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もう乾杯しない


「飲みに行こうぜ」

そう誘ったその瞬間は本気で行きたかったし、心から楽しみにしていたのに、いざ当日を迎え、約束の時間が近づくにつれて

「嘘ついてでも行きたくねぇ…」

と、なってしまうアレは一体なんなのだろうか。

行ってしまえば絶対に楽しいのはわかっているのに、家を出るギリギリまでドタキャンの言い訳を考えてしまう。
これは僕だけだろうか。いや、これを読んでくださっている皆様にも似たような経験があるはずだ。あるに決まっている。

この性分には随分と前から悩まされていたのだが、居酒屋等に繰り出す機会がめっきり減ってしまった今だからこそ、一度徹底的に向き合ってみるべきなのでは、と思い至った僕は「どうにかならんもんかね、これ」なんて、冷房の効いた部屋でアイス食べてスマホでゲームやりながら真剣に考えてみた結果、

“相手が「それだったら仕方ないね」と心から納得してくれるような完璧な言い訳を考えよう”

という答えを導き出した。人としては4点である。いいの。もう。



一番オーソドックスな方法の一つとして“血縁者が亡くなったことにする”というものが挙げられる。
この場合、もっとも気を付けないといけないのが、「誰を殺すか」である。

親兄弟、配偶者、子供などの一親等は避けた方がいいだろう。相手にも気を遣わせすぎてしまうし、しかも確実にバレる。
かと言って三親等以上の遠い親族が亡くなった事を理由にするには些か弱い。「それ、俺が駆けつける必要ある?」という、自分がついた嘘に自問自答してしまいそうになるからだ。だって大して交流のない親戚の葬式とか行く?僕はその日が暇でも多分行かない。

とまぁ、そうなってくると必然的に標的は祖父母になってしまうワケで。
おそらくこれは上記で挙げたような理由が言語化される前の状態で本能に刷り込まれているのだろう。だから人は誰に教えられたワケでもないのに、ドタキャンの言い訳に祖父母の死を利用するのだ。

全然関係ないけど、僕は以前勤めていた超ブラック企業(飲食店)を辞める際に思いつく限りの嘘の言い訳を並べた。辞める時くらい「それなら仕方無いね」で穏便に済ませたかったからだ。

「嫁の親父さんが亡くなったし、親が自営業やっててそれを継がないといけないし、バンドマン時代の名残で難聴気味がアレでアレしまして、あと実家の犬がすごい人見知りで……」

もう思いつく限りの手を尽くした。
実際にはお義父さんも余裕で健在だし、親の仕事を継ぐ気は一切ないし、これっぽっちも難聴気味でもアレがアレでもないし、実家の犬も人見知りじゃない。誰にでも尻尾を振って懐く。
最終的に論点がブレブレになって、営業時間後の深夜の店内で時代錯誤のパワハラ上司に「あぁん?」と胸倉を掴まれながら詰め寄られ、

「あー、嘘嘘!!全部嘘でーす!!あんたらの下で働くのがやってらんねーから辞めるだけでーす!!!」

と逆ギレしまくって、約三十分に渡るフリースタイルバトルを繰り広げた挙句、椅子を二回蹴って帰った。お義父さんは完全に無駄死にである。
このように無駄な犠牲を出さないためにも誰かの死を利用する際は計画的に行うべきである。
というか、もっと言えば、安易に人が死んだとかどうとか言わない方がいい。その手の話はもっと繊細に扱うべきだと思う。そういうのって良くないと思う。
「お前が言うな」っていう数々の声が画面の向こうから聞こえてくる気がしてならないのでここまでにしておく。


では、リアリティ重視という方向性から思い切り逆行して突拍子もない事を理由にしてしまうのはどうだろうか。


「今向かってる最中なんだけどさ、なんか雨降ってきて……。傘忘れちゃったから濡れちゃったんだよね。そしたら、なんか、ほら、俺って水を浴びると女の子になっちゃう体質じゃん?だから、ごめん、今日行けないわ。あ、ちなみに親父はパンダに、ライバルは手乗り豚になる体質なんだけど……」

なんて終始裏声で話すってのも良いし、


「今巷で話題の“通りすがりに服を全部脱がしていくマン”に遭遇しちゃってさ、ほぼ全裸なんだよね、俺。え?あ、そうそう。魔界村みたいな感じ。今から一回帰って着替えてから行くってなると待たせちゃうし、申し訳ないから今日は俺抜きで頼むわ」

とかでも良いと思うし、


「おい!なんだよ!あの店!!待ち合わせ時間よりも早く着いちゃったから先に店に入ってようとしたら、やれ貴金属を全部外せだの、やれ体にクリームとか酢とか塩を塗れだの言われたんだけど!!注文が多いわ、最後はなんか食べられそうになるわで大変だったんだからな!!怖くてすげー泣いちゃった所為で顔がくしゃくしゃの紙くずみたいになっちゃったから帰る!!もう!!」

なんて、ちょっと怒ってる演技で攻めるのも良い。あの遅刻した時に気まずさのあまり、逆になんか凄い怒ってる人みたいな、あの感じ。「総武線なんて二度と乗らねぇよ!クソが!」みたいな。「お、おぅ…」としか言えないあの感じ。



そんな感じで。
いろいろと考えてはみたものの、どういう言い訳をしたって相手はちゃんと待ち合わせに約束通り現れる予定で動いてくれているワケだし、どんな理由が在ろうとドタキャンは良くない。その後の交友関係にも少なからず影響は出てくるだろう。ましてや、このご時世である。今後は今までのように気軽に待ち合わせて、どこかしらのお店に入ってお酒を飲む機会も減るだろう。尚の事、そういう機会と相手の気持ちは大切にしないといけない。

それに冒頭でも書いたが、行ったら行ったで絶対に楽しい。酒の席というものは大概そういうものだ。

席に着き、他愛もない会話を交わしている間にテーブルに並べられる「とりあえず、生」と定型文のように注文をした生ビール。
ドリンクが来るまでの間だけ行われ、ほんの数分で終わる、大人みたいなオシゴトの話。
無骨に鳴らされる、グラスのぶつかる音。
端から聞いてる人から
「中学んときの部室か」
なんてツッコミを入れられてしまうような、くだらない話の数々。
数時間前まで必死に言い訳を考えていた事が馬鹿馬鹿しくなって、

「今日もそうだったんだけど。飲みに行こうぜ、って誘ったその瞬間は本気で行きたかったし、心から楽しみにしていたのに、いざ当日を迎えて、約束の時間が近づくにつれて
『嘘ついてでも行きたくねぇ…』
ってなるアレって、なんなんだろうな」

と馬鹿正直に話し、

「わかるわかる!!俺も今日、何回も『行くのやめよう』って思った!!」

と返してくる友人と散々馬鹿笑いをしながら過ごす時間。

そして。

店を出てから、性懲りもなく交わす「また飲もうぜ」という約束。
勿論そこには本心しかない。

「また来よう」「また乾杯しよう」

と、本気で思える仲間との時間が其処には在る。


まぁ、また当日になると「嘘ついてでも行きたくねぇ…」ってなるんだけど。

でも、確かに其処にはかけがえのない仲間と時間が待っている。
そんな未来がまた必ずやってくる。

そう、信じたい。


だから、ね。


もう乾杯しないなんて、言わないよ絶対。



お金は好きです。