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初恋を飲み干した日

20歳になった瞬間、初恋の人が目の前にいた。

ずっとふわふわして、「これは夢かな?」と何度も現実をさまよった。



夢のような出来事は、同級生のS君と連絡先を交換したのが発端だ。

S君は同じ高校のクラスメイト。ともに1浪した。高校には“補習科”と呼ばれる、浪人生を対象とした学科があった。私もS君も初恋の人(Y君)も補習科で1年間受験勉強に励み、晴れて同じ大学に進んだ。

S君は気兼ねなく皆と明るく話す人で、特に仲が良いというわけではない。同じ大学に進んだが、学部は違った。大学の1ヶ所しかないバス停でバッタリ会ったときに話す程度だ。たまに初恋の人、Y君と3人で話す日もあった。


その日もまた、バス停でS君とバッタリ会い、たわいもない会話をした。何の気なしに、連絡先を交換。

赤外線で連絡先を交換してまもなく、「〇〇さん(私)って明日誕生日なの?」と聞かれた。連絡先だけではなく、登録した私の誕生日も送られていたのだ。

S君は「20歳になるんだし、Yも呼んでさ、3人で飲もうよ」と前代未聞の提案をした。


1浪した私たちは、大学1年生に誕生日を迎えると20歳になる。



Y君と私は小学5〜6年生のクラスメイト。イケメンで、頭も運動神経も良くて、字も絵も上手で、誰にでも優しい男の子。

そんなY君に、人生で初めて恋をした。

当時の私は口数が少なく、学校で全くしゃべらない日もあったほど。そんな暗い私にも、Y君は優しく声をかけてくれた。「なんで話さないの?」なんて聞かず、普通に話せたのが嬉しかった。


一度だけ席が隣になり、何度も話し、何度も笑い合った。あたたかい笑顔には優しさがにじみ出ていた。ホットココアのような、優しさとあたたかさ。

話せた日は辛いことが全部吹っ飛んだ。一言話すだけでその日は虹がかかった。

好きで好きでたまらなかったが、小学生の私は家でこっそり相性を占ったり、集合写真を眺めたりするのが限界。「好きです」なんて言えるわけがなかった。

地味で暗くて可愛くもない私が両想いになるわけがないし、そもそもY君には片想いしている女子がいた。


離れ離れになると知ったのは、中学受験に受かってしまった日。Y君は地元の中学校、私は自転車で15分ほどの私立中学校に入学。


どうせ答えは分かる。気持ちを伝えなくても別に良かった。
だけど、それでも、どうしても伝えたかった。

小学校を卒業した春休み、Y君にラブレターを書いて郵便で送った。今考えると、ラブレターを郵送するなんて正気の沙汰ではない。でも、気持ちを伝えたい一心の私はその選択肢しか考えられなかった。

しばらく、ポストを気にしながら生活した。

「返事まだかな」
「無視されたかな…」
「そもそも届いたのかな」

そのうち郵便配達の時間を把握し、バイクの音が聞こえては、いそいそとポストを開けるのが習慣になった。


しかし、Y君からの手紙はなかった。

何ヶ月待っても返事は来なかった。


私はそのうち、同じ中学のクラスメイトに恋心を抱いた。

Y君のことを忘れたわけではないが、会えないし、会ってもきっと進展しない。やがて「小学生の初恋なんて、あんなもんだよなあ」と思うようになった。

ラブレターを郵送したなんて誰にも言わず、ひっそりと後悔に変わった。



私は私立の中高一貫校に通った。でも、仲が良い友達は皆そのまま進学しなかった。いじめっ子は残るようだし、地元の高校を選んだ。

そして、高校でY君と再会。隣のクラスにいたので、入学してすぐに気づいた。3年経っても、どうやら彼はホットココアのままだった。


Y君は文系、私は理系。一度も同じクラスにはならなかった。話す機会がないまま、高校3年間を過ごした。

私は、クラス替えのたびに片想いの相手が変わった。相変わらず告白なんてできやしない。バレないように瞬間的に後ろ姿を見つめ、話し声に耳を傾ける日々。


Y君と正式に再会したのは補習科だった。高校4年生とも言える補習科には、1クラスしかない。数回話した。信じられなくて最初は驚いたし、嬉しかったけれど、小学校を卒業してもう6年以上が経つ。

高校で私が片想いしていたのは会えない初恋の人ではなく、毎日会えるクラスメイトだったし、Y君には彼女がいた。Y君と話して多少ドキドキはしたものの、他の男子と話すのとさほど変わりなかった。



受験に捧げた1年が終わり、私とY君は同じ大学に合格。他にも補習科から数人が合格し、その中の1人がS君だった。Y君とS君は同じ中学だったからか、仲が良かった。

S君が口走った「〇〇さん(私)って明日誕生日なの?」からの「Yも呼んでさ、3人で飲もうよ」は、何も不思議ではない。私たち3人は同じ大学にいる。バスの中で3人で話す日もあったし。


しかし、Y君と遊んだことなんて一度たりともない。大学生にして初。しかも私の誕生日を前にして。こんなのもう、前代未聞の大事件だった。


「飲もうよ」から数時間後、S君からメールが届いた。待ち合わせ時間と場所、そしてY君が来ると告げられた。本当に飲むのか…。

意識してるなんて悟られたくないので、日中と同じ服を着た。覚えたてのナチュラルメイクを足して。


ドキドキを隠せないまま、自転車で待ち合わせ場所に向かう。真っ暗な個人商店の前には私しかいない。わけが分からなくて緊張を抑えきれず、到着してすぐ親友に電話した。

「あのさ、えっと、なんか…Y君と飲むことになった!」
「え?え??どういうこと??」
「どうしよう…どうしたらいい?!あ!来たから切るね!」

親友には申し訳ないが、とにかく混乱していた。Y君と、そう、あの初恋の人と一緒に過ごせる。しかも夜。しかも私の誕生日目前。きっと何かの手違いで、神様が運の配分を間違えたのだろう。


まもなくS君とY君が到着。どういうわけか、Y君の実家で飲むことになった。つまり、Y君の家にお邪魔する。

大学生になり、初恋の人の家に上がり込む…?いやいやいや、あり得ない…。こんなの、朝刊トップを飾る大事件だ。何億枚もの早刷りが頭の中で舞う。


お酒やジュース、おつまみを買い、Y君の家に向かった。見知らぬ道を走る。

そしてついに、初恋の人の家に足を踏み入れた。もう片想いの相手ではなかったが、意識しないはずはない。パニックなのか恋なのか何なのか、ドキドキが止まらない。Y君の部屋に来て即座に「心臓がもたない」と思った。

S君は、私がY君のことを好きだったなんて知らない。知っているのは親友だけだ。いや…ラブレターを読んだなら、Y君本人も知っている。


ドキドキとは裏腹に、相変わらずたわいもない話に花を咲かせた。高校のクラスメイトのその後、大学の授業、バイト、運転免許など、バス停の会話の延長線上。Y君の部屋にいることから意識を逸らすため、話に集中した。

0時少し前、20歳を祝う缶酎ハイのフタを開けた。

いよいよ0時ちょうど。3人で「乾杯!」と声高々に叫び、私は初めてまともにアルコールを飲んだ。2人からは「誕生日おめでとう!」も。



『お酒は20歳になってから』

私は20歳になった。彼氏がいたことも、片想いが実ったことも、ましてや告白したこともないのに、目の前には男子が2人。人生って何が起こるか本当に分からない。誕生日に初恋の人の実家に上がり込んで、楽しくお酒を飲んでいる。

缶酎ハイは確か柑橘系だった。レモンかグレープフルーツか、はっきりとは記憶にない。当時流行りの缶酎ハイで、キラキラとした缶が印象深い。

蛍光灯の下、缶は宝石のように光を放って輝く。夢なのか、一層区別がつかなくなった。



小学校を卒業して7年ほどが経つ。
まだまだ子供だけど、お酒を飲める年になった。

私はもう、地味で黙り込む女の子ではない。人並みにしゃべるし、質問できるようになったし、男の子とも普通に話せる。初恋の人とも。

「ねえ神様、今になってこんなこと、どういうつもり?」ときらめく缶たちを見つめ、ぼんやりと現実に浸った。



正式にお酒を飲めるようになった私はジンジャーエールをよそに、遠慮なく缶酎ハイを飲んだ。

そのうち3人とも酔っ払い、恋愛の話に。恋人がいるとかいないとか、理想の彼氏ってどんな人とか、キャーキャー言いながら盛り上がり、夜が更けてゆく。Y君は私からラブレターが届いたことを話さなかった。

客観的に見れば、同じ空間に男2人・女1人。でも性的なことは何もなく、ただただ会話が弾む。魅力がない自分に少し凹みつつも、「うん、何もない方がいい。今まで通り、このままがいいな」が本心だった。


S君は男友達とふざけて撮ったプリクラを、Y君は彼女と撮ったプリクラを私にくれた。別の人に片想いをしているはずなのに、Y君が彼女と微笑み合うのはまともに見られなかった。

そしてプリクラを渡されたとき、「ラブレターはY君に届いていない」と確信した。もし届いていたら、私がかつて片想いしていたことを知っている。知った上で、彼女と撮ったプリクラを私に渡すなんてしないだろう。



この日初めて、アルコールを何杯も体に入れた。自分がお酒に強いのか、何杯飲むと酔っ払うのか、見当もつかなかった。

男子2人は慣れた様子で缶ビールを何杯も飲み、普段と変わらずに笑っている。内容がよく分からなくても、一緒になって笑った。酔って頭が回らない。楽しい時間だとは理解した。何時なのか、もう確認しなかった。


3人とも実家住まい。誰が提案したのか覚えていないが、帰ることになった。


玄関を出てすぐ、あろうことか、私は完璧な千鳥足。全然真っ直ぐ歩けない。ようやく、かなり飲んでいたと自覚。外を出ても3人でゲラゲラと笑い合った。

歩くのすら危うく、自転車のペダルなんて絶対に漕げない…。
完全に酔っぱらいの私を、家まで2人が送り届けてくれることになった。

ここでもまた、誰が提案したのかは覚えていない。S君は自分の自転車に乗り、Y君が私の自転車を漕ぐ。

私は……Y君と2人乗り。

千鳥足には変わりなかったが、意識は鳥じゃなかった。意識だけは酔いが覚めて、疑問符の応酬。2人乗り?Y君と?いやいやいや…え?初恋の人と?本当に?本当の本当に?Y君と2人乗りするの???



……本当だった。現実だった。私を後ろに乗せた自転車を、Y君が颯爽と漕いでいる。夜風が気持ちいい。熱を帯びている理由は酔っているからか、恥ずかしいからか、定かではない。

これまでの思い出が、缶酎ハイの泡のようにブワッと甘酸っぱく広がった。

テストの点数をこっそり見せ合ったこと
前に座ってた男子の一言で大笑いしたこと
調理実習で同じ班になってケーキを作ったこと
片想いは決して実らないと知ったこと
ラブレターの返事がないかポストを確認したこと
授業中に後ろ姿を見ていたこと
バスで隣同士に座って話したこと

春の夜、思い出が駆け巡る。自転車の後ろに私を乗せて。






「手紙、ありがとう」


…!

唐突にY君の口からこぼれた言葉を、慌てて一言一句すくった。

ラブレターはちゃんとY君のもとに届いていたのだ。知らなかった。てっきり届いていないと、返事は来ないと思っていた。そっか…届いてたんだ!

約7年振りの返事なんて、予想外も予想外。

「いや、うん、大丈夫」

焦って言葉をうまく選べなかった。


「ありがとう」はとても嬉しかった。彼は小学生の頃から何も変わっていない。優しく、どこまでもあたたかい。ココアは何年も何年も冷めていなかった。傷つけずに返事をくれた。好きで良かった……伝えて良かった。

私はY君にしがみつくこともせず、すぐそこにある広い背中にも極力触れず、荷台だけをギュッと握った。20歳の私ができる、精一杯の強がりだ。


報われなかった片想いが、7年越しにきちんと幕を閉じた。


自転車は無言のまま走り続ける。S君がたまに声をかけてくれるのが救いだった。やがて私の家に到着し、お礼を伝えた。2人はサラッと帰り、私は深く眠った。



ふわふわとした一夜が明けると、また日常に戻った。

3人とも運転免許を取り、バスに乗る機会は減った。S君もY君も学部が違う。何となくお互いに連絡せず、自然と会わなくなった。


後にも先にも、3人で乾杯したのはあの日だけ。

キラキラと光る缶酎ハイは黒霧、カルーアミルク、ビール、カシスオレンジ、梅酒とあれこれ姿を変え、すっかり慣れた。千鳥足もあの日だけ。


S君もY君も、今どこで何をしているのか分からない。

20歳の乾杯を捧げたあの日、初恋に幕を下ろした。




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