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エビチリと、おでんの日。

10月 神無月。世は祭り一色。
金木犀薫る 祝福ぬくむ風が、町に響くお囃子や子どもの声を 高々と 広い空に届ける。

そんな日でも、わたしの母は 絶賛 鬱である。


どうにも心もとない乱降下する気圧のような心を、老いた細いからだに とどめ、いつだって泣き出せそうな声を、ふり絞っているのがわかる。

「おはよう」

「お母さんおはよう。お昼ご飯はたべた?」

電話の先では 狂った時計を読み違えていたことをサッと察して、母は少し照れた。しかし娘の前だから小さく笑って告白できるのだろう。

「うん、すこし。おでんがたくさんあるから。」

地元ではお祭りの時期になると、どの家もおでんを大量に作る。せわしなく、出たり入ったり いつ帰るかわからない子どもたちや、何時でも関係なくおとずれる来客に追わる。おでんは、ご飯をくいっぱぐれないようにする、静岡の知恵でもある。
この家には もうそんなに出入りはないが、彼女はおでんをつくる。たぶんずっと作るのだろう。

「いいね、わたしも作ろうかな。手羽先とモツもいれようかな」

「そんなに大変なことしなくても、簡単でいいんじゃない。」

そうね。
でもわたしは手羽先とモツの出汁が溶けたおでんが一番おいしい。

母は料理が上手な人だ。

いまとなっては、かなり甘すぎる煮物や、焦がした一品が出てくるようになってしまったが、むかしは、ピッタリとあてはまる逸品が作れる人だった。いまもそういう料理が出来るのだろうが、ここ数年とんと食べていない。母の料理上手は、祖母から継がれたものだと わたしは知っている。

祖母の家では時候の挨拶が変わるころになると、大勢の人が一同にかいして、食卓をかこんだ。極めつけに必ずエビチリが出てきた。これがどの店でも食べられない、絶品だった。

祖母がいつからエビチリを作りだしたのかは知らない。もしかすると満州から帰った祖父の、当時の友人から教わったのかもしれない。警察官の祖父はいつもたくさんの友人を家に招き、祖母は持ち前の社交性と料理の腕で、多くの人をもてなしてきた。エビチリは母が子どものころから食べていたそうだ。
素揚げのワンタンでかこまれたエビチリを、パリっと香ばしいワンタンにのせるのが、祖母流のエビチリだ。ソースをすぐに吸ってとろけた部分と、パリパリの触感を 一気に口にほうばる。二つの風味はエビのうま味を濃厚にする。のどの奥までエビチリで満たしたい。それはそれは、多くの人をやみつきにさせた。
酒にもご飯にも合うエビチリは、祖母の一八番だった。

料理上手でわたしたちを愛した祖母は、忍耐強い人だった。晩年になり祖母は長男夫婦の決断により施設に入所した。その直前の祖母とのやりとりが、急に思い出された。

「おばあちゃんが施設に入る前、わたしコバエがホイホイを買ってきてと、お母さんに言ったのおぼえてる?」

「覚えてないなぁ。そんなことあったかな」

祖母は晩年痴呆が進み、施設に入らざるを得なくなった。あのエビチリと施設入所がどうにも結びつかないわたしは、叔父夫婦の決断がとても不服だった。しかし、祖母から夜中に起こされたことが一度もないわたしが、挟める口などない。

その日はお寿司を手土産に祖母の家に母と2人で遊びに行った。お寿司の小皿と醤油さしを取りに行く祖母の後を追って、わたしは手伝いにキッチンに入り、驚くような光景に息が止まった。キッチンの辺り一面、コバエが沸いていたのだ。それはそれは、衝撃だった。
祖母はとてもきれい好きで、過去に一匹の虫さえこの家で見たことがない。このキッチンで祖母は何を食べているのかと、愕然と見渡した。

元栓の止まったガス
新品同様のフライパン
洗い物の痕跡のない洗い場
食パンの袋もなければ、ゴミ袋のひとつもない。

それらを見て、隣に住む長男夫婦が日々なにをしているのか、うかがえた。おじさんに、生意気なことを言わなくてよかった。

わたしはコバエが一匹も見えないかのように、祖母と会話を続けた。祖母にも見えていないのかもしれない。おばあちゃんに見えないのなら、わたしが見えなくてもいいのだ。わたしたちの周りにはコバエなどいないのだから。

醤油さしは見つかった。しかし瓶を振ると中で砂時計のように黒い粒が揺れた。ここからも発生したようだ。

「おばあちゃん、新しい醤油に変えようか。たぶんおいしくないとおもう、色が変わってる」

祖母は黙ったあと、わたしを振り向いた。

「こんなおばあちゃんでごめんなさい」

「こんなおばあちゃんで、どうしようもないね。
もうなにも出来ないね。こんなおばあちゃんで、すみません。」

祖母はコバエが見えていないわけでは、ないのかもしれない。だけどそんな真偽はどうでもいい。わたしたちは今コバエの話などしていない。
ただわたしたちは、おばあちゃんと孫なのだ。だけど、すこしおばあちゃんは、おばあちゃんではなくなっていた。
わたしは真剣だった。動揺も継続していた。だけどコバエの話などして、たまるかとおもった。一切、口に出してやるものか。

「おばあちゃん、何を言ってるの。
そんなことない。おばあちゃんは生きててくれるだけでいい。
生きていてほしい。生きててくれるだけで、それで、もう、いいの。
おばあちゃんは生きてるだけでいい。
おねがいだから、生きていてほしい」

涙でにじんだ。コバエの原因など、どうにかしようとしないでいい。おばあちゃん。そんなもの、誰かがキンチョールを撒いて、コバエをとるものを置いておけばいいじゃない。
だれかがそうすれば、今はこうなっていなかった。こんな風におばあちゃんが謝ることにはならなかった。
わたしは叔母が祖母を嫌っていることを知っていた。こんな風に復讐をして、いいようにして、どうしようもない女狐だとおもった。
あのとき、あの女は投げた、とわたしはおもった。よりによって、わたしにまで、投げてしまったかと。

おばあちゃんは泣いて頭を下げた。

「ありがとうございます。
ありがとうございます。」

おばあちゃんは遠くなっていた。遠くでしゃべるおばあちゃんが、どんなに遠くにいってしまっても、わたしの目には、わたしたちのおばあちゃんが映っている。
わたしはぜったいに、この目で、おばあちゃんのままの姿を映し続けるから。この目の中におばあちゃんがいる。それを伝えたいのに、言葉にならない。ただ、母に、コバエがホイホイとしょうゆを、今すぐ買ってきてほしいと伝えたのだ。

あの時のことを話し終えるまで、母は黙って聞いていた。そして、「おばあちゃんボケてたんだね」といった。

「でもね、わたし、おばあちゃんが自分でコバエの処理なんてしなくていいと思ったんだよ。そんな必要ある?ないよね。そんなの誰かがキンチョール撒けばいいだけじゃん。でも、してもらえなかったのも、もうしょうがないのかなって今はおもうんだよ」

「なんで?」

「だって自分の息子も、その嫁も気が効かないでしょ?
でも息子育てたの、じぶんじゃんね。最初から次男が一緒に住もうって言ってたのにわざわざ長男との同居を選んだんだもん。
だから、どうにもならないんだよ。」

「・・・・・」

「自分を責めたらだめだよ、お母さん。
テレホンカードの穴から世界を見ていると、自分で何もかもしなきゃいけない気がするんだけど、実はその後ろにも前にも人ってたくさんいるんだよね。穴から世界を見てると、何かできたんじゃないかっておもうんだけどさ。
あんなの、ただ誰かがキンチョール持ってくるだけでいいじゃん。
あのとき、コバエがホイホイを買ってきたの、お母さんだったんだよ。お寿司もちゃんと食べれたじゃん。
じぶんを責めたらいけんに!って言ってるよ、きっと」

母はしばらく黙って、動悸がすると言った。
寝たらいいよ。おやすみ。というと、3回も「ありがとう」言って電話を切った。

電話を切ってから、あれはわたしのブーメランじゃないなと思った。
わたしがわざわざあの女狐のような叔母にブーメランを投げなくても、この風はいつだって必要なアドレスへ、間違いなく、届けるだろう。
今日は、こんなに強くて優しくてうつくしい風なのだから。