなく「乾癬が治らないかもしれない」と弱音を吐き始めた。

「綺麗に治らないかもしれない。」
「特に今服で隠れているお尻が酷い」

など、いつもと同じ悩みをならべて、何度か励ましの言葉をもらった時だった。

Yちゃんが「どれ」といいながら、私の後ろに回ってズボンに手をかけた。一瞬何が起こっているのか状況がつかめなかった。Yちゃんが私のズボンを下げて、私のお尻を見ていたのだった。状況がのみこめず何も言えずにいると、

「大丈夫大丈夫!これくらいだったらきれいに治るよ!」

と言って笑っくれた。

これがどんなに嬉しかったか、どうがんばっても伝えられない気がする。醜くて、誰にも見せられないと思っていた部分を、見てくれる人がいて、きれいになるよと言われたのが、私にとっては最高の励ましだった。

その時は「なにしてるの」と言って笑ったけど、家に帰って思い出し笑いをして、嬉しくて泣いて、ああきれいに治るのかもしれない、と思えた。

実際、2020年の今では、乾癬の跡も綺麗に消えて、あのときの心配は喜憂になった。新しい乾癬はできているけど、前とは違う心持ちで迎えられている気もする。

あの頃を思い出すと、まだ少し泣けてしまう。でも、Yちゃんにお尻をみられたことも一緒に思い出して笑えてくる。また落ち込む日があるかもしれないし、Yちゃんが落ち込む日もあるのかもしれない。そんな日はきて欲しくないけど、その時はまた乾杯して、笑ってやりすごしたい。

読んでくださってありがとうございます!