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親孝行

実家の南西の庭には小さな祠がある。
たしかこの家に祖父がいた頃からあったが、その姿をあまり見た記憶がない。
昔から雑草に覆われていた。

雑草は目を離すとすぐに大人の腰ほどの丈になる。
どこからともなく運ばれたいくつもの種たちが作る森には、たまに紫蘇や柿の木なんかが顔を出した。


その祠の横に桜の木が植えてある。
父がどこからか貰ってきた幼木を勝手に植えたらしく、家族が気がつくころには、もう素手では抜けない太さになっていた。

父はこんな風に
後先をかかとの尻で考えるようなところがあり、
その癖によくよく家族は振り回されてきた。


桜は根の横からも放射状に細い枝がいくつも生え、その溢れる生命力に、みな、父を見ていた。



あの桜はなんのために、と わたしは父に聞いた。
縁側で花見がしたいから といわれ
あの人の子どもらしい貪欲さが垣間みえる答えに
わたしは、大いに納得した。

父は、なんでもかんでも好きなものを入れてしまう
妙に器の大きなところがある。


今朝実家で、その祠の近くをトンボが飛び交うのを眺めながら、覚悟を決めて父に告げた。


2人で30分なら、ここは何とか出来るから。


連日の暑さと、たまたま連日も重なったクレーム対応に辟易しきり疲れきった父は渋った。


2匹の羽黒トンボが どこからともなくやってきた。
川からは随分距離があるのに
ここまで、いつの風に押されてきたのだろうか。


すると突然、仏壇のロウソクの片方が灯り
それを消しに行った父は、右肩が下がっていた。
上を見ると、また1番右に飾られていた
祖父の遺影と目があった。


その度々の偶然に、ついに老いた父も観念した。
我々親娘は、いざ中庭の樹海に踏み込んだのだ。

鬱蒼とした樹海から祠を掘り返す2人を
すぐ脇で 2匹の羽黒トンボ が おもしろがっていた。



地中には桜の根が深く広く張り巡らされ
それは祠が傾いていた原因であった。

言わずもがな、その傾きは
老いた父の下がってしまった肩と同じ右である。


やりだせば本気になる親娘のタッグは強烈で
あらゆる道具を駆使し、
その桜の頑丈な根を次々に切り出していった。


小さく弱いように見えて根は太く、酷く瑞々しい。
わたしは生きている木の根を切っていることを
突然突き付けられ、一瞬、躊躇したが
いやいやと思い留まり、なんとか本懐を遂行した。ポタポタと汗は、土に吸われた。


そういえばお父さん、この桜だれからもらったの?

おまえが昔持って帰ってきたんだよ。

え?ほんと!?


わたしは思わず土の中に刺しこんだ
ノコギリの手を止めてしまった。
覚えていない。
けれど、妙に納得した。ああ、それでこの生命力。

そして今までなにも感じなかった
穏やかな父の花見姿が急にこそばゆく感じ、
目頭がジンワリした。


わたしは、木を切らんとする手に決意を込めた。
細いようなのに本当にしぶとい。

見かねた父は、ついに電ノコを持ち出し
あえなくその厄介な根は分断された。


齢70を超えた父の体は細い枯木のようなのに、
やはり太くしなやかな力を出せるのだ。


土台を作り変え、無事に移し替えられると
祠は、桜の屋根を通過した細かな日差しを浴びた。

その時、まるでそこだけ狙ったかのように
小さな針のような小雨が 親娘にまいおりた。


あとはやるから、と父を休ませ
わたしは残りの片付けをした。


昔は、父もこんな作業は訳無くできていたし、
休む必要もなかった。

わたしはあのとき父を気遣うこともなく
全力で体当たりでぶつかったが、
もうここは自分の出番なのだとわかっていた。


桜の下の枯葉を掻き集めながら
頭の片隅でうっすらと未来をかんじた。

この桜の太い幹を切る役目はわたしに託されたのだ。


それは、父も母もこの家からいなくなったあと
わたしが してあげられる
最後の親孝行になるのだ。

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