麒麟と蝶々とロシア人。そしてヨーグルトとコンビーフ。
すこし昔の夏至の夜。
まだ一人で暮らしていた頃の話。
大好きな映画をつらつら斜め見しながら写真データの整理をしていた。アカデミックな夜ふけ。そんな夜ふけにインターフォンが鳴った。
いきなりベルが鳴るのはおかしい。僕の知人であれば来る前に連絡があるはずだ。しかも時間が時間だ。もう日付が変わろうとしている。
ここは少し威圧感をかもし出しながら対応するべきだ。はいどなた?と麒麟川島のような低い声で返事をしてみる。すると大変あやしげな声が聞こえてきた。
「エミちゃぁん…?」
違います。麒麟です。
どこか気弱そうな女性の声だった。少し警戒心が解けた。とはいえ「エミちゃぁん?」以外言わないのです。なんとも煮え切らないし、やはり気味が悪い。
「ウチにはエミちゃんはおりませんが」と答えると「あっ、あぁ…ごみんなしゃい…」と言って切れた。なにやら口調が変だ。酔ってんのか?
やれやれだぜとクールにつぶやき映画に戻る。大好きな図書館のシーンだ。美しいなぁと仕事の手を止め画面に見入ってたら、また鳴った。
さすがに呆れる。
郵便配達でも無いのに二度鳴らしやがった。だからもう一度、麒麟川島の声で出る。
「はいもしもし?」
「あの、あぁ…うー…エミちゃぁぁん?」
あっ。
酔っぱらいじゃ無いや。
外国人だこれは。
アカデミックな僕は流ちょうな英語に切り替える。相手が僕でよかったな、異国のきみ。
「ウチ いないいない ノーエミちゃん」
僕の英語の流ちょうさに恐れをなしたのか、相手も英語で答えてきた。
「あぁ!本当にごめんなさい!友達の家だと思ったんだけど部屋番号を忘れて...」
どういたしましてもうええわ、ありがとうございました麒麟でした。
インターフォンを切って、その日二度目のやれやれ顔をしたのだけども、なんとなく気になってベランダに出てみた。
ウチのベランダからはマンションの入り口が見える。
どんなやつか見てやろうと思った。こんな時のために買っておいた70-300mmの望遠レンズを装着したカメラも用意した。こんな時がどんな時かここでは言えない。
二分待っても出てこない。なにしてんだ。寝てんのか?
テレビの中ではブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが演技を続けていたが、もうどうでもよくなっていた。そして、どうでもよくなった僕は下まで降りてみることにした。
オートロックで閉ざされたガラス扉の向こうに外国人がおりました。たとえていうなら金髪にした木村カエラ風。あくまでたとえですが。
一目見ただけで、ベルを鳴らしたのがカエラだと分かった。カエラも僕が先ほどの麒麟だとわかったようだ。「ダイハード」のラストシーンを思い出した。僕がマクレーンでカエラがパウエル。泣かせるシーン。
泣いてても仕方ないのでドアを開けてカエラのいる踊り場に躍り出る。そして麒麟川島の声で、流ちょうに「Hi!」と声をかけた。
僕の渾身の「Hi!」に木村カエラ似は「あぁ、すみません…」と日本語で返事をした。おかげで行き場を無くした僕の「Hi!」は蝶々に姿を変え、あらぬ方向へ飛んで行った。俺に恥をかかせるなよ。そういうとこだぞカエラ。
とはいえやはりほとんど日本語は話せ無いんだなカエラさん。だから僕はネイティブ顔負けな英語に切りかえ話を続けたのです。
僕「なにするか?探し物はなんですか?見つけにくいものですか?」
カエラ「友達が二週間程前にここに引越して来たはずなの」
OH!YEAH!確かにウチの隣に誰か越してきたな二週間前。しかも一人で住んでるっぽい。ウチのマンションはワンフロアに二戸の作りだ。僕じゃなければ隣で間違い無いだろう。簡単な話だ。
親切な僕は、ことさら流ちょうに教えてあげた。
「二週間前にトナリだれか来たザマス。それかもしれないでがんす」
カエラは首をかしげる。
「その人かもしれない。違うかもしれない」
煮えきらないカエラ。首をかしげながら、僕んちの隣、○○2号室のボタンを押す。煮え切らないくせに行動はわりと大胆なカエラ。
返事無し。女性の一人暮らしなら、この時間に謎のインターフォンには出らんわな。俺がエミちゃんなら無視するよ。
カエラはやれやれだぜの顔をした。
やれやれなのは僕の方だ。
なんの確証も無いけど反論も出来ないようなことでも告げて、とっとと話をシメよう。「まぁ二週間前に越してきてるなら間違い無いナリ。○○2号がエミちゃんでゴザル」
カエラ「エミちゃん...?マキちゃん!!」
おいこら木村。
さっきエミちゃんって言ったじゃん。マキって誰だ。エミとマキは全然違うよ。だから全然違うよと言った。
僕「全然違うズラ」
木村「私もわからない。エミ…マキ……ユキちゃぁん?」
増えやがった。
らちがあかない。
らちがあかないので「らちがあかないよ」と言おうとしたのだが、英語でどう言えば、らちがあかなくなるのかさっぱりわからない。白状するが、そもそも流ちょうじゃ無いんだ僕は。
そこまで話して、はじめて気づいた。
カエラむちゃくちゃ酒くさい。酒を浴びたかのようにくさい。最初、インターフォン越しに会話した際、その言葉のおかしさに酔っぱらいなのか外国人なのか悩んだのだが、時間のムダだったな。酔っぱらった外人だった。
君、大丈夫?相当飲んでるね?と声をかけると「大丈夫!自分が誰かはちゃんとわかってる」とお答えになる。なるほど外国語的な言い回しだ。小粋だな。
でも、エミちゃんかマキちゃんかは全くわかってないのだ。初対面の酔っぱらい相手に世話を焼くのも、いいかげんしんどい。
きついのはカエラも同じだったらしく、とうとうマンションの入り口に座り込んでしまった。
僕の住んでるマンションは一階が駐車場で、入り口がある二階フロアまで結構広めの階段がある。横に十人並んで集合写真でも撮れそうな広さだ。
そんな階段のスミに座りこみ、肩をぶんぶん振りまわすカエラ。これが重かった、と持参したコンビニ袋をうらめしそうにアゴで差す。中から缶ビールとつまみらしきものが見える。
「私は友達と飲もうと思って、ここまで重い思いをしながら歩いてきた。再び、これを持って帰りたくない」
僕は、今までさんざん目にしてきた。
酔っぱらいは地面に近づけば近づくほど勝手なことを言い出すんだ。
スツールから転げ落ちる→座りこむ→寝ころがる、大方、この順番でタチが悪くなる。転げ落ちてる時点で迷惑なんだけれども。
カエラも、その例に漏れず、階段に座った途端、態度がデカくなり、英語もなまりが強くなってきた。wanna を ヴァナと発音しだした。
英語がヘタクソな僕だが、それでも海外には三年ほど住んでいた。酒が入り、お国なまりが普段より強くなりだすとロクなことが無いのは身をもって知っている。よくない兆候だよ。
犬の目をしてうつむく僕を尻目に、カエラは高らかに宣言した。
「ここで酒を空にして帰る。ヨーグルトもコンビーフもある。あなた付き合いなさい」
ほら言ったとおりだ。
なに言ってんだこいつ。
きみは好きにすればいいだろうよカエラ。でも僕はここに住んでるんだ。夜中とはいえ、いや、むしろ夜中だからこそ周りの目というものがある。マンションの玄関口に座りこんで酒盛りなんかできるものか。無軌道な学生じゃないんだよ。
そう伝えた。
心の中で。
表向きは「一杯だけな」と答えた。
カエラは満面の笑顔を見せた。
渡されたビールは思いのほか冷えていた。ウチの近所のファミマで買ったんだろう。たいして重い思いしてないじゃないか。カエラはメッシュのトートバッグから、なにやらリキュールのボトルを引っぱりだす。ロシアの美味い酒らしい。
ウォッカ?とたずねた僕に、カエラは満面のあきれ顔を見せ「はっ!日本人はロシアときくとすぐウォッカだ!」と文句をぶつけてきた。文句言われても腹が立たなかったのは、カエラがやけに楽しそうだったからかもしれない。
「カンパイ」
ビールと謎のリキュールで乾杯した。
ほどんど日本語話せないわりにカンパイの発音だけはやけに堂に入っている。聞けば外国人パブでバイトしてるらしい。
カンパイには自信があるよ、とカエラは笑った。
そして「たすけて」と「やめて」も上手いよとカエラは真顔で言った。それも大事な言葉だな。
カエラがブルガリアヨーグルトの容器にコンビーフを突っ込んでかき混ぜだした時「たすけて」「やめて」と言ったのは僕の方だった。これだから酔っぱらいはイヤなんだ。
しかし食べてみると意外なほど美味いのだ。酒にも合う。
他愛も無い話をした。
一時間ほど階段で飲んだ。
ヨーグルト用のプラスチックスプーンを回しながら二人でコンビーフを平らげた。
二缶しか飲まなかった僕にカエラはまたもや「はっ!日本人はうんちゃらかんちゃら」とか言い出したが聞き流しておいた。スラブ人のDNAと酒量で争うのは無謀というものだ。
隣の住人と話すことがあれば、きみの事を伝えておくと約束し、カエラを帰らせることにした。
タクシーが止まると、彼女は、本日二度目の満面笑顔で「パカー!」と言った。酔っぱらった外人は、タクシーのドアが開いただけでテンション上がるらしい。僕は苦笑いだ。いい加減くたびれて倒れそうだった。
その後、カエラと会うことは無かった。
あくる日に「あの時、助けてもらったカエラです」と訪ねてきて、奥の部屋でハタ織りするようなことも無かった。
階段で一度乾杯しただけの仲。
その乾杯で知ったこと。
コンビーフ&ヨーグルトは旨い。
ロシア語で「パカー」は「また会おうね」
一度の乾杯で二つも賢くなれれば充分じゃないかな。
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写真と文:マスダヒロシ
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