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#写真
Turn.21『家族の記憶』
今回も阪急です。
車両は、知る人ぞ知るレアな車両。
ある意味で助っ人的な存在ではありますが、この車両を狙う為に朝の神戸線に何回も通いました。
朝の神戸線…
それがピタリと浮かんだ方、その話です。
今回の車両は、8200系。
阪急の中でも異端中の異端な車両で、扉にはワイドドアを採用し、かつては座席収納機構を搭載して朝ラッシュ時には乗客をとにかく詰める事に全力を振り切った電車でした。
Turn.17『朝の嗜み』
前回連載分では、『コロナ禍パンデミックの過ごし方』
として早朝に大阪へ戻ってくる貨物列車の撮影をしていた話をしましたが、今回の話も若干やそれに近くなるような話題です。
撮影時期は令和2年。
丁度コロナ禍の1番最初に差し掛かっていた時期の撮影だったように思うのですが…
もうパンデミックが何だと騒いでいた時代はとうに終了し、時期の経過は若干頭から抜け落ちているのが現状と言いましょうか。
さ
Turn.16『孤独への癒し』
前回記事から2回連続で読むと、
「お前さんまた釜ネタ書いてやがる…」
と思われそうですが、この話に関しては極力触れずにどうぞ。(なんやねん)
今回の写真は、令和2年に撮影したEF65形による松山貨物駅の開業記念ヘッドマークである『スーパーライナーいよ』を装着したEF65形の貨物列車の話です。
現在でもおそらく残存していますが、このヘッドマークを装着する事になった列車は新鶴見方面から5087列
Turn.15『営団の美に酔う』
令和になってもこんな車両が走行していた事には、現在でも軽い衝撃を感じます。
令和5年の1月頃に引退した、長野電鉄3500系です。
この車両の元を辿ると、営団地下鉄日比谷線の3000形となり、日比谷線が開業したばかりの『初代』の車両という事になります。
登場は昭和36年で、長野電鉄時代まで含めて計算すると実に62年もの歳月走った事になります。
当初は日比谷線の方に車長制限があったので、車両
Turn.13『一生の思い出と後悔の話』
平成30年の頃。
この時期から自分は様々な場所に目的を持って移動し始めます。
母親が家を留守にするので、その時期にダブらせて自宅を出て夜行バスで日帰りとか。そんな感じの事をし始めた矢先の話になるのですが、少し不穏な噂が流れ始めます。
立山黒部のアルペンルート、長野県の扇沢から富山県の黒部ダムまでを運転する『トロリーバス』が電気バスに転換されるというニュースです。
この情報を聞いて、自分は
Turn.9『思い出の祖谷』
JR四国から2000系気動車が引退したのは一体今から数えてどれほど前なのでしょうか。
だいぶ経過したような気持ちもありますし、まだ走ってそうなんだよなぁ…という気持ちにも。
ここでの『2000系気動車引退』は特急/南風からの引退を指します。現在でも2000系気動車は四国全域で活躍中で、変わらぬ走りを予讃線・土讃線の高知以南では継続しております。
写真のような堂々とした編成はもう見る事が出来
Turn.8『Thanks,Pastel Blue!!』
いきなりの英語タイトル、申し訳ない。
ということで今回の写真ですが…
京阪800系です。大津線のネタは2件目ですね。
前回は石山坂本線を掲載しましたが、今回は京津線です。京津線、路面電車としての法令に沿って走っている日本の鉄道の中ではかなりアグレッシブな走りをしているのはご存知でしょうか。
太秦天神川から御陵までは地下鉄区間を走行し、御陵から上栄町までは急勾配を含んだ登山鉄道ばりの区間を
Turn.7『復刻交錯』
前回、名鉄6000系 6010F復刻塗装(チョコツートン)の鉄道コレクションを購入しまして、そちらをNゲージの線路で走行可能になるように工程を積んでいく記事を記しました。
自分では正直、鉄道コレクションのNゲージ走行化…動力化に関してはやり慣れていて説明が難しいので、分からないという人は各ツールを検索してくだされば割とすぐに出てきます。ネットなんて簡単なものです。
ということで、この車両の前