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保健室登校の日々〜はじまりとそれから〜

今回は私が中学生の頃に保健室登校をしていたときの話をしてみたい。

私は、都内の公立に通う中学生。
中学校に入学して間も無く、不登校になった。

慣れない校舎と制服を着る毎日、新しく出会う同級生…。

全てが真新しい環境の中で、それに比例するかのように、どんどん強迫性障害の症状が悪化したからだった。

不登校になってからしばらくの間は、全く社会との接点を持たなかった。
唯一関わっていたのは、母親くらいだった。

それもそう、強迫性障害に24時間苦しめられるような生活が続いていたからだ。

けれど、母親はそんな私をどうにかしてあげたいと思ったのだろう。

ある日、国立病院に併設された、精神疾患の子供たちのためのデイケアに通うことを勧められた。

母親がそう言うならと、私はとりあえずそこに行ってみることにした。そして何回か通ってみた。

けれど通っているうちに、「なんか違う。」そこにいる自分に違和感を感じはじめた。

だから私は、母親にこう伝えた。

「デイケアに通う代わりに、登校に向かっていけるように進んでいきたい。」

それから、「不登校の私がどのように登校に向けて進んでいくか?」学校の先生も含め、周りの大人たちが考えてくれた。

いきなり教室に入ることはやっぱりハードルが高かった私は、まずは「学校に行く」ということ自体に慣れてみようということで、保健室登校からはじめてみることになった。

これが私の保健室登校のはじまりである。
すごく寒い時期だった。

先生は、年配の女性の方で、ベテランといった雰囲気を醸し出していた。優しくて、物分かりの良さそうな先生だった。

「この先生ならきっと大丈夫。」そう思った。

そうして「ドキドキで保健室のドアをノックして入る」という新しい日常がはじまった。

毎日保健室に入ると、明るく穏やかな笑顔で出迎えてくれる先生の姿もあった。

着いてからそこで何をしていたのか。
そう言われれば、特に大したことは何もしなかった。

まずは保健室まで行って帰ってくるということが一番の目標だったから。

保健室の入り口のドアを開けたら、ゴールテープが待っている。そんなイメージだった。

だから、そこに入ることさえ出来れば、その日の自分に大きな花丸を出せた。

とは言っても、実際はそこで先生とのおしゃべりに花を咲かせたもんだった。

なぜか私の歯並びが綺麗だとか、足の指を全部開くことができるかとか、今日のお昼ご飯はなんだとか。

本当に他愛もない話だった。

けれど、そんな中身のないようにも思える先生との会話は、いつしか私にとってかけがえのない息抜きの時間となっていった。

今でもそのときの話の内容をはっきりと覚えているのは不思議なもんだ。
無意味なことほど、尊かったのかもしれない。

それから保健室に登校することが、どんどん楽しくなっていった。

「先生に会って、今日はこんなことを話そう…!」
そんな気持ちで、保健室に向かうことが出来るようになっていった。

制服を着て保健室のドアをノックして入ることと、大したことのない先生とのおしゃべり。

これが私の「登校」へ向けた次のステップへ進めてくれる確かな土台になってくれた。

りん
(最近の秋晴れはとっても気持ちいいですね🍂)

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りん【強迫性障害(精神疾患)/不登校を乗り越えたひと】
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