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黙っておればよい?

同じ職場の永原さんは、わたしと同じ年齢の彼女がいる。

だから親近感を覚えてくれたわけじゃないとおもう。努力をペロンと忘れルールを破り、社長に物言う姿を白けた目でみられているのは、チェック済みだ。大事なのは、永原さんが彼女の話をしてくれるようになったということだ。少し前に請求書を何十枚か整理しチェックした翌日、永原さんは急に私に優しくなり、少し厳しくなった。あの作業はとりあえず第一次永原試験を通過したのかもしれない、そう理解した。

永原さんという人はおもしろい人で、頼んでもないのに22日はショートケーキの日だとか、お盆の供養に必要なのは火と水と香りだとか教えてくれる。あと深海生物や、スーパーのバックヤードで働く人の気持ちにも詳しい。トマトについては1か月くらい話せるのではないか。とにかく永原さんの話は楽しい。なので、わたしが永原さんのデスク近くに行くときは、自分の仕事を最速で終わらせて、気が付かれないように後ろからスキップで歩み寄っている。

今日の永原さんは人間嫌いについて教えてくれた。

人間嫌いとは自分のことが好きで、他人の考えを受け入れられないひとのことだそうだ。永原さんは丁寧に解説してくれる。もちろん頼んではない。わたしはワクワクしていた。眉に唾をつけたかもしれない。


人の考えより自分の考えが好き、また唯一と考え、自分に固執すると、他人のことが嫌いになるのだという。そして他人の一面だけを見て、それがその人の全てだと判断してしまう。だけどその人にも親や兄弟、家族や友人がいる。人間は誰しも誰かの子どもだ。自分が見てる側面以外の部分が、その相手にあると思えば、他の人から見たら違う側面もあるのだなとおもうと、どこかでその側面を探そうとして新たな相手への見方を身につけていくものだという。
しかし自分の見た側面しか信じず、その一点だけで他人を全て拒絶してしまう。それが人間嫌いということなんだそうだ。

永原さんは難しいことを説明するのが上手な人だ。あまりに華麗な解説に、今日のわたしは思わず飛び跳ねて拍手喝采した。永原さんは拍手に照れて笑った。この人は本当におもしろくて、とても親切な人なのだ。

それでそのあと、わたしは黙っていることにした。
黙っておればよい。最近ようやく、黙るという技を身に付けた。黙ったわたしはちょっとかしこまっている。努力して黙っているからだ。
でもわたしは黙っているので、永原さんはそんなこと知らないはず。

わたしは自分の考えが好きなつもりはないけど、固執はしている。無意識で固執するから、よっぽどでないと気がつかない。例えば落とした食べ物は3秒ルールでまた食べれると信じているけど、夫からすれば落ちた食べ物は誰かの靴の菌が付いていると信じているから、絶対に口にしない。彼にはわたしが落ちたものを口にしている姿を見せない方がいいらしい。そんなことしたら、彼はわたしが落ちた食材を鍋に放り込んでいないか心配しすぎて、胃が悪くなってしまう。正直、床に落ちた人参を再度洗って鍋に放り込んでいる身だ。加熱すればだいたい問題ない。それはわたしのルールなので、夫には一応内緒にしている。あの人にはあの人のルールがある。でも多分バレてる。

こんなことも当たり前だと思っていると、そうじゃない人と話したときに、大変驚かれる。そういうことは言わない方がいいらしい、黙っておればよい。いま、そう学んでいる。

とにかく黙っていればいいらしい。だけどもしわたしが黙らなかったら、わたしは今日の永原さんの顔をしかめさせたとおもう。

「自分の好きという基準でだれかを好きだと思うことは、自分の考えから外れた意見を好きになれない人間嫌いと、元を正せば同じようなものじゃないですか?

どちらも自分の考えをとても気に入って、それだけを採用しているということでしょ?」

わたしが人を好きだとおもうとき、永原さんのいう人間嫌いな人とある種似たような共通点がある。

だって、わたしは自分の好きなものでしか、人を見てない。すごく固執するから。自分の、好きに。

誰の意見も単純におもしろおかしく聞いてしまうから、永原さんはまるで噺家のようだ。
永原さんのことが好きなのかはよくわからない。だけど、おもしろい人だとおもってる。おもしろさと、その人を好きというは、少しわたしの中で違う位置付けにある。

おもしろいというのは、好奇心からきているのだとおもう。
単純に、なぜそう考えるのかなぜそう感じるのか、よくわからないから、理由にとても興味がある。そこにその人がいる、とおもっているから。その中には相手への好奇心があるからで、もっと底まで言うと、あなたという人を知りたい。もっと本音を言うと、わたしの中の好きと出会いたい。たぶん、わたしは永原さんがあんなに話せる理由に、もっとも興味がある。

だけど黙らずに根掘り葉掘り聞いて、あとから聞いてはいけないことだったのかと知ったとき、その人はわたしが理解しないことで傷付いていることがある。こいつなんでわかんないのかな、という顔をするから、わたしも首を傾げる。なんでそんな顔するのかなって。

理解できないからって、聴いてばかりもよくないそうだ。正直、人間嫌いと人間好きの境目が自分の中でよくわからない。

だけどわかったことがある。
そういうときは、黙っておれば、よい。

よくわからないから詳しく聴く、それを当たり前だと思っていると、そうじゃない人に会ったとき大変驚かれる。だから、黙っておればよい。黙っていたらいいらしい。たしかに永原さんは顔をしかめることなく、1日楽しそうにしていた。

黙っておればよい。なんと奥深い。てか合ってるのかなこれ。