ねい

83年生まれ。都内で暮らしながら空と木がないと生きていけないジレンマを抱えている。幸せ…

ねい

83年生まれ。都内で暮らしながら空と木がないと生きていけないジレンマを抱えている。幸せな親子迷子。好きなこと:水、蕎麦、酒、弦楽器の音、好きな匂い、バナナフローレット、ジェリービーンズの中身、言葉。ほんめとしみつさんの絵。radwimps。木の葉音。海。

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  • 平凡な日々

    わたしの頭の中へようこそ。

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    すき、は偉大なる杖だ。幾度となく折れでも、幾度となく立ち上がった。いくつになっても、すきだと叫んでばかりいる。

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涙のおうち。

「子どもはもういいよ。あの時を今また追体験するなんて、もう自信がない」 「2人目は?」と聞かれると、素直にそう答えるわたしは確かにいる。 あの日々は、確かにそう囁くから。 夫はまだ結婚する前、就職氷河期に入社した会社を何年かで退職したあと、クライアントの企業にジョインした。数年後、会社はリーマンショックの大波にさらわれた。会社のみならず、経営者の家もすべて津波にさらわれ跡形もなく人は散った。金は消えた。黒い影が群がった。 おぞましい津波を受けてもなお立ち上がる夫の姿

    • ほどほどdays

      書くほどのことを書こうと思っていたかもしれません。 お久しぶりです。ご機嫌、いかがでしょうか。 いぜん、過去の様々な葛藤や出来事を書いていましたが、最近は近況報告さえままなりません。 今日はお休みでした。義母宅から帰る途中、ファミレスに寄りました。 喉の奥に届く抹茶ラテの苦味と温かさにやみつきになり、3度もおかわりしました。 せっかくなのでテキストでも眺めようとしたら、うっかり計算用紙まで出してしまい、いつのまにか斜陽がブラインドの隙間から水平に差していたのでした。

      • 黙っておればよい?

        同じ職場の永原さんは、わたしと同じ年齢の彼女がいる。 だから親近感を覚えてくれたわけじゃないとおもう。努力をペロンと忘れルールを破り、社長に物言う姿を白けた目でみられているのは、チェック済みだ。大事なのは、永原さんが彼女の話をしてくれるようになったということだ。少し前に請求書を何十枚か整理しチェックした翌日、永原さんは急に私に優しくなり、少し厳しくなった。あの作業はとりあえず第一次永原試験を通過したのかもしれない、そう理解した。 永原さんという人はおもしろい人で、

        • 進化する反抗期

          ルールなんて好きじゃない。 そんなのいらない。 その気持ちを、反抗期、と呼んでみることにした。 最近、ここ1カ月。 オトナチャレンジ1年生として、ずいぶん長いこと留年している。 そもそもわたしの反抗期との付き合いは長くて、終わりが見えない。半分白目で書いています。 小学校の委員会で、委員長からの連絡事項をメモしていたら「鉛筆を置いてください」と2回怒られた時は、すでに反抗期だった。2回目に怒られた時は、もう覚えない!と反抗した。この人(わたし)はメモしないと

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          +4

          朝霧高原 ふもとっぱらの石

          朝霧高原 ふもとっぱらの石

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          84°33でつながってたい。

          たまらなくなって、あわててパソコンを開いた。うれしい。 前回の更新から約3ヶ月ぶりでしょうか。 お久しぶりです。元気にしています。お元気ですか? 元気でなくてもいいんです。生きていてくれれば。 あれから仕事を始めました。 心配していた夏休み、家事の分担、子どものメンタル、7月に抱えていた問題は夫と子どもとの話合いと試行錯誤を重ね合いながら、9月からは週4と求人票通りに働いています。 いまにして思えば、主婦+介護+子育て+自身の凸凹と、わたしについているタグは、よくある家庭

          84°33でつながってたい。

          寄り添い方の、模索。

          高次脳機能障害を持つ義母は、言語化に不自由だ。 彼女はそれをもう10年以上悩んでいて、一時期は鬱っぽくなり何種類もの薬を飲んでいた。 あの時ほどではないけど、今も昔の自分と比較して必ず嘆く。75と言えば、障害の有無に関わらず不自由度が似たり寄ったりする年齢なのだけど。彼女は年を取らないのかもしれない。もはや憂鬱とは、義母のルーティンワークだとおもって眺めている。 元々ちゃんとしていた頃がある人は、そういうところが障害とは別に、不自由だとおもう。 リハビリにも通い大

          寄り添い方の、模索。

          今日の今日のきもち

          日々が瞬殺でアップデートしてしまいます。 昨日をすぐ忘れてしまうので、備忘録としても、もう少し頻度を上げてつづっていきたい想いです。 先日のnoteで多くの方の前に、自分の想いを吐露しました。 いただいたコメントのやり取りをさせていただく中で気が付いたことがあります。 「命を天秤にかけられない」気持ちが、自分の中にごっそり見えるということです。 わたしのいう命とは、介護・育児のことです。それらを、ゆりかごと墓場ともいいますね。 もう少し突っ込むと、ゆりかごの前に母子

          今日の今日のきもち

          禁じられた遊び3

          その日はいつもより小高い山の崖から飛び降りることにした。もうその頃には、高いビルのフェンスを越え、屋上の90度のコンクリートに足を掛け、次のビルへ飛び移るようになっていた。 崖も簡単だろうと思ったら大間違いで、脆い岩では足の裏に力を入れても思った以上に勢いがつけられず、ある家の裏庭に落下してしまった。仕方なく窓を開けて静かな家の中へ忍び込んだ。 古い見知らぬ家の中は暗いはずなのに、青白く明るい。誰か寝ているか一応警戒はしたけど、やっぱり誰もいない。 屋根上の瓦がカタカ

          禁じられた遊び3

          禁じられた遊び-2

          真夜中の真っ暗な海は平気でも、どうしても怖くて、なかなか飛ぶことが出来ないことがあった。 屋根から飛び降りることだ。 現実的にあり得るとどこかでわかっていて、リミッターを外してはいけないと無意識で危険を察知したのかもしれない。リアルにやってしまったら一回こっきりサヨウナラ、だし。 でも現実で屋根から飛び降りる勇気などないチキンにこそ、夢は有用で尊い。夢はひとりの未成年にも親の同意もなく門戸を開くのだ。 毎晩、どれほど丹念に飛行夢の発生条件を探しただろう。夢の途中で醒め

          禁じられた遊び-2

          禁じられた遊び-1

          10代前半、夜な夜な、1人遊びに更けていた。中学生くらいまで。あ、残念ながらこれは読む人によっては少し怖い、本当にあった話です。 そもそも小学生の後半頃に、簡単には眠れなくなっていた。自然な眠りとは何なのか、よくわからないまま大人になった。(入眠困難という言葉は最近知った) 深夜まで本を読んでいれば、朝は当然起きれない。 親からいい加減にしなさいと怒られ、主電源を切られてしまうと部屋は真っ暗になった。 死にそうにつまらない夜中の暇をなんとか潰そうと、10代前

          禁じられた遊び-1

          介護にかまけすぎて、子どもが不登校になった。育児&介護のふっつーの話。

          11年前、彼氏のお母さんがクモ膜下出血で倒れた。 その日、退社後に友達と火鍋を食べる約束があった。 彼からの急な知らせを受けて、どうしたらいいのかわからない私に、隣にいた上司は「今すぐ帰れ」と言ってくれた。(簿記受験のキッカケもあの時の上司がくれた問題集があったからで、本当に頭が上がらない) 深夜2時のICUの前で、初めて彼の家族と対面した。 2回目に会う「彼のお母さん」は、脳のCT画像としてだった。 あ、ここから先の話は長いので端折る。 それから11年後の今、2ヶ月に1

          介護にかまけすぎて、子どもが不登校になった。育児&介護のふっつーの話。

          ゴキブリを食べたから、吉夢なわけじゃなくて。

          誕生日にゴキブリを食べる夢を見た。 それがとてもいい夢だった。 寝起きですぐに、スマホの電源を入れて、大阪で起きた拳銃強奪事件の犯人逮捕の速報を確認した。子どもの登下校の心配が少し消える。 ああよかった、と一安心した後、あれ?と思った。 (さっき夢で、ゴキブリ、食べた?) 保育園の頃に住んでいた家で、朝食を囲んでいた。 あの時、両親は止むに止まれず(理由はもちろんお金)起業したばかりで、裕福ではなかったと思う。それでもあの部屋に住んでいたときに起きたことは、楽しいことが

          ゴキブリを食べたから、吉夢なわけじゃなくて。

          インターホン越しの取り立ておじさん

          昔(と言っても9年前)とてもお金のない時期に、取り立てが家に来たことがあった。くまのみさんのnoteを読んで思い出した。 靄を消すように、静かだ。電卓を打ち終わるときの吐息が聞こえてきそうな空気があって、その中に気丈な、くまのみさんがいる。普段、お子さんへ向けられている気遣いが、読んでるこちらに向けられているようだった。「誰も苦しくないように」思わず、涙ぐんだ。 それで思い出した。そういえば、取り立てが来たことがあった。 今でこそ、休日に諭吉が飛ぶハイコストでハイパフォ

          インターホン越しの取り立ておじさん

          簿記3級と不注意の26時間レポート

          不注意は、山姥なんかよりずっと手ごわい。 山姥は三枚のお札があったら切り抜けられるし、豆にして食べちゃうこともできる。 不注意と共に過ごした26時間をお送りします。 ◆試験開始時刻➖24h1か月半勉強した簿記3級の、最後の仕上げが終わった。ソファに座って受験番号を確認したとき、とんでもないことに気が付いた。 持ち物「顔写真付きの本人確認証」 衝撃のあまり膝が崩れた。 だって、いいですか、驚いたんだ。自分に。 わたしこの持ち物の欄を何回も見ているのに、今日までずっと

          簿記3級と不注意の26時間レポート

          もし明日死ぬなら最期に何したい?

          もし明日死ぬなら最期に何したい? なんかそんな感じのタイトルの本を見て、その瞬間に思ったことが、サッパリ不明なのに覚悟しすぎておかしい。理由をずっと考えていて、それが結構楽しかった。 わたし明日が最期なら、今から石を舐めに行きたい。 どうする?こう思ったのが、もしあなたなら。 当然ながら、うそだあ?とすぐ打ち消してみた。でも、打ち消せる理性があるならまあいいかという楽観的な自分が、瞬殺で理性を相殺してしまった。 もし明日死ぬなら、ともう一度考えてみる。 それが学校に子

          もし明日死ぬなら最期に何したい?