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あら、筋がいいわね。

下駄の鼻緒が切れた。

僕は下駄とか着物とかを身に着ける生活をしているので、日常のなかで、下駄の鼻緒が切れた。という現象が起こる。

下駄の鼻緒が切れると、下駄を捨てるか、下駄の鼻緒のすげ替えという選択肢がある。

すげ替えるという選択をする。

僕の住んでいる街の、昔の街道沿いの履物屋をがらがらがらがらがらと開ける。


すいませんーーーすーーーーーいませんーーーーすーーーーいませーーーん こんにちわーーーーーこんにちーーーーわーーーーーすーーーいませんーーーー あのーーーー こんにちわーーーー 

すいませーーーーーーーーーーーーーーーん!こんにちわーーーーーーーーーーーーーーー!


店内は薄暗い。下駄や雪駄や便所サンダルが並んでいる。少し大きめの振り子時計が、かちこちぱちこち音を立てている。そして、僕は叫んでいる。遠くの水平線に貨物船が見えた、無人島の漂流者のように、薄暗い靴屋で叫んでいる。

あら、どなた?

ぴょこっと、小柄なおばあちゃんが出てきた。

ハリネズミが巣から顔を出したような雰囲気だった。

あらあら、気づかなくてすみませんねぇ。今営業中かって?もう営業してても誰も下駄なんて買いにこないでしょう?毎日営業してるけど、年中休みみたいなものよ。

あらなに、あなた下駄が欲しいの?違うの?あら、鼻緒が切れてるじゃない。鼻緒をすげてほしいのね?あらぁ、すげ替えなんて何年もやってないからできるかしらわたし。見ての通りこのざまでしょう?腕も白くて細くなっちゃって、生育不良の大根よ。誰も買わないわこんな大根。

ちょっと見せてみて、あら。古い下駄ね。昭和四十二年十二月三十一日って書いてあるわよ。あなたの?あら、あなたのおじいさまの下駄なの?昔の人はね、こうやって買ったものに名前や年なんかを書いてね、物を大事に大事に使っていたのよ。

最近は100円でなんでも買えちゃうから、壊れたら捨てればいいものね。むかしはそうはいかなかったのよ。あなたのおじいさんも、こうやって大事につかってらっしゃったのよ。

すげ替え、やってみようかしら。でも私、力がないから、おにいさんもお手伝いしてくださるならすげ替えしてもいいわよ?いい?じゃあ鼻緒を選んでちょうだい。あら、それでいいの。早いわね。男らしいじゃない。最近の男の人は女みたいな男のひとが増えたからね、なんだがすがすがしいわ。

じゃあその鼻緒をすげるわね。この器具はね、鼻緒をすげるときにしか使わない道具なの。名前?、、、知らないわ。考えたこともない。アレ取って、で通じるから。ん?生まれ?私は別の場所よ。ここには嫁いできたのよ。

戦争中でしょ?結婚したいとかしたくないとかやりたいことがあるとかないとか、全部ひっくるめて関係なく、近所の人や親や親せきが決めて私はここに来たの。ちょっとそれとって。ありがと。70年以上前の話よ。え?あなた女性に年を訊くの?失礼よ。20歳でここに嫁にきて、戦後何年か考えてみたらだいたいわかるでしょ、こんなしわくちゃな31歳の女性はいないわよね。

主人は十五年前に先に死んだわ。その主人の父親が始めた店なの。履物も主人も、別に好きじゃないわ。そういう時代なの。私ってなんのために生まれてきたのかねぇ、おてんとさまは何を考えているんだか。

あなたたちはわからないでしょうけど、いくらでも好きな場所や好きな人や好きな仕事が選べて、わたしはあなたたちがうらやましいわ。今更うらやんだって、お迎えが来ちゃうからどうしようもないんだけどね。時代よ。時代。

あなたここを支えて、ここを引っ張るの、ぐぅーーーって、もっと力入れなきゃだめよ。ちょっとやそっとじゃ切れない紐なんだから、ぐぅっと力をいれて、もっと、そう。いいわいいわ。それでいいの。あらいいじゃない、張れてるじゃない。いいわよ。そのトンカチでここを叩いて釘を打って。あらうまいわね。いい筋よ。

じゃあ次はこっちの下駄ね、だいたいわかるわね、そうよ、そこを引っ張って。そうそう。うまいうまい。筋がいいわね。よし、じゃあここにまた釘を打って。

よしっ!!!できたぁ!!!!!!久しぶりに仕事したわ!まだまだわたしもすげ替えできるじゃない。働くっていいわね。滅多なことじゃ切れないと思うけど、もし切れたらまた来てちょうだい。

お兄さん、ありがとうね。








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