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記憶に刻んでゆくために

遥か孤島から。


みなさん、いかがお過ごしですか?

昨日は、日本とのやりとりも仕事もなかったので、
久しぶりに、パソコンやスマホの電源も切って、
静かな孤島での時間を満喫していました。

そういう時は決まって、
ボトルワインとグラスを手にして浜辺に出かけます。

波の音をBGMにしながら、水平線を借景にした特等席。
心地よい風と、柔らかい日差しを受けながら、
「一人で乾杯」することが至福の時間なんです。笑

この場所に来てからは、ずっと一人。
だから、日本にいた時のように、
誰かと乾杯をするなんてことも無くなりました。

でも、だからこそ、
僕はこの「一人での乾杯」の中で、
今までの多くの人々との交わりを思い返しては、
自分にとって大切なことを再確認しているんです。

この投稿を毎日見ていただいている皆さんは、
すでに僕が相当なお酒好きだと、思われていることでしょう。
でも、僕にとってはとても大切な時間なんです。

せっかくですので、

今日はそんな僕とお酒、、、

いや「乾杯の話」でもしましょうか。


少しだけ、
お時間をいただければと思います。



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「乾杯」

それは僕にとっては、
世間一般的に思われているように、
楽しい宴の始まりのための「儀礼的な合図」では決してありません。

「乾杯」といえば、その文字の通り、
本来はその盃を飲み干していく行為なのかもしれませんが、
僕にとっては逆なんですね。

僕は、いつだって人とお酒を交わした時には、
乾いた自分の心、未熟さも含めて、
そこに人との交わりの中で得たもので自分を潤し、
空っぽな心の盃を満たしてきました。

人から人へ、大切な何かを移していく。
忘れられない時間を記憶していくための合図。
僕にとっては乾杯とは、
そんな大切な行為なのだと思います。

それは、決して忘れたくないその瞬間を
シャッターを押して記憶に刻んでゆくような、
そんな行為に似ているのかもしれません。

そうやって、僕はその言葉の響と共に、
人生の大切な思い出を自分に刻み続けてきました。



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僕がこの孤島に来る前、
世界各国を放浪していたことは、
いつも僕の投稿を読んでいただいてる皆さんには、
すでにお話をしていることだと思います。

そんな世界の国々を訪れながらも、
やはりそこには「乾杯」を通して得た、
人々や文化との交わり、その中で得て学んできたことが
数多くあるんです。


フランスで、偶然出会ったパリの女性がいました。
彼女と共にしたワインの味は今でも忘れられません。
魅力に満ち溢れた彼女は、日本の文化をこよなく愛する人でした。
遠く離れたフランスの文化と日本の文化の共通点や、
人生、芸術についてまで。
生きていく上での根源的な話をしてくれました。
ワインを通じた学んだ、忘れがたい時間。
パリジェンヌの視点で、女性の口説き方まで教えてくれたけれど、未だ実践には至っていません、、、笑


また、場所は変わって、イギリスの煉瓦造りの古いパブ。
ロンドンの金融会社に勤める紳士とも出会いました。
彼とは、スモーキーで味わい深いスコッチを、
歴史の重みを感じる空間の中で共に味わいました。
アナリストの視点で、今後の経済への見通し、
これからのデジタル金融の可能性を僕に熱く語ってくれたな。
懐かしい。
あれから数年経ちますが、
今思えば世界金融はそうした方向に動こうとしています。
彼は今頃、どんな思いでそのスコッチを味わっているだろうか。


韓国へはIT関係の仕事で、しょっちゅう行っていたけれど、
その度に、チャミスルを飲みながら韓国のエンジニアと仕事の話で熱くなった。
気がついたらグラスを放り投げ、あの緑色の小瓶を両手に持ち、飲みつぶれた。また、思いついたように海を見たくなり、遥々ソウルから釜山まで移動して、夜の海雲台(ヘウンデ)ビーチで朝まで酔いつぶれていたことも。
当時、一歩先を行っていた韓国のITやデジタル技術を羨み、チャミスルのその甘さに複雑な気持ちになったものです。

僕の世界の人々との交流や思い出は、
その「乾杯」の言葉の中に、その多くが凝縮されているんです。



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でも日本語での「乾杯」は、
ちょっと違うんですね。

単純な感情では割り切れない。

とても複雑な気持ちが、
日本語で口にする「乾杯」の響きの中にはある。

僕自身、今日までの半生を日本で過ごしてきた中で、
その悲しみも、苦しみも、喜びも、感動も、
全てをそこに注ぎ込んできたからです。


初めてお酒を飲んだのは幼き頃、
父親が飲んでいたビールを、こっそり舐めるように口にしたんです。
なんでこんなものが美味いと感じるのか、
すこし大人になるのが怖い気がしました。

社会人になった時、
色々な思いに期待を膨らませて、
先輩から勧められた一杯のビール。
これから先、自分はどのように社会で活躍できるのか、
期待に胸を膨らませながら、
希望に満ちた味わい深い一杯でした。

また、当時付き合っていた彼女と
気まずい中で乾杯したことも忘れはしません。
不思議なことに、どんなお酒で乾杯したのか、
それがどんな味だったのかも覚えていませんが、
彼女と別れることになった、その時の思いだけは乾杯を通じて
しっかりと僕の記憶に残されています。


そうやって僕は、
日本にいた時も、世界を巡っていた時も。

同じように「乾杯」によって、
ある人から何かを受け継ぎ、その時の大切な記憶を自分に刻んできたんです。



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乾杯とは、満たされた盃を飲み干していくものではなく、
乾ききった自分の心を潤していく行為。

その時の自分を忘れないように。
色々な思いを溢れんばかりに、
自分の中に注いで満たしていく。

僕は、そうやって数々の「乾杯」とともに、
自分を支えてきたのかもしれません。

みなさんも僕も、
残された時間は限られています。

一人の人間の与えられた時間なんてのは
たかが知れている。

あっという間だと思うんですね。

だからこそ、多くの人の生き方に触れていきたい。
質の高い日常を送りたい。
数々の乾杯を重ねてゆきたいと思うんです。


僕は今こうして孤島に一人でいます。


みなさんからすれば、
そんな場所で独りで乾杯なんて意味があるのか、
寂しくはないのかと思うでしょう?

でも、僕からすれば、
こうして世間と離れているからこそ、
人々と距離を置いている今だからこそ、
僕の今日の「独りの乾杯」から、
今までの出会いの数々が、この孤島に溢れ広がります。


もしかしたら、僕はこの時のために、
色々な乾杯とともに大切なことを自分に刻んできたのだと思うほどです。



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みなさんもこの週末、
大切な人と乾杯をするかもしれませんね。


また、コロナ禍の状況の中で、
面と向かってそれができずに、
もどかしい想いをされることもあるかもしれません。

でも、乾杯とは、
その状況も含めて今の自分を大切に刻んでいく機会なのだと思えば、
それがどのような状況であっても、
重みのある乾杯になるのだと思います。


どうかそんな思いを巡らせながら、
これからの日常の中で、
素敵な数々の乾杯を重ねていってください。


僕もいつかまた、
この遥かな距離をこえた先で
皆さんと共に時間を交える時が訪れたらと、
そんなささやかな夢を願っています。


それではみなさん、
今日もお互いに素敵な一日を送りましょう。



遥か孤島から感謝を込めて。




いつもありがとうございます。



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感謝を込めて、乾杯。
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