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親とのこと

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記事一覧

寄り添い方の、模索。

寄り添い方の、模索。

高次脳機能障害を持つ義母は、言語化に不自由だ。
彼女はそれをもう10年以上悩んでいて、一時期は鬱っぽくなり何種類もの薬を飲んでいた。

あの時ほどではないけど、今も昔の自分と比較して必ず嘆く。75と言えば、障害の有無に関わらず不自由度が似たり寄ったりする年齢なのだけど。彼女は年を取らないのかもしれない。もはや憂鬱とは、義母のルーティンワークだとおもって眺めている。

元々ちゃんとしていた頃

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介護にかまけすぎて、子どもが不登校になった。育児&介護のふっつーの話。

11年前、彼氏のお母さんがクモ膜下出血で倒れた。
その日、退社後に友達と火鍋を食べる約束があった。
彼からの急な知らせを受けて、どうしたらいいのかわからない私に、隣にいた上司は「今すぐ帰れ」と言ってくれた。(簿記受験のキッカケもあの時の上司がくれた問題集があったからで、本当に頭が上がらない)

深夜2時のICUの前で、初めて彼の家族と対面した。
2回目に会う「彼のお母さん」は、脳のCT画像としてだ

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手作りを嗅ぎ分ける

手作りを嗅ぎ分ける

「ママは僕になにも作ってくれないね!」
との小3男子の一言が、わたしの何かを刺激したのは間違いない。



「このランチョンマット嫌だった!ずっと!」

子どもが古びたランチョンマットを投げ捨て泣き出したのは月曜の夕暮れ、宿題にとりかかって2分経過した頃だった。
<書くこと>が苦手な彼は、漢字の書き直し前に、かならずひと儀式やらかしてくれる。連日の暑さの中、運動会練習の疲れも相まって、その日は

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娘から母へ、ハンドクリームを。

娘から母へ、ハンドクリームを。

母が二泊でうちに来ていました。
仕事を辞めてから、軒並み家族も体調不良で春の寒暖差の影響をバシバシに受けていました。
その最中にはるばる静岡からやってきた母も、やはり不調なのでした。

東京に来て、田舎の車生活と年齢の影響で如何に母の足腰が弱っているかを、本人もわたしもよくよく知りました。

61の母はわたしの手を見て、綺麗な手だねと言いました。
それはわたしが二十歳の頃から、何度も聞いてきた

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物言わぬ、お団子。

物言わぬ、お団子。

仕事先がお休みのため、義母の様子を見に行くことに決めた、今朝のこと。

青梅街道を北西方向に走りながら、ついでにお土産を買いに寄り道先を、決めた。

2人分のお昼ご飯は、あのお団子やさんにした。

ここのお団子やさんはチェーン店なのだけど、義家の近くのお店をわたしは1番気に入っている。串団子は一本から買えるし、おこわのお弁当もある。それはどこも同じなんだけど、ここはお餅の歯切れの良さと、お惣菜

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平成最後の年末に、鬱母がもたらしたもの。

平成最後の年末に、鬱母がもたらしたもの。

今年は2年ぶりに、家族が全員実家に揃った。
大晦日前日は、朝から晩まで餅をつき、のし餅を何枚も作り、6人半分のご飯と洗い物をし、郷土料理をいくつか教わり、父に頼まれたお土産を渡す。

お土産の話は、多分いつか書くことになると思うけど、まだ言葉にはしない。今はまだ、馳せたいとも思わない。

その代わりなのか、今年の年末は、実家で賑やかに過ごせている。

弟の1年ぶりの近況とその顔色を見た

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義父の伝言鳩

義父の伝言鳩

電話というのは突然鳴るものだ。
特養にいる義父が貧血で検査入院となる知らせを受け、付き添いにスタコラと埼玉へ向かうことになった。

85オーバーの義父は、息子の初めての学校公開があった日、自宅で脳梗塞を起こした。
その日義家に行くと、ソファで片手を挙げ、片眉を上げて陽気に笑う義父と、その隣には喋れない義母が憔悴しきっていた。ソファにもう丸2日いるという。周囲には尿瓶もあり、右半身は麻痺していた。

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エビチリと、おでんの日。

エビチリと、おでんの日。

10月 神無月。世は祭り一色。
金木犀薫る 祝福ぬくむ風が、町に響くお囃子や子どもの声を 高々と 広い空に届ける。

そんな日でも、わたしの母は 絶賛 鬱である。

どうにも心もとない乱降下する気圧のような心を、老いた細いからだに とどめ、いつだって泣き出せそうな声を、ふり絞っているのがわかる。

「おはよう」

「お母さんおはよう。お昼ご飯はたべた?」

電話の先では 狂った時計を読み違えていた

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Mother Mary comes to me

Mother Mary comes to me

2週間前に足の靭帯を少し切ってしまった。
否応もなく、足の痛みに甘んじて引きこもることになった。諏訪旅行の目論見は泡となって消えた。なんてつまらない連休の連続。
ところがこの2週間、一日置きに来客があり、毎日誰かからの連絡を貰い、引きこもりのようで社交的な生活を送ることになったのだ。

中でも友人のNちゃんとは、子ども同士が仲が良いからか、はたまた子どもとわたしの感覚が近いのか、急速に距離が近づい

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前略、お父さん。娘はあなたと最期まで付き合うと、決めております。

実家の家業を手伝うようになって、4年が経つ。

過去に母が鬱になったときから、
その未来を予感していた。せざるを得なかった。

正式には、アプリ会社での広告担当を辞めた
1年半前に ウェブ事業部責任者として始まった。

事業部といっても、小さな会社である。
しかも 売るものを作らねばならず
資金繰りの荒波を超えて、新商品の選定と同時に
補助金の交付を皮算用しながら進めるという
手探り極まりな

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母からの遺品

母からの遺品

前半の人生で最も立ちはだかった壁は 母であった。

母の未熟さを仕方がなかったと諦め
この人なりにわたしを愛してくれたんだと
分かった日のこと。

母は数年前に措置入院をせざるを得ない
酷い鬱を発症したが、
元々その傾向はわたしが物心つく前後からあった。
大人になってから親戚周りの話を聞いて納得した。

母は結婚によって、幼少時から抱える孤独を
紛らわそうとした。
しかし結婚当初から夫と、その

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暗証番号 XXXX

暗証番号 XXXX

月と気圧の影響をもろに うけてしまう。

月の満ち欠けとともに わたしの体も水を孕む。
ただわたしのためだけの孕み子を 産み落とす。

毎月そうリセットを迎え、いまを占う。

古には鹿の骨を焼いて
その焼け跡から未来をのぞいたのだという。
わたしの経血と水は
月の見えない引力に 操作されているのだが、
その未来はだれが見せているのだろうか。

未来を 見せられる というよりも
未来に向けて

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親孝行

親孝行

実家の南西の庭には小さな祠がある。
たしかこの家に祖父がいた頃からあったが、その姿をあまり見た記憶がない。
昔から雑草に覆われていた。

雑草は目を離すとすぐに大人の腰ほどの丈になる。
どこからともなく運ばれたいくつもの種たちが作る森には、たまに紫蘇や柿の木なんかが顔を出した。

その祠の横に桜の木が植えてある。
父がどこからか貰ってきた幼木を勝手に植えたらしく、家族が気がつくころには、も

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