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義父の伝言鳩

電話というのは突然鳴るものだ。
特養にいる義父が貧血で検査入院となる知らせを受け、付き添いにスタコラと埼玉へ向かうことになった。

85オーバーの義父は、息子の初めての学校公開があった日、自宅で脳梗塞を起こした。
その日義家に行くと、ソファで片手を挙げ、片眉を上げて陽気に笑う義父と、その隣には喋れない義母が憔悴しきっていた。ソファにもう丸2日いるという。周囲には尿瓶もあり、右半身は麻痺していた。初夏の強い日差しが注ぐ明るい部屋の中は、全てがチグハグで、その不釣り合いさに惑いそうなくらいだ。その場で脳外科がある病院に連絡を取り、即日入院となった。

血圧が220を超えても義父は喋り続けた。意識が混濁していくのを1人寄り添いながら、家族の到着を待っていた。握る手が濡れていたのは、わたしの汗だったのだろう。いつもそこにいる人だけが、同意書を書く。この10年で、病院とはそんなところだと思うようになった。

あの日も、その10年前、義母がまだ彼氏のお母さんだったとき、クモ膜下で緊急入院したICUの前の椅子にも私は座っていた。いつも2人で、わたしたちは彼の親の命の瞬間に立ち会っている。

そのもう少し昔、わたしの親の命の瀬戸際がやってきたときも、彼は関わってくれていた。

誰かの一命を取り留めた日は、普通の日で、穏やか午後の日差しが注ぐお昼寝日和だったりする。それが家のベッドの上でなく、病室に注ぐ日差しになると、途端に神聖さを増すのは何故なのだろうか。



病院嫌いの義父は時限爆弾の宝庫で、その後もいくつも病院を回り、体中をクリーニングした。
今は埼玉の特別養護老人ホームで暮らせることとなった。つまりあの日以来一度も家には帰れなかった。

義父は倒れる前から変わり者だった。長年の飲酒と、乱れた生活習慣は、元々の性格をカモフラージュしているようにさえ感じた。あの日から2年経ち、痴呆と高次脳機能障害が加わり、さらに輪がかかって義父の感情と言葉は目まぐるしく回る。

でもたまに、ヒョコっと、義父本人が顔を出す。

クルクルと回る走馬灯のようだなぁと思いながらも、その中のどれかには、今の本当の気持ちがあることだって、もう知っている。

「入院なんてイヤダもう帰りたい。俺はうちに帰る!」

そりゃそうだろう、と思いつつ、宥めた。蒼白の顔、何倍に浮腫んだ太い脚、義父には見えない現実が、私の目には映っている。川の此方側で義父の脚をさすっていると、お昼ご飯が運ばれてきた。

すると、それまでイライラを募り募らせていた義父の、目の色が変わった。

軟飯。わかめと豆腐の味噌汁。大根と蕪の酢の物。
大根とお肉の煮物。温野菜サラダ。プルーン。

貧血食なので、蛋白質多めで、デザートまでついてきた。少し塩分も濃いのだろう。

施設では出されなかっただろう味に、義父は夢中になっていた。

あまりの速さでかきこむのが不憫になり、途中からスプーンで義父の口にゆっくり運んだ。これはご飯の味、お味噌汁の味。口の中で、調理をするつもりだった。六品もあれば、掛け合せると何倍もの味わいになる。病室の白い布団の上でも、愉しみを何倍にもできたのなら、今日わたしはここに来て良かったと思えるのだろう。

目を細め、無言で、時々唸りながら、義父は完食し、満足気に口を拭って言った。


「入院するならここに限るな。」


食事の興奮なのか、途端に元気になり、アレヤコレヤと欲求も出てきた。歯ブラシを嫌がり、薬を自分で飲んだ。そしてまた、あの走馬灯のような目をチラつかせながら、聞いた。

「今日、子どもはいつ来るって?あいつは今、何してる?」

2人の代わりにきたことを告げても、2人は仕事でいないことを告げても、何度も何度も、聞いた。


「義弟は馬鹿だけど優しいから。自分にお菓子を買うお金もない。」

「そうかなぁ、義弟くんは何歳なの?」

「あいつは、15くらいだろう」

「わたしより年上なんだもん。お父さんにお菓子持ってお見舞いにくることくらいできるよ。もういい大人だから、たまにはお菓子持ってこいって、義弟くんに伝えておくね!」


沢山のお土産を貰った伝言鳩は、そろそろタイムオーバーだ。時計の向こうには、息子と、彼の習い事が待っている。

義父のなかでは永遠に15歳の義弟は、去年生まれた子をまだ義父に見せていない。でも多分その子を見ても、彼は15歳なのだ。義父は、心配し続けたいのかもしれない。心配する側に、立っていたいのかもしれない。

その本当のところは、伝言鳩にはわからない。

だけど確かに、あの義弟くんは、わたしから見ても15歳のところと、37歳のところもあって、あと他の年齢も持っている。

あの人は何歳と言えばいいのだろうなぁと鳩はおもい更けつつ、電車に揺られたのだった。