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#海外旅行記
❨294❩1972.6.21 水 曇 イグアスの滝/ブラジル(Foz do Iguasu:Brazil)
イグアスの滝
旅に出る迄、この名は知らなかった。
中米で会った日本人旅行者に聞いて、初めて興味を持った。
昨日はあれから、真下まで行った。
見た 見た!スゴイ
豪快というか雄大というか、自然の偉大さをここでも目の当たりに知らされた。
水の色は薄茶に濁っているが、それが遠くから見ると立ち昇る水煙とマッチしてスバラシ イ眺めである。
滝は二段になっており、二段目には、中程迄橋がかかっていた
❨405❩1972.10.10.火.曇/待つ時は、待つ以外に用がなければ、じっと待つのだ。/ポッセ:ブラジル(Posse:Brazil)
2日待った。車はダメだった。
4台の車が来たが、全て満タン。先客がいてダメ。のらりくらりと、半日が終わる。
マンゴが鈴なりになってるのを、石で落として食べる。
近くのほったて小屋には、これまた俺同様、バイヤへ向かう2家族がいて、車を待っている。
長い旅をしているのか、汚れた衣類に鍋まで持っている。
可哀相に、雨が降って来ると小屋の隅っこにかたまっている。ロクな物も食っていない。
焚き火で豆を
❨421❩1972.10.26.木.晴/フォルタレザの強盗/フォルタレザ:ブラジル(Mossoro→Fortaleza:Brazil)
フォルタレザ·イン。
日の出と共に、夜の涼しさは吹っ飛んでしまう。じっとしているだけで体力が消耗していく様だ。
一刻も早く、この赤道に近い土地から立ち去りたい。
午前10時、オニ·ブス(バス)に乗る。
フォルタレザまで240km、11コントで座席指定。誠に楽な旅となった。
1時、フォルタレザに着いた。街は割といい感じだ。海辺へ行く。
海岸に沿って、汚ないバラックが並ぶ。
潮の匂いと、その軒先か
❨426❩1972.10.31.火.晴·曇/色々な人種の部落があるところを通る・日記2冊目終了/Teresina→Codo→D·Pedoro→(Brazil)
昼までに、80kmを走った。
二ヶ所小川があり、しばらく泳いだ。というより、 つかっていた。
かなりの坂道だったが、今日は割と良く走った。久々に調子がいい。
CodoとD.Pedoroの入口で昼飯。日記を付ける。頭がボ~~ンとしている。
このところポルトゲスが全く通じず、人間を見ると拒絶反応が起きて来る。
この辺の人間は、イヤな感じだ。ヤケに日本が恋しくなった。
意気込んで地道に走り込んだ
❨580❩1973.4.2.月.晴/安い旅をする事は大変な事である・バランキーヤについて/バランキーヤ:コロンビア(Barranquilla:Columbia)
今朝、2つ目の港へ行く。
船が一つ10日にあるそうだが、それまでとても待つ気にもならないので、飛行機の切符を買った (112ドル)。
これまでの旅では、日本→米国を除いて最も高い旅になってしまった。
安城から金を送ってもらったおかげで出来る事だ。
この切符を買う為に今日は、船をはじめ、6つくらいのエージェンシーを聞いて歩き、更に安く行ける(ジャマイカ・ドミニカへ)方法がないかやってみたが、この
❨581❩1973.4.3.火.晴/ヤラレタ!悪人面で人はだませないが、善人面が出来る奴程憎いものはない/バランキージャ:コロンビア(Barranquilla:Columbia)
ヤラレタ!チクショウ!!
考えた末、昨日ドミニカ行きの飛行機の切符を買い、今日乗る予定だった。
ひょんな事で知り会った男に、今夜ドミニカ行きの船が60ドルであるが、よかったら乗れと言われた。
空の方は、112ドル。キャンセル料を取られても40ドルは浮くと思い、早速キャンセルに 走った。
それからその男と一度、船長だという男の家へ行き、乗船の時間になるまでそこで休んだ。そこで、船賃60ドルとは別
❨585❩1973.4.7.土.晴/トカゲと人間はだいたい似ている/ドミニカ共和国
16~17km、荷を背負って歩いた。
左肩にしこりが残った。脚は何ともない。
サンタ・ドミンゴまで歩いて行くつもりだ。
所々、ヤシの木陰で休みながら、夕方五時まで歩いた。ずっと海に沿って公園があり、その散歩道を通った。
昼、バナナ3本・パン2コ・ジュース2本。
夕、パン(バター付)3コ・ジュース2本。
65¢の食費に上がった。
夕暮れの海を見て、一人しゃべった。
海を見ているといつも、故郷の
❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン
めまぐるしい旅が続く。九時起床。入国手続きに行く。
パスポート・チェックが厳しい。
パスポート、荷物のチェックの後、再度パスポート、バクシネーション(注射)検査。
天然痘の注射証明がない事で引っかかり、ひとくさりモメたが、懸命に説明し、やっと通れた。
満員のミニ・バス(100アフガン)でゴトゴト、タイバドまで140km。途中でラクダをよく見た。
山の遠い、平原の道。雪はグッと少なくなり、寒さ
❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ
昨夜は周囲が騒がしく、2時近くまで眠れなかった。
夜の町を歩くと、レストランでいい匂いがしていた。
けさは7時に起き、日本大使館へ行く。
郊外の立派な建物だった。一通の手紙が来ていた。
遂に、文無し。一銭も無くなった。
ハテ、どうするか?
夕方、サッカー場で40分程、補強する。
<想>
土地が変る、人間も、気候も、次々と変わる。
そのめまぐるしい変化の中で、俺の頭は少しーーだけだろうか?
❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ
朝は、ごく軽い体操で止めた。腹が減る。
朝食 バナナ3本と牛乳1本・お茶一杯。
あと2缶、土産のお茶を買った。
荷を整理したところ、ちょうどバッグ一杯になった。半分以上が土産である。
夕方、レストランでビール一杯を飲み、ホテルを出た。
夜八時に、飛行場行きのバスに乗る。
時間があったので、荷を置いたままチョット外へ出た。
帰ってみると、バスがいないのに驚いた。
あわてた・・・・・
後のバ
❨932❩1974.3.18.月.晴→曇/ー後記ービ~~バ ビシクレッタ!!/日本
一後記ー
何を取りあげ、何を省くか思案に明け暮れ乍ら、やっとこの一冊が出来た。
毎日記録した事を、そのまま載せただけで、読みごたえも、面白くもないと思う。
楽しんで読んでもらおうと思って書いた訳ではない。
小生の旅の間、心配をかけ、応援を送ってくれた皆さんに、感謝の意をこめて、どんな旅でどんな所へ行ったのか、少しでも知ってもらえればと思い、四冊の日記からこの一冊にまとめた。
二年半の旅は、長過