好き嫌い

今働いている図書館では、たくさんの人の人生がちらちらと見える。利用者さんとの会話、職員一人一人の物語。手に取る本、偶然に惹き付けられる本はその人の心を映す。本の詰まったこの場所で、直接語らずとも、人生が交差する。そうした空間に身を置いて、少しずつ自分が見えてきた。備忘録に、今の私の好き嫌いを記す。

好き

内面的な時間…読書、書画、自然の中で1人過ごすこと

植物やその周辺の生態系を見ること…多くを望まずただ生きる姿、季節によって変化を怖がらない自由さを見せてくれている


嫌い

実用、功利的思考…物質的な欲に囚われたくない。実用性は生活を便利にするけど、便利さは欲に通じる。財産や便利さに振り回されて一生を終えかねない。そもそも、生まれてきたことに意味などなくて、偶然にすぎない。(それは前提として持っておきたい)。にも関わらず、「老年になった時に何を残せるか」というふうに生きる意味を求めると、形として成果が見える物質的なものに価値を置いてしまう。手に入れた実感があって、人からもわかりやすく羨ましがられるから。でも、そういう喜びを重ねていくと、他人のために生きるようになってしまう。もっと裕福に、立派に!相対的な価値で満たされない思いに苦しむことになる。働いた経験の少ない私がこう言うことはおこがましいと思うけれど、経済的安心、保障された生活を幸せの正解と考え、終わりのないゴールに苦しんでいる人が多いような気がする。それよりも偶然に生まれたこの世界で起こること、見えるものを観察し、自然の構成要素の一つとして無為に生きる方がいい。生まれ落ちた偶然を楽しむ、逍遥遊の心地で世界を見ることを楽しめたら、十分に生まれてきたことの元が取れる。評価・正解を求める生き方は苦しい。きっと、ひとは世界の美しさを堪能するために命を与えられたのだ。


優しいサポートありがとうございます。これからも仲良くしてくださいね。