#毎日更新
フィードバックの流儀
良い感じのフィードバックをする極意3つ。
①まずほめる
②もったいないポイントを言う
③改善できそうな案を提示する
ダメ出しじゃなくて、一緒によくなっていく方法を考える。
この極意は学生時代に小室淑恵さんに教わった。当時彼女が主催するプレゼン塾に参加していて(通称「小室ファミリー」の9期幹事)、そこでメンバーのプレゼンを聞いたあとの質問の仕方のルールとしてたたき込まれたものだ。
相手が
先回りがやさしさとは限らない
「すみません確認したいことがあって、A……」
「Aさんからきたメールの内容だよね?」
先読みした行動は素晴らしいものとされている。相手が無駄に労力を使う手間を省き、意思疎通を簡略化できる。今年の上司と話すと、わたしが話す内容を先回りされる時がしばしばある。わたしは説明しなくて済んでいる。話す手間が省けて楽になっているはずだ。
でも先回りされてポジティブな気持ちは全くわかない。むしろせっかく用意
毎日更新の向き不向き
僕は毎日noteを書いているし、毎日更新派です。
理由は今までも色々書いてきたけれど、いちばん大きいのはリズムが崩れると書けなくなる=放置プレイの読む専門になるのが目に見えてるから。
でも、毎日更新ってほんと向き不向きがあるから、みんながみんな毎日更新がベストアンサーではないと思うんですよ。
たとえば、一つのテーマに対してじっくり推敲しながら書くのが得意な人もいれば、思いついて気分の乗った時
君のSNSには誰も入っていない 無機質なものが欠けた雫になる
午後11時。
街灯はついていない。
「おはよう。」
どこからともなく聞こえてくる。
空耳かと思った。
やんわりと首筋を噛まれる。
ごめん、無視したわけじゃないよ。
夜空を咀嚼する。
背伸びをしたら届きそうだった。
わたしはいつだってわたしなのに。
わたしにはわたしが入っているのに。
動物が寝静まる時間は空白だ。
人、そのものの皮に包まれる。
わたしたちは皆わたしを着ている。
それを脱いだら名前、わ
人生曲線を書いて、ネガティブな経験に囚われていたと気づけた
人生曲線って聞いたこと/書いたことはありますか?
先日、参加しているコミュニティで人生曲線を書く課題が出たので、私もやってみました。それがこちらです。じゃーん!
人生曲線を書いて良かったこと書いてみて良かったのが、ネガティブな経験にとらわれていたと気づけたこと。
学生時代に経験したいじめから、「人と関わるのが怖い」「素を出すと嫌われてしまう」という思いが心の奥底にありました。でも、それは私の
ねえ 本当に人は生きているだけで偉いの?と突っ掛かるわたしは もう少し美味しいごはんが必要なのかもしれない
誰でもよかった。
すれ違いざまに誰かに刺されるのではないかと気が気でない毎日だ。なんとなく悪いことが起きるような気がしてしまう。わたしにとっての毎日はいつしか幸せを求めるのではなく、不幸せをなんとかして遠ざけることしか出来なくなっていたのだ。
好きな仕事が出来るのか。恋人が出来るのか。別にそれだけが幸せなわけではないけれど。弱くなれば弱くなるほど、わかりやすい幸せに縋りたくなるものだろう。
「