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日記

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#自分らしい生き方

最近、鬱のトリガーとなった不安を追体験することが多い。社会生活の中で“ああ、私は考える力がない”と思い知ること。雑談ができないこと、人の中で緊張すること、その緊張が1人になっても解けなくて勉強も頭に入らなくなったこと。話さないことで人から変な視線で見られること。

文字にしてみれば、よくあることだよ、で片付いてしまうような些細なことごと。実際、中高生の頃はその範囲の軽いもので「頭が悪い、働

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アルジャーノン

「感情や思考が言葉となって頭に浮かばないなんて、自分は馬鹿なんじゃないか」

常々感じている不安。

あぁ変わっていないなぁと思いながら、同じことで自分を嫌い続けている。

うつ病になって心理検査の一環でIQテストを受けたとき、時間制限の中で次々に問題を解くのを楽しく思いつつも、どこか低いIQが出ることを願っていた。自分の“賢くありたい”という欲を満たすより“人から様々な要求をされなくなること

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今までの記事を振り返って

今までの記事を振り返って

3時から起きている。早く目が覚めてしまった。

頭を使っていないから、寝ている時間と起きている時間の境界があんまりない。

さて、最近、まとめると「頭が働かない、どうしよう」という記事ばかりあげている。いつも読んでくれている方も辟易しているんじゃないでしょうか。暗い記事を読ませてごめんなさい。そろそろ自分で立とうと決意しなくちゃ。

そう思うものの、自分自身気持ちが整理できず混乱のなか日々を

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誕生日

今日は誕生日でした。喜ばないといけないのに、そんな気持ちになれなかった。

家では母がご馳走を作って祝ってくれ、尊敬する先輩や大事な友人たちからもお祝いのメッセージをもらった。幸福で温かな言葉たち。

ありがたくはある。人の優しさ、ありがたさは理解できるし、今の自分が恵まれているのもわかる。でもそれを喜ぶことができない。心に抑揚がつかない…。感情が湧かない私じゃなく、もっと必要としている人、人の愛

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ゆらり道

ゆらり道

今日はお休み。

何も考えられなくて横になっている生活が続いて、どんどん頭が働かなくなっている不安や焦りはあるけれど、変わらないことに沈んで家で時間が過ぎるのを待つ毎日に変化をつけたいと思った。今後役に立つかどうか、家の仕事、義務的思考を取り払って、思いつくままに・直感的に行動してみよう、と。自由に物を思うこと、大道から離れることを自分に許せるように。

そうしたら、“外の空気を吸いたい

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好き嫌い

今働いている図書館では、たくさんの人の人生がちらちらと見える。利用者さんとの会話、職員一人一人の物語。手に取る本、偶然に惹き付けられる本はその人の心を映す。本の詰まったこの場所で、直接語らずとも、人生が交差する。そうした空間に身を置いて、少しずつ自分が見えてきた。備忘録に、今の私の好き嫌いを記す。

好き

内面的な時間…読書、書画、自然の中で1人過ごすこと

植物やその周辺の生態系を見ること…多

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難しく考えてきたけれど

難しく考えてきたけれど

今日は不安になることもなく、調子がいい。ただ、今日はたまたまお休みだったのだけど、ひどいうつ状態じゃないのに家に居ることに引け目というか、恥を感じる。

司書に情熱があるかと問われると分からないけど、体力とか性格、思考傾向的に向いているし、図書館という空間、本を調査している時間に心地良さを感じる瞬間があるのも確かで。だから、はっきり何かに興味が湧くまで、まずは司書に就くことを目指してみようと思う

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答えが見つからない

ずっと同じところでぐるぐるしている。この間「知識の詰まった空間で資料の保存や課題調査をするのはある程度楽しさを感じるし適性もあると思うから、司書を目指すことにしようと思う」と書いたけれど、理由が漠然としていてよく考えられていないですよね。説得力、実感がない。頭がよろしくないんです。そして、こんな元も子もないまとめ方をするのも、思考の過程がなくて良くありません。なのに今は大雑把な言葉しか浮かびません

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こどもの心

昔のことを思い出していた。何が辛くて何に追い詰められたのか。本当に人のせいにしていただけなのか。過去を摑んで、今の自分をはっきりさせたい。

 鬱状態全くの阿呆のようになって甘い言葉ばかりだと批判される中で、自分の矜恃を守るのすら面倒だった。否定されて論駁できないのは確かに甘く漠然としか考えられていないからなのかもしれない。だけども、自分の頭の悪さを何とかしようとするのにももう疲れてきていて、そん

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波の壁

波の壁

最近、自分のASDらしさを実感することが多い。

診断を受けた当初は、「ASDのような気もするけど、性格の範囲なのか微妙だな」と感じていた。軽度だからというより、誤解を恐れずに言うと、そもそもASDの特性であがるこだわりやコミュニケーションの不得意さは自力で変えられるもののように思えるから。だからこそ、私は自分を客観的に見て適切な行動に変えることができないのを「頭が悪い」と悩んでいた。病院に通った

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