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25歳。日常感じたささいなことを綴っておきたいnote。基本的に日々探し求めているのは…

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25歳。日常感じたささいなことを綴っておきたいnote。基本的に日々探し求めているのは未知の言葉とおもしろい読み物。

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  • 雑記

    日常感じたことを綴っております。 どういう部類に入る文章かいまだに検討がつかず、とりあえずのところ雑記としました。 お手隙の際に読んでいただければ大変嬉しい限りです。

記事一覧

伝えるということ

広げたnoteは三日くらいそのままにしていることが多い。視界に入れば、何か書いたり、振り返るために前のページを読んだりする。 だがしかし一週間過ぎるころにはいつの間…

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1年前
3

頗る熱が出ただけの話

早くも睦月が終わろうかという頃合い。なぜだか無性につづりたくなって、久方ぶりにnoteを広げて画面に向かっている。 日記とは違う、自分の中を外に開いているという意識…

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1年前
4

一生懸命みがいてキレイにした泥団子を潰されるくらいなら、多く作ってとりあえず投げたらいいんやって今さら気づいた。そもそも砂遊びしてるのに泥団子の造形なんて誰も見てない。本当に上手にできたと思ったら、自分だけがわかるところに飾っておけばいい。その泥団子を僕は"言葉"と呼んでみたい。

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2年前
2

半年前の心境をもうほとんど思い出せない。すぐ経つと言って実際に過ぎているわけだからそれもそのはず。1日は24時間で、1年は365日であることを誰が決めたのかさえ知らずに"いま"を生きてる。noteを開くことが普段気にもとめないことを考えるきっかけなればいいとただただ思う。ポエム。

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2年前
3

メンテナンスと言いつつ早5ヶ月。noteが頭の片隅にもない日々が続いておりまして。言いたいことがそれほどないと思う気持ちと、書かないから気持ちや伝えたいことがなくなっていくという思いが振り子のように動いており。今は後者に振れているのでまた始めてみようかな。つって半年とかすぐ経つ。

umechi
2年前
3

メンテナンスをしなければ

noteも投稿しなくなって久しい。 放置しているnoteに訪れてから、ふと放置している原付に思い至った。 今日は何の前触れもなく原付の話をしよう。 原付がパンクしてから…

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3年前
5

自分の中の基準

最近ハードルを越えられない。 それはもちろん物理的なハードルではなく精神的な?ハードルでありまして。 noteを書くに当たっても、自分の中のハードルというのがありま…

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3年前
10

夜桜は何故こうも美しいのか。一言で言いうることがどうしてできようか。それよりもさらに美しいものを私は知っている。舞い落ちた桜の花びらである。あの地面にぴったりと張り付いた花びら。あれが最も美しい。這いつくばるあの姿だけが美しいのだ。って一回言ってみたかったんです、はい、すいません

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3年前
4

エッセイが面白いもんで

最近はエッセイを読むのにハマっている。 ハマっているといってももうその時期はとうに過ぎ去り、今は別にそんなでもない。 いやハマっているというか、僕はつまみ食いが…

umechi
3年前
16

袴とスーツのチグハグな集団を横目に街中を歩く。当然のように3月を迎え卒業する人たちを目の当たりにして、4月を目前にしたときだけ出会いと別れを感じる自分をバカだなあと思う。人との関わりなんて季節に左右されるわけでもなし。いやされるか。どっちでもいいけどただただおめでとうと言いたい。

umechi
3年前
4

気づいたら桜が窓から見えまして。咲いとるわけです。桜などは花開いたら寄ってたかって皆見に行きたがるもので。普段は通り過ぎるのにいつもと少し違うだけで立ち止まって見てしまう。そういうものですよ。品種?確かソメイヨシノ。木の根元にそう書いてありましたから。本当かどうか知りませんけど。

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3年前
3

最近きのこ好きやな。なんの話やねん。小さい頃きのこ好きではなかったんですけど。一回散髪失敗してきのこ頭になってからかわれたのがトラウマなんかな。でも今はとてもきのこが好きなんですよ。なんでやろう。トマト無理なのにケチャップ好きな人面白いですよね。他意はないです。あ、好きなきのこは

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3年前
9

歩いて行くには遠くてバイクだとちょうどいい距離の古本屋に足を運んだ。激安価格で3冊の本を買えた。気分がとてもよい。ちなみに私のおすすめ小説は平山夢明さんの『ダイナー』。映画になったそうあれ。映画より面白かったなどとは言いませんが活字もなかなか捨てがたく。何より飯が美味そうでもう。

umechi
3年前
3

noteのつぶやき機能使ってる人どのくらいだろう。つぶやくならつぶやきをまさに推奨しておるTwitterで呟きますよね。しかしTLによって何言おうか忘れてしまうような僕にはnoteのつぶやき機能が性に合っております。特に言いたいことが今のところ何も無いのですよ。ではこれはなんぞ。

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3年前
4

今まで色んなことを諦めたりやめたりしてきたけど生きることだけやめられない自分がいる。なぜか分からない。意味の求められる時代にあって意味もなく生きている私は狂人か普通か、あるいは単なる動物か。何も考えてないから動物よりの狂人か。大体自分のこと狂人と思ってるやつ普通やけど。なんそれ。

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3年前
4

やさしさとは

やさしさってなんだろう。僕は今もわからずにいる。 僕は何度か「やさしいね。」と言われたことがある。 だが僕は自分のことをやさしいと思ったことはない。 やさしいと…

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3年前
7
伝えるということ

伝えるということ

広げたnoteは三日くらいそのままにしていることが多い。視界に入れば、何か書いたり、振り返るために前のページを読んだりする。

だがしかし一週間過ぎるころにはいつの間にか引き出しにしまってあってそれが広げられるのはいつになる頃やら見当もつかない。

気の赴くままにというやつだろう。

今回もそんな感じでnoteに戻ってきたというよりは、ふと立ち寄ったという感覚。

ずいぶん触れなかった割には居心地

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頗る熱が出ただけの話

頗る熱が出ただけの話

早くも睦月が終わろうかという頃合い。なぜだか無性につづりたくなって、久方ぶりにnoteを広げて画面に向かっている。

日記とは違う、自分の中を外に開いているという意識がどこか私を浮つかせる。

今日は頗る熱が出た話。ただそれだけ。

年明けそれはそれは暴飲暴食をして、それはそれは夜更かしをして、時が無限かと思われるほど好き勝手していたら熱を出した。丸三日は寝込んでいたと思う。

自業自得という言葉

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一生懸命みがいてキレイにした泥団子を潰されるくらいなら、多く作ってとりあえず投げたらいいんやって今さら気づいた。そもそも砂遊びしてるのに泥団子の造形なんて誰も見てない。本当に上手にできたと思ったら、自分だけがわかるところに飾っておけばいい。その泥団子を僕は"言葉"と呼んでみたい。

半年前の心境をもうほとんど思い出せない。すぐ経つと言って実際に過ぎているわけだからそれもそのはず。1日は24時間で、1年は365日であることを誰が決めたのかさえ知らずに"いま"を生きてる。noteを開くことが普段気にもとめないことを考えるきっかけなればいいとただただ思う。ポエム。

メンテナンスと言いつつ早5ヶ月。noteが頭の片隅にもない日々が続いておりまして。言いたいことがそれほどないと思う気持ちと、書かないから気持ちや伝えたいことがなくなっていくという思いが振り子のように動いており。今は後者に振れているのでまた始めてみようかな。つって半年とかすぐ経つ。

メンテナンスをしなければ

メンテナンスをしなければ

noteも投稿しなくなって久しい。

放置しているnoteに訪れてから、ふと放置している原付に思い至った。

今日は何の前触れもなく原付の話をしよう。

原付がパンクしてから、はや一年が経とうとしている。

時の流れにふと圧倒される。

日々漫然と生きていたら、一年なんてものはあっという間だ。

一年は人が変われるようで変われない、変われないようで変われるギリギリのラインではないのか。

誰かに言

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自分の中の基準

自分の中の基準

最近ハードルを越えられない。

それはもちろん物理的なハードルではなく精神的な?ハードルでありまして。

noteを書くに当たっても、自分の中のハードルというのがありまして。

そのハードルを越えることができなければ、そのnoteはボツになる。

4月はとうに過ぎ去り、とうとう5月になってしまった。

4月の一ヶ月間は自分のハードルを越えるnoteはついに生まれなかったということになる。

自分の

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夜桜は何故こうも美しいのか。一言で言いうることがどうしてできようか。それよりもさらに美しいものを私は知っている。舞い落ちた桜の花びらである。あの地面にぴったりと張り付いた花びら。あれが最も美しい。這いつくばるあの姿だけが美しいのだ。って一回言ってみたかったんです、はい、すいません

エッセイが面白いもんで

エッセイが面白いもんで

最近はエッセイを読むのにハマっている。

ハマっているといってももうその時期はとうに過ぎ去り、今は別にそんなでもない。

いやハマっているというか、僕はつまみ食いが好きなタチで。

読んではやめ、読んではやめを繰り返す。

いつだったか読みはじめた東野圭吾氏の『プラチナデータ』をニ、三度最初の50ページほどを読んだ。

そしてその途中のまま他に目移りした。

今もまだ読み終えていない。

そして映

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袴とスーツのチグハグな集団を横目に街中を歩く。当然のように3月を迎え卒業する人たちを目の当たりにして、4月を目前にしたときだけ出会いと別れを感じる自分をバカだなあと思う。人との関わりなんて季節に左右されるわけでもなし。いやされるか。どっちでもいいけどただただおめでとうと言いたい。

気づいたら桜が窓から見えまして。咲いとるわけです。桜などは花開いたら寄ってたかって皆見に行きたがるもので。普段は通り過ぎるのにいつもと少し違うだけで立ち止まって見てしまう。そういうものですよ。品種?確かソメイヨシノ。木の根元にそう書いてありましたから。本当かどうか知りませんけど。

最近きのこ好きやな。なんの話やねん。小さい頃きのこ好きではなかったんですけど。一回散髪失敗してきのこ頭になってからかわれたのがトラウマなんかな。でも今はとてもきのこが好きなんですよ。なんでやろう。トマト無理なのにケチャップ好きな人面白いですよね。他意はないです。あ、好きなきのこは

歩いて行くには遠くてバイクだとちょうどいい距離の古本屋に足を運んだ。激安価格で3冊の本を買えた。気分がとてもよい。ちなみに私のおすすめ小説は平山夢明さんの『ダイナー』。映画になったそうあれ。映画より面白かったなどとは言いませんが活字もなかなか捨てがたく。何より飯が美味そうでもう。

noteのつぶやき機能使ってる人どのくらいだろう。つぶやくならつぶやきをまさに推奨しておるTwitterで呟きますよね。しかしTLによって何言おうか忘れてしまうような僕にはnoteのつぶやき機能が性に合っております。特に言いたいことが今のところ何も無いのですよ。ではこれはなんぞ。

今まで色んなことを諦めたりやめたりしてきたけど生きることだけやめられない自分がいる。なぜか分からない。意味の求められる時代にあって意味もなく生きている私は狂人か普通か、あるいは単なる動物か。何も考えてないから動物よりの狂人か。大体自分のこと狂人と思ってるやつ普通やけど。なんそれ。

やさしさとは

やさしさとは

やさしさってなんだろう。僕は今もわからずにいる。

僕は何度か「やさしいね。」と言われたことがある。

だが僕は自分のことをやさしいと思ったことはない。

やさしいとは辞書には、他人に対して思いやりがあることとある。そういう意味では僕には当てはまらない。

ただやさしさには色んな意味があるので、他の意味では自分に当てはまるのかなとは思うものの、どうにも僕にはそう思えない。伝えられたことを素直に受け

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