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進化する反抗期

ルールなんて好きじゃない。
そんなのいらない。

その気持ちを、反抗期、と呼んでみることにした。
最近、ここ1カ月。
オトナチャレンジ1年生として、ずいぶん長いこと留年している。

そもそもわたしの反抗期との付き合いは長くて、終わりが見えない。半分白目で書いています。

小学校の委員会で、委員長からの連絡事項をメモしていたら「鉛筆を置いてください」と2回怒られた時は、すでに反抗期だった。2回目に怒られた時は、もう覚えない!と反抗した。この人(わたし)はメモしないとすぐに忘れる、とあの時には自覚していた。

この人は(わたし)メモさえ忘れてしまうひとです。でもメモさえすれば覚えていられるから!とメモ行為に頼るくらいには、ずっと困ってきました。自分の忘れやすさに。
で、委員長から注意を受けて、メモという苦肉の策を取り上げられたら、もう絶対そちら側(委員長)には沿わないぞ!とあのわたしは不貞腐れた。
ここは真っ当な反抗期でしょ?

6年生の時に「挨拶くらぶ」という名の学年の風紀というよくわからないものを取り締まる委員会にいた時も、反抗期らしい反抗期だった。

挨拶くらぶは、イジメと学級崩壊で20代後半の担任が休職したのをきっかけに、教師が立ち上げた委員会だ。

何人かの生徒の親が呼ばれたらしい噂が広がる頃、廊下には挨拶くらぶ、の顧問教師が管理する「意見箱」が置かれた。

その意見箱を、わたしはずっと待っていた。ずっとこういうものがあればいいのに!と思っていたので、自分たちで設置したその日にウキウキしてメモを投函した。

「○○さんが笑わなくなった。1人でいることが増えた」

○○さんとは、さして仲良くはないけど、前々から気になっていた子だった。いつもクラスの中で、3人で団子になっていた。女子3人組のやり取りは、同じ教室にいても詳しい話までは耳に届かない。傍目には3人は仲が良いように見えたし、わたしもそう思おうとしていた。でも気が付いていた。
その内の1人の笑う姿を見なくなり、その代わりよく寂しそうに見えないように1人でいる姿を見るようになった。

さして仲良くはないし、もしイジメとは違ったらと思うと、直接教師には言えなかった。それにもしそうだとしても、その話をした後を考えると気が重かった。
もし話しかけて、その後その子と一緒にいなくてはいけなくなったら?
ちょっと複雑なんだけど、当時わたしのつるんでいた女子グループの中に、好きな子がいた。わたしはどっぷり彼女と過ごしたかったし、離れたくなかった。

じぶんの見えない部分の素直さに逆らう理由は小学生のわたしの中にはどこにもなく、彼女のそばにいたい。だけど元気のないあの子が気になる。
同性グループ内の関係性はもともと複雑だ。ただわたしの持つ性質は、人との関わり方をさらに複雑にし、油をドバドバに注いだのは間違いない。

だから、意見箱が出来たときは、本当に嬉しかった。すぐに恋心と正義感と罪悪感がないまぜとなったメモを手放すように投函した。よかった、とおもった。本当に良かった。だれかが代わりになってくれる、きっと。

翌日、珍しく朝スッキリ起きた。なのに、その日は最悪の日だった。
放課後に挨拶くらぶの緊急招集がかかった。50代手前の女性教師は生徒たちを見渡して、わたしの顔の前で止まる。全員の前で名指しで立たされると、あろうことか先生はあのメモを読み上げた。え、なにそれ?とは言わなかったけど、無防備なわたしはポカンとした顔をしたんじゃないか。
それでその後、がっつり怒られた。

「同じクラスのことなんだから直接言いなさい!
先生はガッカリよ、あなたに!
挨拶くらぶ、失格よ!」

オトナの口車には乗らない方がいいな、と思った。
反抗するにもできない事情がありすぎて、黙った。

だれも悪くはない出来事だったんだけどね。
教師たちは何かの風紀を正すために躍起になっていた。休職した先生の復職を叶え、なにも無かったことにしたかったのかもしれない。中には本当にこの「挨拶くらぶ」が子どものココロを変えると信じた先生も、いたかも。
うん、本当にいたかもしれない。そういうことでもいい。
たとえ先生が、問題児早く卒業してくれとおもっていたとしても別に悪くない。

あの教師への怒りはいつの間にか風化してしまったけど、代わりにルールへの嫌悪感だけが残った。

ルールは誰のことも許さない。
あの怒った教師は怒り、わたしは当然怒られ、休職した先生は休みたくても復帰せざるを得ない。
ルールには、誰も許してもらえなかった。

ルールは素知らぬ顔をして、1番狡いところにのほほんと座っているように見えた。
ワタシ、オマエ、大キライ、とおもった。

あ、あのメモはどこにいったのかな。

あの子の元気が無かった理由は今もわからない。ちょうど家庭の事情が重なったのか。消しゴムを忘れたとかの些細なことかもしれない。わたしが何回も見間違いをしていたのかもしれないし。

もちろん、あのメモもよくなかった。
あの子が笑わなくなった、という理由だけじゃ、弱かった。だけど笑わないというのは、とても大変なことだと思ったけどね。

異変は末端から現れていく、小学生だってそのくらいのこと、言葉にならなくても知っている。
笑えなくなる人の挙動にとても敏感だったし、よく周りを見ていた、昔から。あ、いや、眺めていたの間違いですかね。恋路に踏み入る正義感さえ、馬に蹴り散らかしてもらったわけですから。

あのあと、罪悪感と理不尽への戦いは大変なものだった。恋心と正義感、罪悪感と理不尽さへの葛藤は、江戸城無血開城にも引けを取らなかったとおもう。無論、答えが一生出ない不良品な問いなので、無意味な葛藤だった。
無意味は罪深い。
誰にも理解されないと長らく悶々としたお陰で、反抗期はさらに加速度的に進み、そして末永く引きずった。ええと、最近も。。。

そのため、でもないけど、中学の頃は生徒会に入り、むしろルールを作る側に回った。
それでも、ルールは好きになれなかった。
ルールを作ってもルールに縛られる。もうルールなんてない方がいい。
ルールなんて傷の付かない狡いものに無条件で従ったら、みんなが取りこぼされてしまうじゃない。

わたしはルールへの嫌悪感が強すぎて、うかつに迎合しない大人になってしまった。もちろん迎合しないので色々と自分が困る。一方で、迎合「しない」なんて傲慢な物言いに自分で呆れる。

ルールを守ることが、できてやしないのに。
(もちろん社会的なルールは守ります。破る体力も気力もないし、自分の未来を無下に捨てる気もない)

そうじゃなくて、誰かが作ったその場ごとのルールが、わたしにはたぶん見えてない。見えてないのでどこまで見てないのか、どれがルールなのかさえわかってない。

守る気は出てきたが、今度はルールが守れないことにひどく焦った。選択肢がひとつしかないのに、絶対選ばないフェイクを入れて、さも選択肢を持てる自由な身であるかのように振る舞うみすぼらしい自信にちっとも救われない。

ほんとはルールを守りたい。
ルールに守られたいのだ!!

だから、今までしたことないことを、ちょっと今してみてる。
ルール嫌いな自分の反抗期に反抗することにした。
わたしの反抗期は形を変えて、今度はセルフ反抗期へ入ったようだ。

ああ黙ってられないと思いながら、様子がわかるまでは黙って見つめる。不用意に独断で先走ったりしない。よくわからないルールでも、とりあえずルールに従ってみる。

ものすごく苦手だ。ものすごくストレス。
工夫を考えない。既存の方法に従う。すごい、大人すぎる大人のやり方だ。実際それができているか、側から見てどうかはわからないけど、ひとまず努力している。

SNSはどちらかというと、まんまの方の自分なので、対外的な職場とか普段の人間関係の方で。
借金を返すように、今までしなかった行為や時間を取り戻す気でやってみてます。やり始めると負債額がすごくて過去を直視できないのでもう前しか見ない。

それで最近になって、1つのことに気づいた。
わたし、意見を持ちすぎるんじゃないか、と。

(今さらなんですけど)意見を持つのがいいことだという誰かのルールを、わたしは守ってきたのかもしれないって。

自分の意見や考えに囚われすぎると、自分が重たくなる。すごく動きづらい。新しく得られるはずの感情や知見さえスルーしてしまう。たぶん今まで沢山スルーしてきたんだろうな。

なんでも良し悪しがあるもんですね。みんな気が付いてたんですか?すごいですね。わたし最近知りました。

ルールを守る人を、周囲は信頼するようです。よくわからないけど社内での仕事が増えてきました。
ルールに向かって反抗していいのなら努力なくできますけど、ルールを守るには努力と気合が必要です。(ん?なんなのコレ、反社勢力の発言なの?心の中を適切に表してしまうと字面がマズイことになるな)

そのくらいちょっと振り切ってます、という話です。

つまり少しだけ大人になったのだとおもう。ようやく。パチパチ。いま、19歳くらいでしょうか。

早く成人したいです。
ここが終われば、反抗期との終わりが見えるのかなと。全くそんな気もしないけど。

そんな感じでいます。かしこ。